最終日(1)

 急に、フロアを埋めつくしていたビートが止み、僕は目を覚ました。ガヤガヤという話し声だけがフロアに響いていた。どうやらイベントは終了したようだった。

 スマホを見ると午前五時だった。須賀君にひとこと挨拶をしてから帰ろうと思い、彼を捜すと、DJブースの所で、スタッフらしき人と機材をばらしているのが見えた。須賀君は僕を見つけ、機材を扱う手を止めて、笑顔で片手をぶうん、と一振りした。僕も手を振り返した。とても楽しそうだった。

 須賀君は本当にクラブミュージックやDJが好きで、今まさにそれに接しているのだ。彼がうらやましかった。僕はフロアを出た。


 早朝の渋谷駅前交差点は、それでもかなりの人通りだった。ホームレスが寒そうにしながら、ビルの前に出されたごみ袋を漁っているのを眺めながら、ぼんやりと、渋谷のホームレスは田舎のホームレスよりも偉いのだろうか、と思った。

ソファで寝ていたので、首回りの筋肉が少しこわばっていた。眠気はあまり感じなかったけど、自販機で温かい缶コーヒーを買って飲むと、すこしほっとした。そしてもう必要無い気もしたけど、渋谷駅のコインロッカーに寄って、預けたカバンを取り出した。


 今日が東京に来て四日目だということは、わかっていた。つまり、この朝が最後の朝ということも、わかっていた。特別何も思わなかった。ただ正直に言えば、ほんの少しだけ、九州の自宅に帰りたいと思っている自分がいて、意外だった。けれどそれはただ、東京の人の多さに疲れたという事なのだと思う。九州の自宅に帰り、一息ついた後の自分の生活を想像してみると、やっぱり帰りたくないな、とも思った。

 僕が訪れてみたい場所は、あと一カ所だけだった。それは湘南海岸だ。

 僕にはすごく好きな映画があって、それは耳の聞こえない青年がある日、捨ててあったサーフボードを拾い、それがきっかけでサーフィンを始めるという映画だ。その映画の舞台が湘南海岸で、だから僕はいつか、行ってみたいと思っていた。

 湘南海岸は東京都ではなく神奈川県にある。渋谷からだとけっこう時間がかかるかと思っていたけれど、二時間くらいで藤沢まで着いた。藤沢から江ノ島電鉄に乗り換えればもう、湘南海岸である。


 藤沢駅前で軽く朝食をとった後、江ノ島電鉄に乗った。

 車内はガラガラだった。ガタンゴトンと、海岸線や、海沿いの古い民家の合間を、自転車並の速度でゆっくりと走る。

 時折、車窓から見える海岸線は、ぬけるような青空だ。

 江ノ電を、七里ヶ浜駅で降りた。乾いた海風が吹いて、ばさばさと髪の毛が揺れた。

 海岸線を走る国道沿いにコンビニが見えたので中に入った。店内は、強い日差しがガラスを透過して降り注ぎ、スポーツバックを持った高校生達の笑い声が響いていた。死とは最も遠い空間のように思えた。まるで自分が死神になった気分だった。そこには明るくて陽気で前向きなエネルギーが満ちあふれていたのに、僕だけが死の影を背負っていた。僕はパックのコーヒー牛乳を買って店を出た。

 コンビニの前はもう砂浜だ。

 以前からいろいろと情報を集めていたので、実際に、あまり綺麗とはいえない湘南海岸も、それほど落胆はしなかった。

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