第16話 自由間接話法について

 ずいぶん前のことですが、英語を外国として学ぶ学習者のための英文法書である『Longman English Grammar』を読み進めていたとき、"Free indirect speech" の項目に行き当たりました("Free indirect speech":自由間接話法)。英文法書に載っているとは思ってもみなかったのですが、よくよく考えてみれば、載っていてもおかしくはないということに落ち着きました。英語の小説は英語の文法にのっとって書かれていますので、外国人学習者向けの英文法書に載っていて当然かもしれないと思い至りました。


 "Free indirect speech" の説明ですが、以下のようになっていました。説明に続いて、例文が掲載されています。


『Longman English Grammar』 p.298 より抜粋:

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15.27.3 'Free indirect speech'

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The following is an example of fiction in which indirect speech is freely woven into the narrative to reveal a person's thoughts, motives, etc.:

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Opening his case he found a handkerchief inside it. It was certainly not his, for the initials M.D.B. were stitched into the corner. So that was their little game, he thought. Someone had opened his case to plant this evidence. But how did they open the case? How did they even know the case was his, he wondered, as he slowly unfolded the dead man's handkerchief.

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上述の例文を訳してみます。


【試訳1】

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スーツケースを開けた彼は、中にハンカチがあることを発見した。そのハンカチは確かに彼のものではなかった。なぜなら、隅には M.D.B. の頭文字が飾り縫いされていたためだった。これは彼らが仕組んだちょっとしたゲームなのかと彼は考えた。誰かが彼のスーツケースを開け、証拠の品をねじ込んだ。だが、彼らはどのようにしてスーツケースを開けたのだろうか。そして、どのようにして、そのスーツケースが彼のものであることを突き止めたのだろうかと、彼は、死んだ男のハンカチをゆっくりと広げながら、思いを巡らせた。

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【試訳2】

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スーツケースを開けた彼が目にしたのは、一枚のハンカチだった。そのハンカチは明らかに彼のものではなかった。ハンカチの隅には頭文字 M.D.B. が飾り縫いされていた。これは、奴らが仕掛けたちょっとしたゲームなのだろうか、と彼は考えた。誰かが彼のスーツケースを開け、証拠の品をねじ込んだ。しかし、奴らはどうやってスーツケースを開けたのだろうか。それに、いったいどうやって奴らは彼のスーツケースを探し当てたのだろうか。死んだ男の、折りたたまれたハンカチを広げながら、彼は思いを巡らせた。

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【試訳3】

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スーツケースを開けた彼が目にしたのは、中に入っていた一枚のハンカチだった。ハンカチは明らかに彼のものではない。隅に頭文字 M.D.B. が飾り縫いされているのだ。――さてと、今のこの状況は、奴らが仕掛けたちょっとしたゲーム、ということか――彼は思案した。――誰かが俺のスーツケースを開けて、証拠の品をねじ込んだ。だが、奴らはどうやってスーツケースを開けた? それに、奴らはどうやって俺のスーツケースを探し当てた? ――彼は思いを巡らせた。死んだ男のものだった、折りたたまれたハンカチを広げながら。

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例文は、ミステリー小説の一節を模したもののようです。翻訳を試みたのですが、誤訳がありましたらお許しください。いずれにしましても、自由間接話法の部分をそれらしく日本語に置き換えるのは、私の今の英語力と日本語力では不可能でした。どのように考えても、三人称に一人称が混ざったようにしかできませんでした。


 英文法書とは別に読んでいた、ヴァージニア・ウルフ作の『灯台へ』や『ダロウェイ夫人』も、自由間接話法を駆使しているとみられます。原書を確認したわけではないので確証は無いのですが、ほぼ全ての登場人物たちの心情が書かれており、それらの部分が自由間接話法を使用しているとみられます。読み進めていると、時折、これは誰の心情なのかと混乱してしまい、前に戻って確認することがありました。おそらく、それが作者の狙ったところなのでしょう。


※『灯台へ』や『ダロウェイ夫人』では、文字充填率一〇〇パーセントの状態(ページが全て文字で埋め尽くされている状態)が頻出します。複数の登場人物たちの心情が書かれている、しかも、時折、混濁して書かれている、という点でも、この書き方は現代日本の新人賞などでは即座に落とされるかもしれません。


※『灯台へ』も『ダロウェイ夫人』も、ストーリーの進みは非常に遅いです。ストーリーそのものは無いのかもしれません。


 間接話法や時制に関する文法が英語ほどには厳しくない日本語に於いて、自由間接話法を使用するのは、不可能ではないにしても、困難だという印象を持ちました。日本語で自由間接話法を表現するのであれば、ダッシュ ”――”や、かっこ ”()”で囲み、囲んだ部分は直接話法のように書くのが無難かもしれません。また、自由間接話法の部分については、その人物の動作なり仕草なりを描写する部分に埋め込んだほうがよいと感じました。自由間接話法の部分のみを改行した部分に記述すると、そこだけ一人称が混ざったように見えてしまうと思います。加えて、初心者のうちは手を出さないほうが無難だとも思いました。ありきたりの結論ではありますが。



参考文献:


『Longman English Grammar』/著: L. G. Alexander/Longman


『灯台へ』/著:ヴァージニア・ウルフ、訳:御輿哲也/岩波文庫

『ダロウェイ夫人』/著:ヴァージニア・ウルフ、訳:丹治愛/集英社文庫


『物語論 基礎と応用』/著:橋本陽介/講談社選書メチエ

『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』/著:橋本陽介/新潮選書

『ナラトロジー入門――プロップからジュネットまでの物語論』/著:橋本陽介/水声社

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