6. ノトス・サザン境界線上衝突戦 (2)
エイジスに通信が届く数分前。
「これは一体どういうことだ!」
ヤムナハの怒号が共和院官邸に響き渡った。
『サザンのフェアリスに培養器を破壊された。培養していたケイオスが暴れて、抑えきれない!』
研究所に詰めていたルボルが、通信機に干渉して弁明する。
通信ケーブルがやられたのか音声が割れており、ルボルの話す背後でも爆発音が聞こえる。
同時に、官邸外にも衝撃音が響き、衝撃で窓ガラスがビリビリと揺れた。
侵入されたなど何をやっていたと怒鳴りつけたい衝動を、拳を握りしめてこらえる。
「鎮圧用のシステムはどうした!?」
『システムも分体を抑えるのが限度だ。ましてや、急ピッチで生み出されたから、対応策も十分に備えてない!』
「システムは無理でも十分に兵士も配備していたはずだ!」
『生身の兵士なんていても強化されたケイオス相手じゃ意味ない! さらに活性化したコアが周囲のケイオスを呼んでいる、このままじゃ広がってサザン首都の二の舞になる!』
研究所で培養されたケイオスは自然発生したものより人工的に進化を促したために、強力かつ再生力が強いものばかり。そして、コアが少ない状態で培養したために、今も応援を求めるように周囲の土地のケイオスを呼び寄せていた。
早急に対処しなければ、この首都にケイオスの大群が押し寄せてしまう。
がんっ!
ヤムナハが机に振り下ろした拳の音に、ひっ、とルボルの短い悲鳴が通信機から漏れた。
「邪魔をしてくれた愚かなフェアリスはどうした?」
『じ、実体化して拘束した。壊されたら実体化した意味がなくなるから、逃亡する研究員に持たせて官邸へ届けさせた』
「なら邪魔が入る心配はないということだな。なんとか事態を治めねばならん」
『ど、どうやって?』
「軍を呼び戻す。背に腹は代えられん。お前は研究所に残りデータを持ち帰れ」
『そ、そんな、無茶だ! 既にデータの入ったPCは壊れているし、大量にケイオスがいる中で機械の中に潜りこんでデータを取り出すなんて、自殺行為だ!』
今まで不遜な態度を取っていたルボルが珍しく狼狽する。しかし、そんなことに構っている余裕はヤムナハにはない。
「この事態を防げなかったお前にも責任がある。いいから、やれ。泣き言はこれ以上聞かん」
叩きつけるように告げ、返答を聞くこともなく通信を切った。
素早く軍の司令部に通信をつなげる。
『ア、アーブル主席、よかった! 作戦中ではありますが首都にケイオスが発生したと通信が入り、判断を仰ぎたく連絡しようとしていた次第です』
即座に通信に出たノトス軍総司令官が安堵しつつ、捲し立てる。
判断を仰ぐのではなく、自力で考えて提案することもできないのかと苛立ちが湧く。
「司令官、首都とサザン、どちらが大事だ」
『し、しかし……サザンも同胞の窮地であり、見過ごすわけには……』
まだサザン侵攻が人道的支援だと信じているのか。
取り繕わなければならない面倒さに、舌打ちしかけた口を引き結ぶ。
「首都が窮地に陥った以上、救援行動の継続はできん。呼び戻せ」
『りょ、了解しました。ただ、通信を飛ばしたとしてもひとつ問題が』
「なんだ」
『使える高速艇の数は限られています。最速で戻ることができたとしても数時間かかります。その間、首都に残っている戦力のみでは被害を抑えきれるかどうか……』
「懸念するだけではなく、まずは動け! 間に合わないのではなく、持ちこたえて間に合わせろ! それが貴様の仕事だろう!?」
『し、失礼しました。 直ちに取り掛かります!』
即座に返答すると軍司令官との通信は切れた。
どいつもこいつも思い通りにいかない。なぜだ、順調だったはずなのに。
