第二章 妹と同居人 (2)

 ファミレスでは二十代後半ぐらいの大人しそうな女性と、十代の無闇に元気そうな女の子が待っていた。食事はほぼ終わりかけのようで、女の子の方が話しているのを、女性が楽しそうに聞いている。

「沙耶、真緒ちゃん」

 円が声をかけると、二人が顔をあげる。

「お疲れさま」

 二十代の女性の方、大道寺沙耶が微笑んだ。その隣に、円は腰をおろす。

 向かいに座っていた女の子の方、神山真緒は、円の後ろにいた隆二の姿を上から下までざっと見回す。点検するように。

「してないだろ、怪我」

 それに呆れたように隆二は言うと、隣に座った。

「お前さ、心配しすぎ。平気だって」

「隆二は自分の心配をしないから、あたしが代わりに心配してあげてるんでしょ?」

 少し怒ったような言葉に、

「なんだそれ」

 ふっと笑うと、真緒の髪をくしゃくしゃっと撫で回した。まだ何か言いたそうだった真緒だったが、それで毒気を抜かれたのか、

「おつかれさま」

 それだけ言った。

「あー、お腹空いた」

 そんなやりとりを尻目に、円がメニューに手を伸ばす。

「肉食べたい、肉」

「神山さんは、どうします?」

 メニューを、沙耶が手渡そうとするのを、

「俺はいいや。コーヒーで」

「いいの?」

「お前、その分、デザートも頼ませて貰えば?」

「おごり前提なのね」

 隆二の言葉に円が苦笑する。

「仕事後の打ち合わせも兼ねてるんだから、そっちの経費だろ?」

「まあ、そうね」

 円は苦笑したまま一度頷くと、メニューと円と隆二を順番に見比べる真緒に、

「どうぞ、好きなデザート頼んで」

「ありがと」

 嬉しそうに笑うと、沙耶からメニューを受け取り、デザートのページを眺めはじめる。

「沙耶もなんか頼めば? デザート」

「円姉のおごり?」

「しょうがないからね」

「やった」

「沙耶はどうする?」

 真緒が沙耶にも見えるようにメニューを広げ直し、パフェがいいだのケーキがいいだの言いながら選び始める。

 隆二はそれを少しだけ微笑みながら眺めていたが、

「……何?」

 向かいの円が、そんな自分を面白そうに見ているのに気付き、笑みを引っ込めた。

「別にぃ?」

 愉快そうに語尾をあげた円の返答に、気恥ずかしくなって視線を逸らす。

 全員が注文を決め、頼んだものが揃うまでは当たり障りのない話をしていたが、

「ご注文は以上でお揃いですか?」

「はい」

「ごゆっくりどうぞ」

 伝票を置いて店員が去ると、

「さて」

 少しだけ円が真剣な顔になる。目の前にはハンバーグセットが置かれてるけど。

 円が仕事の話をするつもりになったことを察すると、沙耶は机をトントンと右手の甲で二回叩いた。薬指の指輪が少し高い音を立てる。

 次の瞬間には、店内のざわめきが遠くなった。軽い結界。こちらの声も、周りには聞こえなくなる。

「あんた、いつの間にそんなもの使えるようになったの?」

 意外に思いながら尋ねると、

「なんで円姉は使えないの? 次期宗主でしょ?」

 冷たい目で見られた。墓穴を掘った。

「そういう細かいの苦手なのよねぇ」

 言い訳がましくつぶやくと、隣からは呆れたと言葉が返ってきた。

「さて、食事をしながらだけど、軽く状況整理しましょうか」

 ハンバーグを切り分けながら告げると、

「緊張感がないねぇ」

 コーヒーカップを持った隆二が苦笑する。

「隆二にだけは、緊張感がないとか言われたくないと思うよ」

「俺も、真緒にだけは言われたくないな。っていうか、貸せよそれ」

 ナプキンで包まれたパフェの長いスプーンとフォークを開こうと苦戦している真緒の手から、それをひったくる。

「ほら」

「ありがと」

 それを左手で受け取ると、真緒はパフェに向き直る。

「器、倒すなよ」

「わかってるってば」

 右手の甲でパフェグラスの底を押さえると、嬉しそうにてっぺんのイチゴから食べだした。

 神山隆二の同居人、真緒の右手は義手だ。見た目を補う意味しかもたないそれは、物を押さえる程度にしか役に立たない。三年ほど前、とある事件で右手を失って以来、不器用ながら左手だけで生活しているが、未だに完全とは言えない。

