「また会いに来たよ」

善吉_B

◇ ぼくのゆうれい : ハコネ


 バス停から歩き始めて数十分、背負った荷物の重みが両肩に食い込む痛みを感じ始める位の頃に、その草叢は姿を現す。


 本数が激減してしまった電車とバスに揺られていた時間を数えれば、ここに来るまでの時間はかなりのものだ。それでも交通費と時間を掛けて、ハコネは毎月この草原に「帰って」くる。

 草原にはもう春が訪れ始めていた。

 手入れもされずに生い茂る草叢の一部に、ぽつぽつと黄色い花が咲き始めている。草叢に吹くまだ肌寒い風が、日の当たる頬に触れて心地良い。

 細い雲が筋を描く空にかん高く響く囀りは、ひばりか何かだろうか。鳥の鳴き声に詳しくないので、ハコネにはよく分からない。

 ヤマなら分かったのかもしれなかいが、生憎ヤマのデータはまだ復元できていない。呼び出せるようになる頃には、きっと季節が変わってしまっているだろう。

「―――――平和だなぁ」

 思わず口から溜め息と共に零れた言葉は、ひろびろとした草叢に広がることもなく消えていった。甲高い鳥の声が、また空を通り過ぎていく。

 全く以て、平和な光景だ。

 草叢の所々に散らばる、かつて車やバリケードや建物の一部だった瓦礫の山だけが、辛うじてあの大惨事の爪痕を思い出させてくれる。それさえなければ、ただの人の寄り付かない原っぱとしか誰も思わないだろう。



「―――よいしょっ、と」

 お道化た調子の掛け声と共に下ろした荷物を脇に置くと、ハコネはいつも通りビニールのレジャーシートを広げた。

 次に背負っていた荷物の中から、ラップトップと小型の投影機を取り出して互いに繋げる。そこから更にコードを伸ばし、折りたたまれていたアンテナを組み立ててスリットに接続部分を嵌めていく。

 初めはメモを片手にもたもたとしか進められなかった作業も、十一回目にもなれば鼻歌混じりでも楽々とこなすことが出来た。広げられたパラボラアンテナが日差しを遮ってくれるお陰もあり、眩しくて手元が見えづらいことも無い。


 ―――― 遠くから見たら、海辺でもないのに白いパラソルを差している人にも見えるのかもしれない。

 さながら、草叢の海水浴。あちこちに打ち捨てられたガラクタは、魚にはあまり見えないだろう。

 けれどそのアイディアは良いかもしれない。海の方はまだ交通機関が完全には回復していないと聞くから、子供たちの気晴らしにそんな装置を作るのは悪くないはずだ。


 そこまで考えて少し可笑しくなったハコネは、のに一人で笑いを溢した。

 一通りの準備が終わる頃には、乾いた風のせいで喉がひどく乾いていた。

 左手で転がしてきたキャスターから小型のクーラーボックスを取り出すと、瓶に詰められた炭酸飲料の蓋を恐る恐る開ける。長時間揺られていたせいで溢れ出るのではと心配していたが、プシンと一瞬勢いよく気が抜けた音がしただけで済み、ほっと息を吐いた。

 そのまま持ってきたコップに中身を注ぎ、クーラーボックスに入れていたカップアイスをひと匙掬って上に乗せれば、ピクニック用の簡単なクリームソーダの出来上がり。

 いつかキャンプでこれをやりたいと言っていた、ミクニのためにこれを持ってきた。一足先に口を付ければ、持ってくる間に柔らかくなったアイスクリームが一筋だけソーダに混ざり、舌の上を通過していく。まだまだ外は肌寒いが、作業を終えた身体には喉を通る冷たさが心地よかった。



 ソーダを半分ほど飲んでから、ハコネは改めて組み立てた装置の前に腰を下ろした。

 持ってきた大荷物の大部分を占めていた、アンテナを始めとする機械たちに繋げられたラップトップを立ち上げる。これでも大分軽量化するために試行錯誤したのだが、こうして広げてみればやはり相当にかさばる装置だ。

