1. 旅の始まり (1)

 7/6、土曜日。休日の渡瀬家のリビングルームでは、テーブルを囲むように家族4人で集まっていた。


「……というわけで、実験に協力してもらいたいな、と思いまして」


 家族に対しても敬語の物腰穏やかな声音。口調に違わず、眼鏡をかけ、学者のような理知的な雰囲気の男性、渡瀬家の家長であるイツキが説明を終えるとにこにこと微笑んだ。


「せっかくの休日に予定入れないでくれって言うから何をするのかと思いきや……」


 色素の薄いクセのある髪を頭の斜め後ろでポニーテールにした活発な印象の少女、渡瀬家の11歳の長女ナノが父の説明を受けてぼやく。


「まあまあ、たまの休みの時ぐらい、いいんじゃない? こうして4人揃うっていうのもなかなかないし」


 テーブルに頬杖をついた母親のケイトが娘と同じ明るい色の髪を揺らしながら苦笑する。娘に向けた口調と表情こそ穏やかだが、引き締まったプロポーションとふとした瞬間に見せる鋭い視線がどこか、野性味を感じさせる。


 イツキは宇宙開発関係のエンジニアで、ここ半年ほど大きなプロジェクトに携わっていたために休日も仕事になることが多かった。ケイトはパートタイマーの仕事をしているが、急な呼び出しにあうことがあり予定を合わせづらい。ハルカにしても、ゲームの付き合いがあったり、ナノも友達と遊びに行ったりする。

 休日にこうして4人が揃うのは久しぶりのことだった。


「ごめんなさい。旅行の予定とか立てたかったんですけど、長期休暇の目処が立たなくて……」


 申し訳なさそうにイツキが言うと、ハルカが首を振った。


「ううん、父さん、大丈夫。無理する方が危ないし、ね」


 意味ありげにハルカがナノに視線を向けると、兄の言わんとすることに気づいて、はっ、と反応する。


「うん、お父さん数日徹夜した後に運転する方が危ないから」

 

 気遣う子ども達の様子に、イツキががっくりと項垂れる。

 以前、旅行に出かけようとして、車を運転した矢先に事故ったことがあったのだ。


「代わるって言ったんだけどね。がんばり屋さんなところがかわいいんだけど」


 くすくすとケイトが温かい微笑みをうかべながらフォローになってないフォローを入れる。妻に失敗をかわいいと言われては、ますます頭が上がらない。


「それで、話を戻しますと、学校教材用のプラネタリウムのプログラムを作ったので試したかったんです!」


 恥ずかしさを隠すように、イツキが強引に話を戻す。

 イツキが示したテーブルの上には、パソコンとネットワークフルダイヴ用のヘッドギアといった機材が置かれていた。


「職場で試作品の作成を頼まれたんです。ゆくゆくは、学校に売り出すみたいで、そのモニタリングをお願いしたくて」

「それはわかるけど、なんでうちで?」


 ハルカが不思議そうに問いかける。モニタリングをするなら、職場の方が専門的な意見を得られるはずだ。


「うちには、小学生も中学生もいるじゃないですか。リアルな宇宙空間作ったので酔ったりしなければいいなと思いまして」

「ナノはともかく、たぶん俺はゲームで慣れてるから、サンプルとして向かないと思うよ?」


 “CosMOS”がロボットを操縦するゲームなので、揺れは当たり前のようについてくる。それをかれこれ2年もプレイもしているので、三半規管が鍛えられているのは確実だ。


「まあ、君がだめなら大抵の人はだめってことがわかりますから」

「それはそれでひどい言い分だね……」


 イツキの言葉にハルカが引きつった表情を浮かべる。

 できれば、数値とかデータを出して一度テストしてからもってきてほしい。一応、安全性についてはテストしていると思いたいが。


 そんな和やかなやりとりの後、イツキから簡単にソフトの説明を受けてから家族全員でネットワークフルダイヴ用のヘッドギアを装着していく。

 凝り性なイツキが作ったプログラムなので、酔いなどの難点はともかくとして、完成度は高いだろう、と3人とも期待はしていた。


「じゃあ、スイッチ入れますよー」


 そう言うと、イツキはヘッドギア越しにパソコンからプログラムを起動させた。


 起動した瞬間、ハルカの視界が暗転する。

 身体が浮遊し、直後に遊園地のフリーフォールに乗った時のように、内蔵が浮き、落ちる感覚に襲われる。

 視点を見上げるように移動すると、満点の宙と星々の光が見えた。


(いや、作ったにしては、リアル過ぎないか?)