 左手だけの生活に慣れていない理由は他にもあるが、今のように隆二が知らず知らずのうちに世話を焼きすぎているのだろうな、と密かに円は思っていた。まあ、本人たちがそれでいいのならば、外野の自分が口を挟むことじゃないが。

 苗字は一緒だが、隆二と真緒に血縁関係はない。ややっこしいからと、便宜的に隆二に合わせて神山を名乗っているだけ。それを言うなら、隆二も真緒も本名ではない。

 訳ありの二人だし、円も彼らのことを全て知っているわけではない。それでも、一つだけよくわかっていることがあった。建前上は同居人だが、二人の間にある絆はそれだけではないということ。お互いがお互いをとても大切に思っている。真緒は隆二が怪我をしたりしていないか、やたらと心配している。隆二も表面上は面倒くさそうな態度を取っているが、先ほどの電話をしていた時やデザートを選んでいるのを眺めていた時のように、真緒には優しい顔を向けている。根はいい人なのだ、神山隆二は。

 改めてそのことを確認しながら、

「今日倒したものだけど、あれメインじゃないわね」

 円は仕事の話を始めた。

「だな」

「これで四回目だっけ?」

 チーズケーキを食べながら、沙耶が首をかしげる。

「そ。本当嫌になっちゃう。神山さんも、何度も呼ぶことになって申し訳ないし」

「俺は一回ごとに金もらえるから、それはそれでいいけどな」

「本気? 気を使ってくれてる?」

「ほぼ本気。あんたの護衛はそんなにすることないから。一人でちゃっちゃか片付けてくれるし」

「あ、でも神山さん。円姉は一人でちゃっちゃかやって、調子に乗って失敗……まではいかないけど、勝手に窮地に陥ることがあるんで。調子乗ってるなと思ったら、止めてください」

「ちょっと、沙耶……」

 真剣な言い方に、思わず嫌な顔を向けてしまう。人のことをなんだと思っているのか。

「事実でしょ? 直兄も同じこと言うと思うよ」

 いや、まあ確かに、調子に乗って失敗したこともあるけど、

「それは、昔の話でしょ? それこそ、高校とか……まあ、大学の時とかもちょっとなくはなかったけど」

 あれはギリ成人してたっけ? と記憶を辿る。

 隣の沙耶は冷たい目を向けてくる。

 血の繋がりはないけれども、円が中学生のとき、沙耶が小学生のときからずっと一緒に過ごしてきた。姉妹といっても過言ではない。そんな彼女は円の失敗もいろいろ見てきている。

 だから強くは言い返せないけど、

「でも、私もう、三十二だし。そんな昔みたいなことはないって」

「三つ子の魂百までって言うしね」

「ああいえばこういう……」

「あー、調子乗ってるかは知らないけどさ、ヒールはやめとけよ」

 つまらなさそうな顔で隆二が言う。

「そりゃ、今日踏み台にしたのは悪かったわよ」

「それはいいんだけど。足元不安定だろ、それじゃ」

「うわっ」

 そっと机の下を覗き込んだ沙耶が、

「それ履いて仕事してたの?」

「履きなれた靴の方がいいでしょ?」

「何センチ、それ?」

「十二センチ」

「ばっかじゃないの?」

 心の底から呆れたように言った。

「え、今日、山だったんじゃないの? それで行ったの? それで刀振り回してきたの?」

「別に慣れてるからそんな困らないのに」

 でもまあ、そんなに言われるなら仕方ない。

「次は八センチとかのにしとく」

「スニーカーとかにしなよ……」

 沙耶がため息をついた。

「あーもう、話先に進めるよ」

 これ以上小言が続かないように、強引に話を戻す。

「本体から発生した雑魚しかいないし、壺を盗んだ犯人も見つからない。正直、後手後手になってるのは否定できないわね」

「そうだな。とはいえ、調べてるんだろ?」

「一応ね」

「じゃあ、盗人が見つかるまでは対処療法しかないだろ。仕事なら、ちゃんと受けるし」

「ありがとう」

 円の生家である一海家は、代々お祓いを生業にしている。円はそこの跡取り娘だ。

 基本的には実体をもたない人霊を相手にすることが多いのだが、半年前、一海の蔵が荒らされたことで事情が変わった。蔵に保管してあった、化け物を封印していた壺が盗まれたのだ。一世紀以上前に封印された化け物たち。それらはまだ、人の世に怪異が近く存在していた時代のもの。先ほどのように、実体を伴うものが多い。

