第3話:近くに高速インターチェンジができる!
1972年4月に、この村から、北に10km、南に30kmに日本の大動脈
の高速道路があり、その間の南北に、高速道路を通して、更に便利にしようと
言う計画が持ち上がり、新しい高速道路が、この村の近くを通り、近隣に、
インターチェンジが出来ることになった。この村では、その話で持ちきり
になり、いくらにもならない、集落の土地が、坪数十万円、場所によっては
数十万円になるのではないかと、いろんな噂が立ち、1978年、完成予定
とされていたが、既に、この付近の議員さんの息のかかった不動産屋が、
買収の話を持ってくるようになった。
そうなると一番、広くて平らな加藤家の付近が一番高く、坪50万円以上
、6百坪以上あるから、3億円以上かと、噂が噂を呼び、その話で村中が
騒然とした。正式に1972年4月に、その高速道路の着工が1972年6月
からと決まった。1972年7月20日に、加藤末吉と里子さんの長男、
加藤和男が誕生した。これには、加藤家の当主の加藤吉宗も大喜びした。
その頃、土地を買収したいと言う不動産屋が、動き出して、購入または、
代替え地として、高尾駅から3km以内のミニ造成地区の代替え土地との
交換すると言う案も出て来たようで、買収に応じるか、高尾駅近くの
代替え地と交換するか、地主の方で決めて良いと言う事になった。
こういう時、流言飛語が飛び交い、加藤家では、600坪の土地を3億円
で売って、都会に出て行くとか、3億円じゃなくで4-5億円で交渉してる
のじゃないかと、無責任な噂話が聞かれるようになった。回りから、加藤末吉に
、お前のうち、大金が入るんだろうと言われると、そんなことは、聞いてねえ
と答えるしかなかった。あまりに集落で無責任な発言が多いので業を煮やした
、加藤吉宗は村議会の時、村議会議員を前にして、俺は、この集落を決して
見捨てない、死ぬまで、ここに残ると言い切った。
今迄どおり、村、集落のために、村民の困りごとに対処していくから、
電気、水道、家の修理、何でも相談にのるぞと言い、息子もマイクロバスの
運転をして、みんなのために働くと宣言した。この話を聞いた集落の長老達は
、さすが、加藤吉宗だと喜んだ。
道路の完成は1978年と決まり大きなトラックが入って山を削り始めた。
その頃、加藤吉宗と、東京の一橋大学を卒業し、この村の村長に当選した、
東京出身の山田賢一村長33歳と、何回も秘密裏に、今後の村の運営について、
地元の居酒屋の個室で話し合う日々が続いた。
まず、この村を訪れる観光客を増やす方策として高速道路をつかって、
南30kmの海老名駅、北10kmの高尾駅を結ぶバスを通す事を決め、
村に残っている若手に、マイクロバス運転免許を取ってもらい、
最初はマイクロバスをリースして、行き来してもらい、もし、お客が
増えたら、バス会社に委託しようと考えた。
そして、海老名と高尾に、この地区の名産品を販売する道の駅を作ろう
と考えた。その後、高速道路から、近い場所を4ヶ所選び出して、整地し、
不動産として売ろうというアイディアも出た。1977年10月、3世帯の
家が先祖からの土地を売って、出て行くことが決まった。
うわさ通り、坪30万円以上で売れたようで、3世帯の人達は大喜びで
、土地を売ったようだ。もちろん、加藤吉宗の家にも売らないかと、
5軒の不動産屋が来て、坪50~60万円、最後は80万円と言ったが、
加藤吉宗は、決して応じなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます