第16話:美代子の推奨ヤフー株で大儲け
1994年3月に、1991年10月に1株1200円で8万株のソニー株
が上昇し1株3100円で売れ、税引き後利益12152万円となった。
その後、1989~1991年の100坪単位の電気、上下水道付きの土地
を30区画を造成して売り出すと、応募が多く4倍近くの競争率で全て、売れ、
村の資産は14億円に増えた。
しかし1990年夏のイラクのクウェート侵攻で原油が急騰しバブルは崩壊
し、その後の金融システム不安、「失われた十年」とよばれる長期の停滞状態
が続き、この村の観光産業も落ち行った。一方、加藤末吉の子供達は、1998年
に長男の東京都立大学理工学部を卒業して、ソニー厚木事業所に入社して、半導体
の仕事についた。1997年には、長女の新しもの好きの加藤美代子は、
上智大学を卒業して、出来たばかりのヤフー日本に入社した。
そして、長男も長女も加藤末吉の家を出て暮らしはじめた。加藤美代子は、
1997年8月の夏休み、実家で夏休みを過ごし、今年中に、ヤフー日本が
上場するから、株を買う良いと、その晩、ちょうど来ていた加藤一郎町長、
父の末吉、兄の加藤和男にもいい、新規公開株に絶対、応募して買って
おきなさいと明言した。彼女が、この会社、絶対、大化けしますよと、
ビールを飲んで、真っ赤な顔して力説していた。
彼女、その理由も淡々と話しの説得力に、喜一いた者達が引き込まれて
、その後、新規公開株に、一家そろって応募し、祖父の加藤吉宗、
奥さん・タネさん、加藤一郎と奥さん、加藤末吉と奥さんの加藤里子、
奥さん6人で1997年9月の新規公開株に応募して1株70万円を
9株、630万円を全額、加藤吉宗が金を出して購入した。加藤吉宗・
タネさん3株、加藤一郎夫妻3株、加藤末吉3株が手に入った。
1997年11月4日、公開当日、初値で200万円と急騰した。
そして、売り時は、私が指示すると、銀行マンの加藤一郎が言った。やがて、
2000年を迎えて、ヤフー株が2000年1月19日・水曜日に1億円を
越えた。この晩に、加藤一郎から電話で、加藤末吉の所へ、信じられないと
大慌てで電話が入った。
こういう時の売り方が難しいと言い、ピ-クをつけた後、直ぐに成行売りが
良いと言った。また売るときが来たら連絡するからと言った。2000年
2月12日・火曜に携帯電話に連絡が入り、売れと指示されて、直ぐ、
証券会社に言って売りを入れ、1億6千万円で売れた。その晩、加藤一郎から、
加藤家の9株全部売れたと連絡が入り、1株当たりの利益が1.27億円で、
加藤末吉夫妻で税引き後純利益が2.5億円となった。加藤家全体9株で
11.4億円だといわれた。良くわからないけど、大金持ちになった様だ。
加藤一郎が、その後、下値が、あったら、もう一度買っても、良いかも
知れないと連絡してきた。ネットバブルがはじけて、大きな下げが来て、
加藤家のみんなが、良い所で売れたと、加藤一郎の手腕を誉めた。
2000年3月12日に、加藤末吉の長男の加藤和男が実家に衣笠織江
という美人と一緒にやってきて、今年の6月8日に結婚式を挙げるので
宜しくと挨拶した。彼女は、同じソニー厚木に勤めて、2つ下の大学時代の
サークルの後輩だと紹介された。
新潟の酒蔵の娘だと言い、色の白い美しい娘だった。その後、6月8日、
新横浜プリンスホテルで結婚式を挙げて、加藤家から12人が出席した。
結婚式後、新婚旅行はハワイに1週間程、出かけて行った。
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