 盗んだのが誰なのか。厳重な呪術的警備を施されていた蔵にどうやって侵入したのか。その謎はまだ解けていない。

 それでも、その盗んだ存在は、壺の中身を世に放っている。それだけは確かだ。

 放置しておくことはできない。だから、円は放たれた化け物たちを退治することにした。その際、知り合いである神山隆二に声をかけた。彼の特異な体質で護衛をしてもらうために。

 壺の中にはいくつかの化け物がいた。それらは中で変化を遂げていたものもいたようだ。今回のような雑魚を分身として出現させている。細胞分裂のようなものなのか、化け物同士で子作りでもしたのか。詳細はわからない。

 ただただ、円と隆二は、出現情報をもとにそれらを退治して回っていた。

「本体っていうのも、一体じゃないんだろ?」

「残念ながらそのとおり。まあ、本体自体が雑魚いやつもいるし、いくつか既に他所に退治されたものもあるけど」

 まったく、頭が痛い。

 現代の拝み屋業界は縄張り意識が強い。フリーランスも増えてぐっちゃぐっちゃして、少ないパイをとりあっているから、他人の足元をすくおうとしているやつらも大勢いる。そんな中で壺を盗まれたことも、その中身を他所に退治されたのも、一海という一族にとっての大きな痛手だ。まあ、今までも無茶をしてきたし、これぐらいの失態がリカバーできないほど弱小ではないが、それでも。

「対処療法にしても大きな被害が出るまえになんとかしなくっちゃ」

「難儀だねぇ」

 つまらなさそうに隆二がつぶやくと、コーヒーに口をつけた。

 その他人事っぽい姿勢に一瞬イラっとしたが、よくよく考えてみればこの男にとって他人事なのは間違いなかった。完全なる部外者なのに、手伝ってもらっているだけなのだから。お金と仕事の関係だ。

「まあ、何度も言うようだけど、仕事ならちゃんと引き受けるから。変な物の怪にウロウロされたら困るっていうのは、こっちもあるしな」

「ええ、またお願いするわ」

 お金と仕事の関係だが、きちんと引き受けてくれていることに感謝はしている。

 そのあとは、どうでもいいような世間話になる。真緒が食べ終わり、しばらくしたところで、

「じゃあ、そろそろ行くか」

 隆二がつぶやいた。

「ホテルまで送ってこうか?」

 居住地が遠い彼らは、東京で一泊するはずだ。

「いんや、大丈夫。またよろしく」

 毎回一応、送迎を申し込むが、なんやかんやで断られている。きっと、円に泊まる場所を知られたくないのだろう。

「沙耶、今日はありがとう。またねー」

「うん、またね」

 にこやかに真緒と沙耶が手を振り合う。それから真緒は、

「ちょっと、隆二。待ってよー」

 一人でさっさと歩いていく隆二を追って、小走りに外に出て行った。

 それを見送り、

「沙耶、悪いわね。真緒ちゃんの相手頼んで」

 隣の沙耶に声をかける。円たちの仕事に真緒を連れて行くわけにはいかない。だが、心配性の隆二は真緒を一人にすることを良しとはしない。仕方なく、二人が仕事の間は沙耶に真緒と一緒にいるように頼んでいる。

「何言ってるの? だって、真緒は友達だよ?」

 円の謝罪に、沙耶は屈託なく笑う。

「そうね」

 それに微苦笑を返す。ちょっとひねくれて、歪んだところがあるこの妹の、数少ない友達が真緒だ。自分の発言は失礼なものだったかもしれない。

 長い付き合いだ。いくつになっても妹だと思っているし、頼りない部分もあるが、円は沙耶を信頼している。そして信頼している彼女が真緒のことは友達だという。その真緒が信頼している隆二のことは信頼できる。

 遠回しだけど。

「難儀よねぇ」

 ああ、これはあの人も言っていたな。そう思いながら、小さく呟いた。

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