紙とペン、そしてオリジナルの1ワード

因幡寧

世界の救い方

「ここに、紙とペンがある。これで全世界を救うには、どうしたらいいと思う?」


 放課後のの教室で、頭のおかしい誰かがそう言ってきた。その人の名前を僕は知らない。ただ、変わった人だということは今知った。


「……それだけじゃ無理でしょ」


 もちろん答える義理なんて少しもなかったはずなのだけれど。ただなんとなく、たまには混沌に満ちたことだってやってみてもいいかななんて、そんな人間特有の思い付きによる気まぐれとかいうなにかに従ってそう答えた。


「じゃあ、何か一つだけなら足してもいいよ」

「それは譲歩? 君は何? どっかの神様?」

「神様じゃないよ。ただ純粋に好奇心から、こういう質問をしてるのさ」


 それはまあずいぶんと……。と思った。口にはしないけど。僕にはこの人に付き合ったことを少し後悔するような感情が浮き上がっていた。でも、それだけだ。ここから離れるにはそれだけじゃ足りない。


「そもそも、何から世界を救うの」

「何からなんて決めてないよ」

「じゃあ世界は救えない。なぜなら世界が不幸じゃないから」

「なら、不幸にして、それから救えばいい」

「条件は同じで?」

「条件は同じで」


 紙とペン。それと何か。それで世界を不幸にして、それで世界を丸々救う。


「じゃあこういうのは? ある天才的な小説家一人が、読んだ人すべてを悲しませるお話を書く。そんで、その続編でそんな悲しみすら乗り越えられるほどの飛び切りのハッピーエンドを書くんだ。それを、全世界で売り出して、大ヒット作にすればいい」


 適当なことを言っている自覚はあった。その変な誰かさんも、適当なことを言っているなと感じたに違いない。


「……それじゃあだめだよ。紙とペンそれに天才小説家。まあ、本を紙とするかも少し危ういけど、何よりも駄目なのは売り出してる何らかがいること。三つだけじゃないじゃん。四つじゃん」

「あーえっと? じゃあまずレギュレーションを確認しよう。紙とペンと何か。これで世界を不幸にして、それから救う。だったらこの世界ってのはどんなものを指してるわけ?」


 少し考えるそぶりがあって、頷く。


「そりゃあ今この世界だよ。この場所。ここから地平線のその先まで広がってるその世界」

「なら、出版社はあるでしょ。それが何で四つ目になるの。ようはこの世にない紙、ペン、何かを追加してこの世界を救えるかを聞いてるわけでしょ?」

「そう、まあそういうこと。その三つは前提なんてすっ飛ばしてもいいけど、でも、全世界で売り出されるなんてこと、いくら天才小説家だって無理だよ」

「それは、それほどまでに天才だった。で事足りるでしょ」

「……そうかも。でも、この世界にはたくさんの言語がある。天才小説家の小説を正しく世界に伝えるには、天才翻訳家も必要なんじゃない?」

「うん? まあ、一理なくはない、かも?」

「一理あるよ。絶対に」


 その自信に押されてか、それとも自分を少しでも疑ってしまったからか。とにかく、僕は他の方法を考えることを始めてしまった。変な誰かは、そこらの椅子を引いて座る。


「……言語が壁になるなら、絵なら」

「天才芸術家が、世界を不幸にする絵をかいて、その後に世界を救うような絵を描けばいいって?」


 肯定する。その変な誰かは少しばかり呆れたような顔をして、首を振った。


「それも駄目。小説家の時も言おうと思ったけどさ、創作物は全世界の人間に絶対に見られるなんてことはありえないんだよ。ずっと目が見えない人もいる。耳が聞こえない人もいる。作り物である以上、それは五感に訴えかける物で、人間である以上、それらが完璧に存在していない人だっている。そうでしょ?」

「つまり、君が言う世界ってのは人類のことをそういう風に言ってると」

「そうだね。世界に人類しか確認できていないという前提のもとにある世界だね」

「まさかとは思うけど、世界を不幸にする、救うって言うのは全人類のことを言ってるのか。百パーセントか」

「そう。百パー。一から十まで。細大漏らさず」


 頭が痛くなってきた。


「それは無理だ。世界は救われっこない。理由は世界を不幸にできないから」

「お手上げってことでいいの?」

「いいよ。そもそもこんなもの机上の空論だ。砂上の楼閣だよ」


 名残惜しそうな顔をして、その変な誰かは立ち上がる。


「それで? 一応これに答えは用意してあったわけで?」

「答えなんてないよ。自分の考えってやつはあるけど」

「ほー。それは、聞かせてもらいたいものだね」


 紙とペン。それと何か。それで世界を救う方法。


「紙にこう書けばいいんだよ。『どうか神様世界を救ってください』って」

「紙とペン、それと神様ってことか? ああ、それもありか」

「違うよ。この考えは最初からあったやつ。『もう一つの何か』は後から追加したものでしょ?」

「――はぁ?」


 教室の入り口で、こちらを見ながら当たり前のようにそう言ってのける変な人。


「神様はいるよ。絶対に。だってほら、信じてるから」


 呆然と立ち尽くす僕に、その人は振り返ることはなく……。


「変な人だ」


 そんな呟きだけ、かすれて消えた。

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