 次回からは、スクーターかバイクで来た方が良いかもしれない。ここに来る度にそう思っている気がするが、次に来る時には何故か背負って持ってきてしまう。

 ラップトップの起動が済んだので、アンテナと投影機のスイッチを入れた。

 この手順も慣れたもので、今なら考え事をしていても順番を間違えることは無い。スクリーンに並んだアイコンの一つを選択し、目的のシステムを立ち上げれば、後は「彼等」がやって来るのを待つだけだ。

 アンテナが回転するモーター音に耳を傾け、ちびちびとソーダに口を付けながら待っていると、やがてスクリーンに幾つものブラウザが現れた。

 その一つ一つに映されているのは、パステルカラーの色を変える薄い靄。

 靄は少しずつその質量の濃度を増し、やがて人の胸像のシルエットに見えなくもない、小さな綿雲たちを映し出す。

 気が付けば投影機の方もスクリーンと同じ姿を、草叢の宙に投影し始めていた。

 ブラウザの隅にはそれぞれの名前が、最もありふれている面白味のないフォントで浮かんでいる。

 ミクニ、スガヤ、マツバ、ツキノセ、フシオ、そしてツガル。


 本当は皆呼びたかった。また皆で集まって、昔のように笑い合いたかった。

 それでも――――これでも、先月よりも二人増やすことが出来たのだ。あちこちにアクセスしては個人のログデータを探し出し、皆との思い出を必死に思い出し、日記のようなアナログのデータもかき集めて、ようやくこの人数まで揃えられた。


 幸い、ハコネには ―――――、時間がある。


 もう半年経つまでには、ほとんどのメンバーを呼べるはずだ。

『あー、クリームソーダ! 覚えてくれていたんだ』

 ミクニという名が浮かぶ綿雲の塊が、ハコネの手元に向かって細い一部分を突き出した。どうやら指をさしているらしい。

 ブラウザのスピーカーから流れる音声は、映像ログの音声を元に生成した。発音やイントネーションが若干不自然ではあるものの、かつてと変わらないミクニの明るい声が、白や黄色の混ざる草叢に広がる。

『おいおい、第一声がそれかよ。他に言うことがあるだろ』

「まぁ、ミクニらしくて良いと思うよ」

 マツバと書かれた淡いブルーグレイの綿雲が、小さく肩を揺らして笑うのに返せば、それもそうかと、昔と変わらずおっとりとした声が返ってきた。

 ブルーグレイの綿雲はそのままこちらの方に頭に当たるだろう部位を動かすと、ゆっくりと優しく頷いて見せた。

『久しぶりだな、ハコネ』

 それに続いて、あちこちの綿雲から久しぶり、という声がこだまのように上がる。手を振ってくるパステルイエローの綿雲は、今日ようやく呼べるようになったツキノセだ。

 それに応えて、ハコネは軽くグラスを持ち上げてみせる。

「皆、一か月ぶりだね」

 ―――――― ただいま。

 再会を祝して形ばかりの乾杯をしてから、小さな塊を残して溶け切ったアイスとソーダが混ざり合う飲み物を一気に飲み干す。

 これがハコネの、一年より少し後から毎月続く習慣だった。






 その災害は唐突に始まり、そして同じように唐突に終わった。


 未知のウイルスは瞬く間に感染を広げ、多くの人がそれにより豹変し、周囲の人々を襲い始めた。

 感染症はパニックを引き起こし、更に多くの人々が暴走し、感染し、生存者同士で衝突し、そして犠牲者を増加させた。

 それはハコネの周囲でも同様だった。かつて共に生活し、笑い合い、同じものを目標に研究をしていた仲間たち皆が、この草原の周囲で命を落としていった。

 どこから種が飛んできたのか、いつの間にか黄色い花を広げ始めた草叢に、かつてハコネたちが暮らしていたラボや街並みがあった面影はどこにも無い。

 辛うじて残った建物の一部や機械だけが、確かにそこにハコネたちの帰る場所があったのだという現実を突き付けている。

 とりわけ感染がひどかったというこの地域一帯に爆弾が落とされ、蠢く感染者ごと全てが消し去られたせいだ。

 仲間内でただ二人生き残っていたハコネとツガルも、逃げた先で半ば強制的に避難させられ、ここから数十キロは離れた居住区域へと住まいを移された。

 爆弾が落とされてから三ヶ月後、ようやくワクチンが開発されたという知らせが生存者に届けられ、感染症の脅威がようやく収まる兆しを見せたのは、焼野原になったラボの跡地でツガルが自分の喉を掻き切ってから二週間目のことだった。


 ただ一人残されたハコネが、自分と同じく遺された仲間たちの研究を寄せ集め、そこから更に手を加えて「装置」を完成させる頃には、そこから更に五年の年月が掛かってしまっていた。




 綿雲たちのとりとめのないお喋りと、左右に首を振るパラボラアンテナのモーター音を心地の良いBGMにしてソーダを注ぎ足しながら、ハコネは日陰を作る白いパラソルの方に顔を上げる。

 

  イタコ・システム=八十七号。


 折り畳み式のパラボラアンテナに印字された名前は、本来は故人のデータから本人を一時的に復元させ、その思考パターンから遺言を類推するという、アリマの思い付いた架空のシステムの名前だった。

 いつものように夕食後、仲間内でとりとめも無くただ思い付いたアイディアを口にしてはああでもないこうでもないと言い合っていた頃に出てきた、どちらかといえば非現実的な部類に入る案だったような気がする。実際マツバなどは「遺族同士の争いが更にひどくなりそうだな」などと笑っていたのを、ハコネはよく覚えている。

 何故いきなり八十七号なのかというフシオの問いに、アリマは何と答えたのだったか。確か死んだ祖父母のどちらかの享年だと言っていた気がするが、その辺りがどうしても曖昧にしか思い出せない。そのせいで今回も、アリマを「呼ぶ」ことは出来なかった。

 アリマだけではない。ヤマも、トウヤも、まだ呼べていない。

 イタコ・システム八十七号で呼び出すには、残った皆はデータが足りていないのだ。昨日も必死に過去のチャットログを漁っていたのだが、今日のこの日までには間に合わなかった。


 死者の遺した思念とも呼ぶべきものをかき集めるアンテナと、故人の過去の発言や思考を記録したデータベースを付け合わせた、科学による降霊術。


 電磁波による思念の波長を、個人の生前の発言や情報アクセス記録を元に、言葉や映像という生者の言葉に「翻訳」するように変換させる技術の基盤は、ミクニとフシオの研究記録を応用した。

 アリマの思い付きの一つに過ぎなかったアイディアは、あのウイルスによる大災害と、辛うじて遺された幾つかの研究内容、そしてたった一人生き残ったハコネの手により、こうして異なる装置として完成された。

 装置が形になるよりずっと前から、彼らが思念を残すとしたら、此処しかないだろうと思っていた。

 かつて自分たちが笑い合い、喧嘩をし、アイディアを出し合い、自分たちのことしか考えずに幸せに過ごしていた、帰るべき家であるラボがあったこの草叢しか。


 だからハコネは、この場所以外でイタコ・システムを起動させたことが無い。

 彼らの幽霊がいるとすれば、それはこの場所以外にあり得ないのだから。


 


 パステルカラーの綿雲の幽霊が、笑い合っている。

 呼び出した彼らの依り代として作った無人のアバターたちは、春になりかけた日差しの中で柔らかい色を反射させていた。

 本当は生前の姿そっくりの映像にしたかったのだが、ハコネの技術では人間らしい3D映像をつくることそのものが難しい。形のはっきりしない綿雲のような靄たちに、死者の思念を連動させるのが精々だった。

 すっかり炭酸の抜けたソーダを飲みながら、ハコネは笑い合う綿雲の会話に混ざって冗談を返し、笑い、とりとめのない思い付きを口にしたりする。

 綿雲たちはそれに笑ったり、わざと怒ってみせたり、自分たちも思い付きを口にしたりしてみせた―――― いつかの夕飯後の団欒のように。

 ここまで来るのに、ずいぶんと掛かってしまった。

 十一か月前、初めて完成させた装置をここまで持ってきた時に呼べたのはツガル一人だけだったが、今では六人も呼び出せるようになった。

 初めはノイズもひどく、投影機が映す靄もひどく頼りなかった。おまけに話している途中でアンテナの不具合でブツリと姿を消してしまって、その日は二度と呼ぶことが出来なかった。

 そこから改良を重ねながら少しずつ呼べる人数を増やしていき、十一か月経った今では、こうして皆の会話に耳を傾けることも、かつてのように語らうこともできるようになったのだ。

