10. 流れ星に祈りを

 ケートスを飛び立ったファーヴェルは、飛行ユニットから噴出する白い粒子を纏いながら、海面に近い高度を飛んでいた。

 背後には海。背泳ぎするかのように見上げた先は、青とオレンジ、そして紫のコントラストの綺麗な夕暮れの空だ。

 背面飛行から螺旋を描くように、上空へ急上昇。水しぶきと共に白い機体が優雅に空を舞う。

 コクピット内の視界も機体の動きに合わせて巡るが、操作にブレはなく安定している。感触は悪くない。

 飛行ユニット自体は2か月前のオービス会議開催前にイツキが考案し、すでに形になっていた。しかし、その後の調整がたいへんだった。

 重力を加味しての推進器の出力調整と飛行時の機体バランスを安定させるために、フェアリス側の演算能力の向上が必要。操縦者側も平面的な戦闘から360度全方位の戦闘になるため、それに合わせたコントロールセンスと広い視野の習得が必須だった。

 背面飛行から旋回しつつ急上昇と何気ない動作だが、自在に駆動できるようになるまで2か月かかった。今までノインとコンビを組み、連携を積み重ねたからでこそできる飛翔であった。


「だからあなたに言いたくなかったんですよ、感応能力のこと。絶対こうなるからって」


 飛行が安定できたところで、モニターからノインが呆れたように声をかけるとハルカが苦笑した。

 何だかんだいいつつも、ついてきてくれたのだ。ノインには感謝しかない。

 コクピットの通信スイッチが自動で応答モードに切り替わるとケートスから通信が入った。


『ハル! 戻りなさい!』


 イツキだ。ここまで焦って必死な父の声を聞くのは初めてである。


「イツキ、無駄ですよ。わかるでしょう? こうなったら止まりません。あなたが皇国を設立し、理念を言った時のように。ケイトがケートスの主砲を撃った時や、ナノがノウェムと感応能力を発現させた時のように」


 ノインが淡々と話し、イツキが黙り込む。


「それに、何も無謀ではありません。私とハルで新たな感応能力を得ました。それは、周囲にエネルギーや意欲を譲渡する力です。その力があれば、ケートスがたどり着くまでの防衛戦線の維持には役に立てるのでは?」


 ノインの告白にケートス内の全員が驚く。


『姉さん、それでは……』

「同じですよ、ノウェム。私も決めたことです」


 姉妹で理解しあうように話す。ノインの言葉には、ノウェムがナノと感応能力を得ることを覚悟した時と同じ意志が宿っていた。

 ノインの思いに動かされ、ハルカが口を開く。


「父さんやみんなが止めてくれる気持ちはうれしいよ。状況がどれだけ厳しいかもわかっている。けど、ノインとなら、父さんが考えてくれた飛行ユニットの力があれば、可能性はあるんじゃないかって思うんだ。だから、行かせてほしい」





 息子の訴えを聞いてケートス内のブリッジでケイトが微笑むと、絶句しているイツキに近づいて声をかけた。


「イツ君、悔しい気持ちもわかるけれど、そろそろ頭を冷やしたほうがいいんじゃない?」

「悔しいってそんなことは……」


 反射的に言い返しそうになったところで、言葉を切り自分を省みる。

 まさかの反抗、自分が思いつかなかったプロームの運用方法、そして何より自分が真っ先に諦めていたものを貫こうとする気概。悔しくないかと言えば、嘘になる。案じる気持ちも当然あるが。

 前髪をくしゃりと握ると、イツキは気持ちを落ち着かせるためにため息をつく。

 ノインの言っていた通り感応能力があるのであれば、飛行能力とともに時間を稼げる可能性は十分にある。飛行ユニットの積載に伴ってファーヴェルは他機体よりもエネルギー総量は多くなっており、飛行ユニットの機動力であれば飛空艇よりも早くサザン大陸に到達できる。

 エイジスの今後としてもサザンはいろいろな意味で落としてはいけない場所だ。穏健派が倒れれば、タイタスで進めている事業や黎明の旅団の活動が苦境に立たされてしまう。

 さらにユイ、アナン、シュウなどすでに顔見知り、背景事情も知った人たちがいる。ハルカと同じく見捨てたくない気持ちは一緒だ。

 覚悟を決め、イツキは通信機に向き直ると口を開いた。


「2人そろって無事で持ちこたえてください。ロストしたら、承知しませんよ」


 低い声で脅すような感じになってしまったのは致し方ないだろう。

 イツキの様子を見て、ケイトはうぷぷ、と微笑みつつ、ケートスの指揮官席についた。


「総員、進路変更! 目標サザン大陸!」

「了解!」


 ケイトの命令に、フェアリスが従い、ケートスを方向転換させ、その飛行速度をあげる。


「ナノ、いつもの通りにお願いね、向こうは通信が使えないみたいだから、おにいとの状況を中継して」

「了解であります!」


 ケイトの言葉にびしっとナノとノウェムが敬礼した。





 一方、ファーヴェル内にて。


「母さんが味方してくれてよかった。やっぱりおっかない、父さん……」


 緊迫したやり取りを終えてがっくりとハルカが肩を落とした。おおっぴらに反抗したのは今回が初めてだ。意見が食い違うことなどほとんどなかったし、喧嘩したこともない。こんこんと諭すように説教されたことはあるが、あそこまで怒らせたことはない。


