杉野颯太Ⅳー3

 内部はまったく違ったものだった。黒い壁が高くそびえ立ち、迷路のように入り組んでいた。当然のごとく化け物とも遭遇し、ときには奇襲で、ときには正面衝突でぶつかり合いながら、先へ先へと進攻していった。


 だが、いくら化け物を倒してもゴールは見えず、さらに空気は軽くなるどころか、より一層重くなっていった。


 煙が波のように押しよせ、水中を歩いているように抵抗がのしかかる。あらゆる動作が緩慢で鈍くなりはじめていた。それでもジャングルの生い茂った草木をかきわけるように、遅々としながらも前へと進み続けた。


 呼吸は荒くなり、頭痛がする。胃の中のむかむかは絶え間なく渦巻き、ひっきりなしに嘔吐を呼び起こそうとしている。なぎさも気分が悪いのか、口数が少なく、表情も芳しくなかった。


「なぎさ、だいじょうぶか?」


「うん……」


 返事とは裏腹に、その声は弱々しい。

 

 颯太は懐中電灯でいま来た道を照らした。地形は複雑で、どういうルートを通ってここまで来たのかさっぱりわからなかった。引き返すこともできない。淀んだ暗闇が、不安と焦りをますます増長させた。光に当てられた部分が生きているかのごとく、静かに脈打った。


 今後の行動に迷い、気持ちが大きく沈みこんでいる2人を見かねてか、神那がなぎさの前にかがみこんだ。彼はそっと手をなぎさの頬に寄せた。淡い金色の光が粒子となって、彼女に降り注がれる。


 「愛ちゃん……?」


 不思議そうに神那を見つめていたなぎさだったが、体調の変化を実感したのか、確認するように自分の胸をさすると、軽く腕を振った。


「体が軽くなった……」


 その様子に満足すると、今度は訝しげにそれを眺めていた颯太の元に行き、同様のことを行った。 


「何したんだ、神那? 吐き気が止まったぞ……」


 さきほどまでとは打って変わって身軽になった体に戸惑いながらも、颯太は驚きを隠せなかった。


「やっぱり愛ちゃんってすごい! なんでもできちゃうんだね!」


 自由になったことが嬉しいのか、なぎさは軽快なステップを踏み、飛び跳ねはしゃいでいる。


「おい、あたりは暗いんだから、そんなに動いたら危ないぞ」


「だいじょうぶ、安心して——」


 そうなぎさが言いかけた時だった。叫び声とともに、彼女の姿が視界から消えた。何事かと目を凝らしたら、前方が斜面になっていた。おそらく足を踏み外し、滑り落ちたのだろう。


「なぎさ!」


 姿の見えなくなったなぎさの姿を確認するように、颯太が呼びかける。


「おい、なぎさ。聞こえるか!?」


 底のほうで「だいじょうぶー」というなぎさの声がした。どうやら無事らしい。ほっと胸をなでおろす。坂はそこまで急というわけではない。颯太は神那と顔を見合わすと、なぎさの後を追うようにその斜面を滑り降りた。終着点のすぐ先になぎさは立っていた。


「ケガはないか?」


「だいじょうぶ、運動神経だけはいいから」


 茶目っ気のある表情で親指を立てた。


「あいかわらずだな」


 場の緊迫感と似つかわしくないその動作に、颯太はおかしさがこみ上げた。


「それしか取り柄がないからね。それに、この姿だと足は当時のままみたいだから」


 ほころんだ表情が一瞬でかき消され、颯太は真顔になった。転校してきた日の車椅子姿のなぎさが浮かび上がる。それは眼球に張り付いた乾ききったコンタクトのように、いくら擦っても離れることはなかった。


 ——事故で、もう満足に歩くこともできなくなったんだよ。


 優花の言葉が思い出される。颯太はぐっと踏み込んだ足に力を込めた。


「もし歩けなくなっても、俺が運んでやるよ」


 なぎさはその颯太の言葉が意外だったのか、瞬きを忘れたかのように目を大きく見開き、そしてすべてを理解したかのように顔をゆがめると、颯太の背中をパーンと叩いた。


「なんだよ、痛ぇな……」


「しっかりか弱い乙女を守りなさい!」


「どこにか弱い乙女がいるんだよ」


「ここにいるでしょ」


 そう言ってなぎさは白い歯をのぞかせた。


 俺やなぎさがふざけあい。優花や秀一がそれをなだめる。


 ほんの数年前まで、毎日やり取りされていた光景だった。あの頃はあれが当たり前で、ずっと続くものだと思っていた。夜が訪れ、また朝が来るように、それは変わらない出来事だと信じていた。


 どうしてこうなってしまったのだろう。


 もうあの日に戻ることは、絶対に不可能なことなのだろうか。

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