 そこで、ハルカは違和感に気づいた。

 落下している感覚が止まらない。


(落ちているんじゃない、何かに引っ張られている!)


 一瞬驚きで混乱するが、ダイヴしているときは緊急用のコマンドが表示できることに気づいて操作しようと指を動かす。だが、フルダイヴ状態であるのに、コンソールが出てこない。

 家族がどうなったか気になるが、声もメッセージも出すことができない。

 引き寄せられる感覚に身体が慣れてきた頃、見えていた星空が急に消失し視界が狭まり、見えるものが彼方の星のみになる。

 以前イツキから、実際光の速さで移動すると、人体としては視界をせまく感じる、と聞いたことを思い出す。


(ということは、今光速で移動してる、のか?)


 推測したのも束の間、再び視界が広がり、周囲に星の光が瞬く。

 ふっと背後を見ると、地球に似た、巨大な青い星がせまっていた。


(星に落ちる)


 紺から白、白から水色、そして水色から赤に視界の色が変わり、大気圏を抜けていく。


(燃えて、落ちていく……)


 宇宙空間の光速移動、大気圏の突破という衝撃的な光景の連続に耐えきれず、とうとう少年の意識は白で埋め尽くされると同時に、途切れた。



 ◇



 ぴちゃん、という音とともにしずくが頬に当たる。


「ん……」


 ハルカはゆっくりと目を開けると草の緑が見えた。

 いつの間に屋外に来たのだろうか。

 疑問を浮かべながら体を起こすと草だけではない、森の木々の緑が見えた。草を掴む感触だけではなく、植物独特の匂いが鼻腔へと届く。

 ぼんやりとしていた意識を少しずつ回転させる。


(最後の記憶はたしか、家族でプラネタリウムのテストをするために、ネットワークフルダイヴ用のヘッドギアをつけて……って!)


 気づいて、即座に顔の周辺に触れてみるが、何も触れない。

 ならば、フルダイヴしたままかと思い、試しにコンソールを呼び出す、宙に人差し指で押す動作をしてみるが何も反応はなかった。

 まさかと思いながら自分の腕をおもいっきりつねる。

 本来、フルダイヴをしていても、ペインコントロールされているため痛みは感じないはずである。しかし、はっきりと痛みを感じ、肌には赤い痕が残った。

 つまり、現在の風景も、感触もまぎれもない現実ということだ。

 となると、次の心配は、


「ナノ……、父さん、母さんは?」


 一緒にダイヴした家族はどうなったのだろうか? 気づいて周囲を探す。

 すると、草で隠れてはいたが、倒れていた箇所から離れていないところに家族3人が倒れているのを発見した。




 ハルカに起こされたイツキ、ケイト、ナノは気が付いた後、何が起こったのか情報を整理することにした。


「ネットワークフルダイヴしたら、見知らぬ場所にいた、ということですね」

「ちなみに、父さん、ダイヴしたときのあの光景ってプログラミングしたもの?」

「あの光景、とは……?」


 イツキに問われ、ハルカは宇宙空間から光速で移動し、星に落ちるまでの光景を説明した。


「よくそこまで意識が保てましたね、僕は光速移動した瞬間に意識が飛びました」

「私は落下する感覚に耐えられなかったよ」


 イツキが感心したように言うと、ナノが同意するように言った。


「私も、光速移動のところまで。戦闘機のシミュレーターにのせてもらったことはあるけど、あそこまでひどいGを経験したことはなかったなぁ」


 ケイトが言うと、ハルカは自分が思いのほか、浮遊感などに慣れていたことに気づかされる。


「ですが、あんな危険なプログラムを組んだ覚えはないです。特にダイヴして最初の宇宙空間は明らかに僕の手で作り出せるものではありません」


 有り得ない宇宙空間とその移動の光景。

 気がついた後からのフルダイヴの仮想的な感覚ではなく、現実的な感覚。

 それら二つの情報は、異常な事態に家族4人とも巻き込まれた、ということを意味していた。


 


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