紙とペンと密室と

@nakamichiko

紙とペンと密室と



 先生だから許されることだとは思う。

きっと生きていたならばノーベル文学賞を受賞したであろう、安部公房氏が原稿をワープロで書き、そのデーターを受け取った編集者が「嫌そうな顔」をしたという。手書きが主流で、直筆原稿が価値あるものとして見られていた時代、だがそれから五十年もたたずに主流は逆になり、先生のやっていることは迷惑な事になってしまっている。

だから編集者としての僕の仕事は、まず先生の直筆原稿をデーター化すること。小さな出版社にとって、昔は大ベストセラー作家で、今はうちでしか作品を発表しない稼ぎ頭には、当然といえば当然の待遇だった。だがその人に起こった最大の悲劇だった。


「本当に何もない書斎ですね・・・ホテルみたいだ」刑事さんは僕に言った。

「そうなんです、昔ホテルに缶詰めになって書いていたからだろうって先生がおっしゃっていました。でも別室には本も資料も沢山あって、それからここに籠るという感じです」

「で、お亡くなりになる前の日もあなたはここに? 」

「ええ、今度の作品のことで」

「先生がかぶさっていた原稿の物ですね」

「そうです・・・その・・・死ぬならここで死にたいとはおっしゃっていましたから」

「服毒自殺ですかね・・・体調もお悪かった、身内の方は本当にいらっしゃらなかった? 」

「それが口癖で、自分はお会いしないままに奥様も亡くなられていて、お子さんもいらっしゃらない。身内の方たちも短命でいらっしゃって「相続する権利のものがいないから、生きているうちに使う」という考えの方でしたから」

「いろいろな薬で、副作用もおありになったようですね」

「ヘビースモーカーでお酒も大好きな方でしたから」


するとまた別の男が部屋に入ってきた。


「すいませんね、調査に協力していただいて」その男にみんなは会釈をしたので彼がこの中で一番偉い人なのだろうとわかった。

「あの、最近変わったことはありませんでしたか? 」

「変わったこと・・・体調が前よりも悪くなったって」

「いえ、そう言うことではなくて、小さなことです」


「小さなこと?」


「色々調べて見てわかったんですが、先生にはどうもゴーストライターがいるのではという噂が絶えませんでしたね」

「あの・・・それは大きなことですし、このことは噂でしかない。そうされていたとしても僕たちが何も言えることではないんですよ」

「それはそうです。まあ、例えば万年筆が変わったとか」

「ああ・・・そう言えば・・・長年使っていたもののペン先が折れて新しいものを使っていらっしゃいましたね」

「そうでしょ? でね、デスクの中に柄はあるんですがペン先がないんですよ。置いていた形跡はあるんですが」

「あれ十八金ですから誰かにあげたとかじゃないですか?」

「あなたは? 」

「僕は知りませんよ! 」

「そうですか、それではご協力ありがとうございました」僕は仕事に戻った。




 先生の葬儀はとても簡素なものだった。年配の作家でもあったため、同志たちはほとんど先に逝ってしまっていたし、他社の編集者もそうだった。ほとんど我が社の人間だけで火葬をすませ、本人の希望通り奥様と一緒に葬られた。


「ああ・・・終わったな」


僕は自宅に帰り、喪服を脱いでいた。そして誰もいない部屋を少し見渡し、胸ポケットから少し灰のかぶったものを出した。それは少し色が変わった金色の小さなペン先だった。


「幸せでしょう・・・先生。オブラートという紙に包んだペン先と一緒の毒薬だ。あなたの商売道具で旅立てたのですから。喉を広げる薬を前日に無理やり飲ませたのは不愉快だったでしょうが」


その時の自分の顔はどんな風だったのかはわからない。でもそのあと呟いた。


「でもこの事を、僕は一生背負って生きていくのだろうか・・・」


この言葉のあと、パトカーのサイレンがどんどん近づいてくるのがわかり、多分、丁度僕の家の前で止まった。

何となく解放された気がした。




「結局、第一発見者が犯人で、ゴーストライターで、ですか・・・なんだかあっけないですね」

「そうかな・・・でも事前にパソコンを処理して自分の作品が作られた日時を隠ぺいすることもしていたからね」

「あれこそ家宅捜索ですよね、小さなUSBを犯人の家から探し回って。でも何故それだけは残したのでしょう。それに後もう少しすればあの作家だって亡くなったでしょうに。そうなれば彼だってデビューできたはずですよ」

「それはわからないよ、でも大変だったと思うよ。自分がパソコンで書いたものをプリントして先生に渡す。それが修正されて帰ってくる。時にはほとんど変わった状態で。そうするとまた打ち込まなきゃならない。修正するよりそちらの方が早かったんだろう。だが心に突き刺さるような二度手間だ、さらにその本が売れたら、そこで感じたのかもな「ああ、この人の方が力がある」って。どちらかと言うとそれに負けたのかもしれない。双方楽ができると思ったら、案外そうでもなかったんだろう? だからギクシャクし始めて挙句の果てだ。まあ、楽な道ってないんだろう、小説家になるのは」


「そうですね、でも無事解決ですね」

「だが、あんまり気分は良くないね。酒の量が増えそう」

「今度から言い方変えません? 般若湯って」

「確かにそっちの方が飲み過ぎに注意できそうだ」


現代ならではの形の事件と、言ったところかもしれない。



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