「でしたら、戻りますか?」

「冗談」


 ノインが軽口のように問いかけると即座にハルカが返す。

 ブリッジを飛び出したのは、いてもたってもいられなかったからだ。結果がわかっているからと動き出さないなんてしたくはない。

 憧れの存在を目指して、少しでも仲間のために、大切な人たちのためにできることをするために。


「行こう、ノイン」


 陽の光に背を向けて夜に沈んだ大陸へ、白い機体は眩い軌跡を帯びながら、駆け抜けていった。



 ◇



 ノトス首都共和院官邸の貴賓室。ランプの灯りもついていない暗い部屋で一人、人形のようにサリはただソファに座っていた。


「ユイ、あなた……」


 微かに空気を揺らす、耳をそばだてなければ届かないほどの呟き。

 サリにできることはそれだけだ。か細い声を出すこと、それ以上何もできない。

 最初に捕縛された時に無理に意に沿わない発言をさせられて以降、サリも心を閉ざすことで束縛による影響を抑え込んでいる。心が揺らぎ均衡が破られたら、完全に支配されるだろう。それこそヤムナハの望むところだ。

 娘や夫のところに駆けつけるどころか、家族を案ずることすらも許されない。

 ソファにて表情も動かすこともなく座る彼女は、まさしく人形であった。

 絶望の空気に満ちた部屋の中で、その時、窓の外のすでに日の落ちた空を白い一条の星が流れていく。

 それは、まともに身体を動かせないサリの視界でも目に入ることができた、確かな輝きであった。

 せめて、とまた固く心を閉ざす前に女性は流れ星へ祈りを込める。


 (どうか、星よ)


 私の家族を、大切なひとたちを守ってください。

 母として、妻として精一杯の思いを込める。


(もう、信じてはくれないかもしれないけれど……)


 一抹の寂しさを浮かべながら、女性は切なる願いを彗星に託した。



 ◇



 サザン貴族院官邸のアナンのタブレットPCに新たなメッセージが表示された。


『今から、ケートスで救援に向かいます。……先遣隊に一人馬鹿がそちらに行きますが、よろしくお願いします』


 内容を読み、思わずアナンが立ち上がる。

 救援に来る、それは喜ばしい情報である、だが、メッセージを見直して一瞬止まった。ここに書いてある先遣隊と馬鹿とはなんなのだろうか。訝しく思いつつも朗報であることには違いない。

 

 「すまな……」


 声をかけようとしてふと止まる、周囲は慌ただしく戦線維持のために全力を尽くしている。ここで声をかけて緊張を途切れさせることは良くない。ただ、外で頑張る部隊には早く知らせねば、そう思い、自らの足で官邸の外に出た。

 扉を開けるなり、熱風が顔に吹き付ける。銃声が聞こえ、重低音のようなプロームの駆動による振動が身体に伝わってくる。機影がかなり近くに見えることから、官邸周囲200メートル近くまで押し込まれていると予想できた。

 付近まで到達したということは、官邸が落ちるのも時間の問題だ。エイジスから救援の連絡が来たばかりだというのに。


『物資の搬入急げ! 搬入口を閉鎖したら全力で応戦しろ、侵入を許すな!』


 近くにあった軍用車両から指示を飛ばすゲンの通信が聞こえてきた。戦線を維持しているのは歩兵部隊と特殊上位部隊をはじめとしたプローム部隊だ。搬入口のある方角を見ると、ゲンの指示に従い仲間とともにフォローに入るメタリックピンクの、娘の機体の姿が見えた。

 トラックをかばい、囮になるかのように一機、前に出るとシールドを発動させて蔦の侵入を防ぐ。その間に他の機体がフォローに入り、物資を積んだトラックが内部へと到着する。


「ユイ、下がれ!」


 シュウが黒曜から下がるよう呼びかける。だが、前に出ていたユイは反応が僅かに遅れた。

 機体を反転させて後退しようとするも、背後から蔦が迫る。


「ユイ!」


 アナンが叫び、手を伸ばす。

 シュウ、サキなど他の機体がフォローに入ろうとするも、間に合わない。

 黒い蔦がエニエマの胸部へとまっすぐに伸びようかとした、寸前。


 空から閃光とともに、白い彗星が降ってきた。


 ユイが操るエニエマの背後に降り立ったそれは、ケイオスの触手を弾くと一太刀で断ち切る。振り向きざまにもう一閃、追撃した触手を断つ。旋回した機体の背には、翼のような白いユニットが光り輝いていた。


「早くゲートの封鎖を!」


 突然の乱入に動揺が走っていたが、白い機体から飛んできた少年の声によって、慌ただしく動き出す。


「おいおい、タイミング良すぎだろ?」


 黒曜の内部からシュウが嬉しそうに笑みを浮かべる。対してアナンは機体を見て、まさか、と驚きの声をあげた。


「間に合ったというのか? 最初に救援要請のメッセージをだして、30分だというのに?」


 このスピードで到達したことにも驚愕だが、空中で自在に戦闘している、という事実も驚くべきことであった。


「飛んできて……くれたの? それもプロームで?」


 信じられずにエニエマからユイが呟く。

 飛行ユニットを使ったことがあるが、あくまで移動用であり旋回の駆動などかなり繊細な操作を要した。しかし、先ほどの自由自在な飛行性能や滞空性能から見るに、目の前の白い機体の飛行ユニットはまったく別物と言える。

 何より、もう普通に会うことは叶わないだろうと別れた少年が来てくれた。その事実だけでユイの中で気持ちが高揚するとともに、胸の奥で熱が高まっていくのを感じていた。


「エイジス諸島連合皇国より、単騎ではありますが、救援に来ました。本隊も遅れますが、必ず駆けつけます!」


 白い機体から少年の声が呼びかける。拡声通信を受けて、官邸を防衛するプローム乗りや兵士から歓声があがった。エイジスだろうが何だろうがこの絶望的な状況下で救援が来た、その事実は一つの希望であった。


「エイジス所属ハルカおよびノイン、ファーヴェル参戦します!」


 名乗ると共に白い機体、ファーヴェルが、翼から光の粒子を吹き出しつつ、戦場に踊りこんだ。


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