4.買いもの


 夕食の献立を決めるべく、二人は下宿へ帰る前にスーパーへ寄った。

 店内に入ると、千春が買いものかごを手にし、


「ん」


 と、夏希に突き出してくる。


「俺に持てと」

「私が持つとでも?」

「いや」


 夏希は素直に受け取った。

 夕方ということもあり、店内はそれなりに賑わっている。


「あ、『五時からセール』だ」


 近くのスピーカーから流れてきた音楽を聞いて、千春が呟く。

 このスーパーは、午後五時を迎えると『五時からセール』という音楽が流れ始め、食材や惣菜がお買い得になる。


「はよ決めんとなくなるよ」

「はいはい」


 二人は惣菜コーナーへ向かう。

 ほかのお客さんも集まり始めていたが、幸い、まだそこまで多くはなかった。

 夏希は揚げ物を詰めるためのパックとトングを手に取る。


「で、西城さんはなに食べたいの?」

「唐揚げ」


 千春が即答する。

 夏希はパックに唐揚げを入れつつ、


「三日前も食べたけどね」

「別によかど」

「ほかは?」

「エビフライ」

「ていうか自分で入れない?」

「東江君って優しかよね」


 唐突なおためごかしだった。夏希はジッと目を細めた。それからも、千春の指示を受けながら惣菜を詰めていった。

 あらかた取り終え、パックにゴムをする夏希。

 それを買いものかごにしまい、今度はまた千春の要望を聞き流しながら青果コーナーを眺めていた。

 その時、


「おや、夏希君じゃないか」


 聞き覚えのある女性の声が近づいてきて、夏希は振り返った。

 こちらに歩いてきていたのは、田上たがみアキラだった。

 彼女は夏希が所属する文芸部の部長で、抜群のスタイルと長い黒髪のポニーテールが目を引く女子生徒だ。


「田上先輩、買いものですか?」


 と、夏希が訊ねると、


「ああ。もう帰るところだが」


 と、精悍な口調で答えるアキラ。

 彼女の手には、食材でいっぱいとなった買いもの袋が握られている。


「先輩、一回帰ってから来たんですね」


 アキラの格好を見て、夏希が察する。

 彼女はスカートこそ制服のままだが、上着はブレザーではなく藍色のパーカーを羽織っていた。加えて、スクールバッグも見当たらない。


「当たり前だろう。寄り道は校則違反だ」

「へえ、そうなんですか」

「なんだ。夏希君は知らなかったのか?」

「はい、まったく」

「そうか。では仕方ないな。次からは気をつけるんだぞ」


 夏希は敬礼のポーズを取りかけて、やっぱりやめた。

「はい」と答えるだけに留めた。


「む、あそこにいるのも、うちの生徒ではないか?」


 と、アキラが夏希の斜め後方を指差す。

 見ると、いつの間にか夏希のそばを離れていた千春が、花売り場で赤いヒヤシンスを眺めていた。


「ああ、西城さんですか」

「西城というと、もしかして、西城千春か?」

「そうですけど」

「なるほど。いや、最近、大橋君がよく話しているじゃないか。君ら二人について」

「ああ、そうですね」


 考えてみると、アキラが千春と遭遇するのはこれが初めてだった。

 もちろん学校ですれ違ったことくらいあるだろうが、アキラの方は千春の容姿までは知らなかったと思われる。


「夏希君は、彼女と一緒に来ているのか?」

「あ、はい。夕食の惣菜とか、買いに」

「ああ、下宿が同じだったのだな。大橋君が言っていた。夕餉の支度は自分たちでやっているのか?」

「そうですね。大体俺が」

「そうか。てっきり下宿の管理人がするものなのかと思ったが」

「あんまり帰って来ないんですよ。いい人なんですけど、ちょっと風変わりな人なので」

「そうなのか。ところで」


 ふたたび、アキラの視線が千春へと向けられる。


「彼女は、なぜずっと花を眺めているんだ?」

「ああ、ええと」


 夏希も、千春に目を向ける。

 彼女はヒヤシンスやらマリーゴールドやらに視線を落としていたり、時おり、こちらではないどこかを向いたりしていた。

 よく見ると、軽く握られた千春の右手、その親指の爪が人差し指の腹をしきりに引っ掻いているのが分かった。

 夏希は小さく嘆息し、


「先輩、時間は大丈夫ですか?」

「ん? ああ、そうだな。これ以上は食材によくないな。悪いが、これで失礼させてもらおう」


 アキラは踵を返し、


「では夏希君、また部活で」


 そう言い残して、自動ドアの方へ歩いていった。

 見送ったのち、夏希はすぐに千春のもとへ向かう。


「遅い」


 彼女の声が、普段よりも低かった。


「退屈だったんなら、西城さんも来ればよかったのに」

「誰あれ」

「知らない? 文芸部部長の田上先輩。有名だと思ってたけど」

「知らん」

「そっか」

「コーンスープの粉ってまだあったっけ?」

「知らない。西城さんが飲んでるんだから、そっちで把握しといてもらわないと」

「じゃあ買うけん」


 矢継ぎ早に言って、スープ売り場へと歩いていく千春。結局、ヒヤシンスはいらないようだった。

 精算を終え、買ったものをビニール袋に詰めていく夏希。

 千春はとなりでスマホをいじっているだけで、手伝おうという気概は見られなかった。


「ねえ」


 袋詰めを終えた頃、千春が声をかけてくる。


「さっきの人、文芸部の部長って言ったっけ」

「そうだけど」

「学校の人ったいね」

「そうなるね」

「こんなとこ見られたら、ますますそう思われっとじゃなか?」


 千春は、スマホに視線を落としたままだった。

 夏希は少しだけ、問いかけの意図について考え、


「迷惑だった?」


 と、ぶっきらぼうに訊ねた。


「別に」


 千春は目を合わせないまま、小さくかぶりを振った。


「そっか」


 また抑揚のない声で言って、夏希は出口へと歩き出す。しばらくして、彼女もとなりに並んでくる。

 自動ドアを抜けて外へ出ると、あんず色の夕映えが目に飛び込んできて、夏希は少しだけ目を細めた。


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