妻を奪い時間をかけてマスコミで信用を落とし、制空権を取るために航空兵器技術を発展させ、ケイオス兵器化のための研究も進めた。
全てが狂ったのは、エイジスの出現からだ。
天空会議場によるアピールも、奴らの独壇場を演出する前座となってしまった。
サザン大陸の陥落にしても、あと少しのところで……。
(いや、待てよ)
エイジスはサザン大陸の危機に対して救援した。その前には奪還したファリア大陸をユエルビアへ返還している。
エイジスの理念はケイオスの駆逐、そこから外れた行動は起こしていない。
現に、サザンとノトスの衝突に介入してこなかった。
ケイオスの危機に陥った今、ノトスからの救援に応える可能性はある。
(
ここで陥落すれば、今まで積み上げてきた研究成果や技術、何よりヤムナハ自身の権威が失墜してしまう。
首都さえ落ちなければ再起の目はいくらでもあるのだ、焦る必要はない。
自信の激情に言い聞かせながら、部下に指示すると、ヤムナハは救援要請用の緊急通信からエイジスへと繋いだ。
◇
「エイジス諸島連合皇国、イツキ陛下よ、聞こえているか?」
『これは、ノトス共和院のヤムナハ主席。いかがされましたか?』
通信機から穏やかな男性の声が返ってきた。
第一次オービス会議で皇国として名乗りをあげた時とは大きく異なっている。
(普段は温厚さで油断を誘い、威厳や威圧を演出したい時にフェアリスの力を借りるというわけか)
ヤムナハはフェアリスによる精神束縛、そのメリットもデメリットを熟知している。
二重人格のように口調や態度が変わったとしても、特段驚いたりはしない。
要件を切り出すべく努めて焦燥が見えるように声を意識し、話を切り出す。
「すまないが、火急にして緊急の要件があり、連絡させていただいた。実は、先ほど、ここノトス首都にてケイオスが突如発生した。再生が早く、こちらでは対処できない可能性が高い」
『それは……! まさかサザン側で発生したものと同じ、ですか?』
驚くイツキが質問し、食いついたとヤムナハは内心でほくそ笑む。
「サザンと同じ植物のような型と、獣のような強襲型、他にも様々な形態がいる」
『厄介ですね。大陸や島ならまだしも、一つの都市という狭い範囲に異なる型のケイオスが集合するとは』
「ああ、珍しいケースだ。とてもではないが、ノトス軍のみでは対応することができそうにない。我が軍はサザン陥落危機の報を受けて、支援を派遣してしまっており手薄なのだ」
『なるほど……サザンを脅かしていた土地浸潤型ケイオスについてはエイジスで対処を行いました。昨日の夜半には終息し、政府機能と通信機能は回復したとゴドー主席から聞いていましたが』
「なんと、まったく通信による連絡が途絶していたために、政府が陥落したものとばかり思っていた。通信については何かの手違いがあったか、好戦派の者にもみ消されたとも考えられる」
軍の派遣、通信の件について聞かれることは想定のうちだったので用意していた答えを返す。
「どうやら、軍を派遣してしたことは早計だったということだな」
『なら、両大陸境界線に派遣している軍は』
「もちろん、呼び戻させよう。派遣する理由もなくなり、首都が危機に陥っている現状では最善だからな」
一部軍を残すことも考えたが、他国に支援を要請しておきながら自国の軍が侵略活動というのは筋が立たない。
ここは口頭でも引くことを確約する。
『その方がよろしいでしょうね』
「ただ、戻るまでの間、手薄になることは変わらないので支援を要請したい。もちろん、謝礼は用意させてもらう。金でも人材でも……」
『いえ、謝礼はいりません』
毅然とした拒絶の言葉に、ヤムナハが驚くが直後に表情を引き締める。
無料ほど怖いものはない。どんな狙いがあるのか、と内心で警戒する。
『代わりにと言っては何ですが、今回の救援の件を大きく報道していただければと思います』