 それは何一つとして昔と変わらぬ光景だった。

 数人の欠員が居ることを除けば、あの大災害が始まる前の自分たちと、何一つとして変わらない。

 ハコネ以外の皆が綿雲の姿をしており、ハコネだけが五年と少しばかり歳を取ったこと以外は、全く以て変わらない。

 ラボの代わりにガラクタ山と草叢が広がる他は。

 時折、皆の声や姿にノイズが走ることを気にしなければ。


 ―――――― ハコネ以外の皆が、ゆうれいであることを除けば。


『ハコネ、どうした? どっか痛いのか?』

 ブルーグレイの靄を曇らせた綿雲にそう訊かれて、初めてハコネは自分が涙を流していることに気が付いた。

 おっとりとしていて面倒見が良くて、皆の兄貴分だったマツバの綿雲が、こちらの方に顔にあたるだろう部分を向けている。

 可愛がっていた妹のアリマが感染してしまったことが受け入れられず、徐々に狂暴になっていくアリマを皆から守ろうとして、バールで殴り掛かってきたあのマツバはもう居ない。皆が二人を置いて逃げる中で振り返った時に見た、涙を流しながら自分の腕を噛むアリマに崩れた笑みを浮かべていたマツバでもない。

 昔通りの、優しいマツバの声だった。

『ちょっと、泣いているじゃない! 大丈夫?』

『おいおい、どうしたハコネ』

『珍しいなぁ、何があった』

『何か悩み事? わたし達で良ければ聞くよ!』

 心配そうなマツバの声を聞いた綿雲たちが、口々に心配そうな声をスピーカー越しに上げている。


 多くの人々と同じく、ウイルスに侵され、変貌してしまったミクニやツキノセ。


 ウイルスに感染する間もなく、見ず知らずの感染者に頸動脈を噛み切られて殺されてしまったスガヤ。


 フシオは噛まれたことをずっと隠していた。様子が少しずつおかしくなってきたのに皆が気が付き始めた頃、焚火の中に飛び込んで死んでしまった。死んでから見つかった、愛用のオレンジ色のノートに記された日記には、徐々に心が壊れていく様子がぐちゃぐちゃに書きなぐられていた。イタコ・システムに入れるログに、その日記のデータを入れるのは止めてしまったから、フシオの幽霊が仮にそのことを話し出したとしても、映像や音声ではきっとうまく「翻訳」されないだろう。


 どの綿雲も、昔と変わらずハコネを心配してくれる。


 それなのに、皆みんな、ここに来なければ会えないという事実の方が、皆に会えた喜びをふとした拍子に上書きしてしまうのだ。

 ハコネ以外の誰一人として、もうこの世にはいないことだけが、不意にハコネの心を突き刺してきて、こんなにも苦しい。

 アリマやトウヤやヤマがまだ呼べないことが、呼ばなければ来ないことがこんなにも悲しい。


 二人を置いていってしまったから、マツバを噛んだ後のアリマがどうなったか、ハコネは知らない。

 きっとあの爆撃の時に、他のハコネの知らない有象無象の感染者たちと同じように、感染者になってしまったツキノセと同じように、肉体も遺さず吹っ飛ばされてしまったに違いない。

 トウヤは疑心暗鬼になる人々の衝突を止めようとした結果、倒れた建物の下敷きになってしまった。騒動が収まり、やっと瓦礫を動かせるようになったその時には、とっくに逃げることも出来ずに感染者に食い散らかされた後だった。

 ヤマは逃げた先で噛まれてからすぐに殺してくれと皆に頼んだ。既に少なくなっていた仲間の中で、皆の代わりにナイフを刺したのはツガルだ。せめて綺麗に遺体が遺されたヤマだけはと、皆で飾った身体を小舟に乗せて川に流した。


『―――――― ハコネ』

 

 ずっと黙っていたツガルの柔らかい声が、スピーカーと両耳を通してハコネの脳へと広がった。

 物静かなツガルらしく名前を呼んだだけだったが、その声の響きだけで心配してくれていることがよく分かった。


 ツガル。ハコネと一緒に、ただ二人だけ生き残った仲間。


 賑やかな仲間内で一番無口で口下手で、いつも小さく柔らかい笑みを浮かべて皆の話を聞くことが多かった。それでも時たま訥々と話してくれるアイディアは、皆に負けず素晴らしいものだった。

