21.コンビニ
雨は小降りになっていた。夏希にはほとんどやんでいるように感じられた。傘はいらないだろうと思った。千春も、なにも言ってこなかった。
しばらく歩いていると、雨は完全に上がったようだった。散り散りになった黒い雲の間隙からはわずかばかりの夜が顔を見せている。生ぬるいそよ風が熱っぽい肌を撫でたが、夏希にとっては意味を持たない風に思えた。
彼の右どなりを歩く千春は、時々、左手の指を夏希の右手にぶつけさせてきていた。それは開く許可を得ていないドアをノックするような、ぎこちない合図だった。夏希は気づかないふりをして歩いた。しばらくすると、手がぶつかることはなくなっていた。
二人は無言のまま歩いて、最寄りのコンビニに立ち寄った。入店してすぐ、千春が買いものかごを手に取った。夏希は彼女と目を合わせたが、なにも言わずに店内を進んだ。冷房がよく効いていて、ひんやりとした空気が体の熱を奪っていった。
弁当コーナーに差しかかり、千春は迷うことなく、あらかじめ決めていたような手つきで商品を選んでいく。ミートソースのスパゲッティと冷凍パックの豚汁。その上に、夏希も自分の分のおにぎりやサラダを載せていった。
「化粧水も買うけん」
千春は何気なく言って、返事を待つことなく移動していく。夏希もゆったりとした歩調でついていく。
彼女が使っている化粧水は簡単に見つかった。しかし千春は、すぐには手に取らなかった。体をしゃがませ、近くに陳列されていたコンドームの箱を手にとり、
「買う?」
と、あまり表情のない顔で、夏希を見上げてくる。
夏希は返答に窮した。あるいはそれも、一つの答え方だった。
「後悔しとぉと?」
千春は問いを重ねた。濡れた瞳が小さく揺れていた。
「先に、出てるから」
彼女に財布を手渡し、夏希はきびすを返した。
コンビニの外に出ると、忘れかけていた熱を思い出させるように、湿気を孕んだぬるい空気が肌を覆っていく。
一歩踏み出すと、硝子を砕いたような音が響いた。足もとにはわずかな砂利が散らばっていた。夏希は小さな郵便ポストのとなりで千春を待ち、まもなくコンビニから出てきた彼女と合流した。
「持とうか」
レジ袋を見かねて、夏希が声をかけると、
「よかよ、別に。そんな重くなかし」
千春は、どこか言い訳がましく拒んだ。
ちらりとのぞいた袋の中に、化粧水の瓶らしきものは確認できなかった。
夏希は「そう」とだけ答えて歩き始める。「うん」と、合わせたように彼女も動き出して、また右どなりに並んでくる。レジ袋は、夏希からは遠い、右手の方に持たれていた。
夏希はわずかに俯き、冷たくない両手をポケットに突っ込んだまま歩いた。決して千春の方を見なかった。時おり、彼女の甘い香りが思い出され、密かに息を止めたりもした。そうすると今度は、静まらない鼓動が疼痛のように、はっきりと響き始める。夏希は深く息を吸い込んで前を見つめた。
涙を溜め込んだように湿った風は、帰り着くまでに一度も凪ぐことがなかった。
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