「ふむ?」
『世界から我が国への印象はあまり良くはありません。会議では追い詰められ抵抗したために決裂という形になりましたが、今回の救援が架け橋となるのを願っています。ファリア大陸をユエルビアへ返還した時、そして先日サザンへ救援した時と同様に』
「なるほど」
頷きつつ、ヤムナハは思案する。
ユエルビアとの交渉、サザンの救援に対して、いずれも動機がわからなかったが、印象改善という目的であれば筋が通る。今回のヤムナハからの申し出について飛びついた理由も頷けた。
(謝礼を受け取った方が弱みにつけこんだと悪評につながるか)
ふと、外で爆発音が響き、衝撃でヤムナハのいる部屋の窓ガラスが揺れる。
これ以上長話をできるほど、時間はない。
「承知した。今回の一件が片付いた暁には、貴国の活躍を報道で大きく取り上げさせてもらおう」
『厚意に感謝します。では、支援部隊を派遣させていただきます。細かい話は後程に』
交渉が成立し、通信が切れた。
ひとまず首の皮がつながったことにヤムナハは安堵の息が口から漏れた。
◇
ノトス官邸から戻り、エイジスのブリッジにて。
「イツキ殿! なぜでございますか!」
ほぼタダ働きも同然の交渉結果に、通信が切れたと同時にヤナギが唾を飛ばさんばかりにイツキに詰め寄った。
どうどうと手を上げてイツキがなだめる側で、ケイトも不機嫌に問いかける。
「うん、確かに私も納得いかない。自分から危機を招いたわけだし、足元を見てふっかけてもいいと思うけど。しばらく戦争できなくなるぐらい資源要求するとか」
ケイトの発言は過激だが、ナノも周囲のフェアリスたちも沈黙している。ヤナギやケイトの意見に同意のようだ。
イツキがそれぞれの反応を見て、苦笑する。
「だって、あちらの方から支援を要請してくれたのです。おかげでこちらは理由を気にせず堂々と首都に向けて支援できるんですよ?」
「ですが……」
ヤナギが納得いかないというように食い下がるが、さらにイツキが告げる。
「相手が何の警戒もなく自分の家に武力を入れてくれていい、と言ったんですよ? 家探しするには絶好のチャンスじゃないですか」
温厚な口調から飛び出てきた、家探しという物騒な言葉に、全員の表情が違う意味で驚きに変わった。
「まさかイツキ殿、最初からそのつもりで?」
「もちろん。こちらとしても、そこまで親切にはなれませんよ。疑惑があるだけに、調べたいこともいろいろありますからね」
謝礼込みで素直に救援に応じていれば、ヤムナハが訝しんだ可能性があった。
あえて謝礼を断り、明らかに狙いがあることを匂わせる。そこへ、こちらで筋の通った答えを用意することで、思考を誘導させたのだ。
追い詰められている状況だからでこそ、さらにこちらの目的を疑うのは難しいだろう。
イツキは極悪な笑みを浮かべるとケイトに手を差し伸べた。
「ケイトさん、一緒に手伝ってくれませんか?」
ケイトが無邪気にいたずらする少女のような微笑みを浮かべながら握り返す。
「ええ、もちろん。そうね、せっかくだからお友達も呼んで遊びに行きましょうか?」
ヤムナハは、エイジスがサザンと繋がっていることを知らない。なら、このチャンスをサザン側にも伝えましょう、と。
ケイトの提案に、いいですね、と楽しげにイツキが応じる。
悪だくみをする夫婦に、ヤナギとツバキは震え上がった。
「わしら、とんでもない人を味方にしたな」
「ええ、敵にしなくてよかったと思うわ」
「あ、あははは……」
ひそひそとフェアリスの夫婦が話す様子に、とんでもない夫婦の娘がひきつった笑みを浮かべたのだった。
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