 ハコネと違って絵を描くのが好きで、いつもスケッチブックを持ち歩いていた。チャットログも無口でデータが少なかったから、イタコ・システムのデータベースにはツガルの描いた絵も取り込んだ。


「……ツガル、何で死んじゃったの」


 ツガル。たった二人の生き残りだったのに、自分の命を絶ってしまったツガル。

 君と一緒に、イタコ・システムを完成させられたら良かったのに。

 二人でなら、この草叢に大荷物を運ぶのもきっと楽だった。

 クリームソーダだって、カップアイスが溶け切ってしまう前に二人で飲み干すことが出来た。


「皆、何で死んじゃったんだよ」


 ミクニもスガヤもマツバもツキノセもフシオも、ヤマもトウヤもアリマも―――皆、ここに居たら良かったのに。

 焼野原になったのが嘘のように草木が生い茂ったこの草叢で、皆でラボを立て直すことだって出来たのに。

 この地を遠く離れて、一緒にどこへでも行くことが出来たのに。

 皆みんな、ゆうれいなのだ。

 ハコネ一人を置いてけぼりにして、皆死んでしまったのだ。

『―――― ごめんね』

 ビニールシートの上で膝を抱えるハコネに頭上からかけられた優しい声は、足元のスピーカー越しでしか届かなかった。

 一体どうしたというのだろう。

 本当に、皆にまた会えて嬉しいはずなのだ。

 昔と同じように会話も出来るし、今日からはツキノセにもスガヤにも会えるようになった。

 それなのに、先程から皆が自分一人を残して死んでしまっているという事実ばかりが、ハコネの心を刺してくる。

「こっちこそ、ごめん」

『ばか、何でハコネが謝るんだよ』

「だって、せっかく一ヶ月ぶりに会えたのにさぁ」

 せっかく皆に会えたのに、何でか悲しくて仕方がないんだ。

 こんな辛気臭い顔したい訳じゃあないんだ。本当は皆と昔みたいに、下らない話で笑い合いたいだけなんだ。

 小さい子供のように泣きじゃくりながら、どうにかこうにかそう伝えれば、杏色をしたフシオの綿雲が、腕らしき部分をこちらに向けてゆっくりと動かした。

 暫くそれを眺めていたハコネは、幽霊が自分の頭を撫でているつもりなのだと不意に気が付いた。

 ――――― 今の自分は、あの時のフシオよりもずっと年上なはずなのに。

 子供のように扱われていることが何だかおかしくなってしまって、ハコネは泣きながらくすりと笑いを溢した。

『お、ようやく笑ったな』

『ついでに顔も拭きなよ。今、すごい不細工だよ』

「うるさいなぁ」

 人一倍皆のことを心配する癖に、ツキノセはいつも口が悪い。今度こそハコネは声を上げて笑った。

『何かあったら、また呼んで良いんだからね』

『そうそう、あんまり一人で根詰めすぎるなよ』

「ありがとう」

『いつでも来いよ。呼べば来るんだから』

「うん」パーカーの袖で涙を拭うと、ハコネは色とりどりの綿雲たちに向かって頷いてみせた。

 綿雲たちに表情などない。

 それでも辛うじて人と分かるシルエットで頷く靄たちが、彼らのいつもの笑みで此方を見ていることがハコネには分かったから、改めて幽霊たちに笑顔で言った。

「皆、ありがとう。もう大丈夫だよ」


 ――――― 改良が、まだ必要だ。

 笑いながら、ハコネは心の中で改めて強く決意した。


 ヤマやトウマやアリマを呼び出せるようになるだけでは駄目だ。更にデータを増やそう。音声も使えるサンプルがまだどこかに眠っているかもしれない。苦手だった映像の造形にも改めて取り組んでみよう。3Dプリンターを活用するのも手かもしれない。

 もっともっと、生前の彼らに近い形にしなければならない。

 次にここに来る時には、もっと完全なる彼らの幽霊に会えるように装置を改良しなければならない―――――いつか完璧な幽霊を呼び出せるようにするために。


 

 パラボラアンテナの唸る微かなモーター音が、どこかで囀る鳥の声にかき消された。

 

  

 

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