82:ボクのヒーロー=わたしのキラキラ
着膨れの怪物と化した魔人アラトが、瓦礫の上からびょんっと跳躍する。空中でぐっと振りかぶった触手束の腕が、一瞬にしてその質量を何倍にも膨れ上がらせる。
「逃げ――」
愁はとっさにギランを抱えて後ろに【跳躍】する。同時に触手腕が地面に突き刺さる。
ズグッと腕が蠕動し、衝撃を伝える。爆ぜた地面がせり上がって波紋となり、あたりを薙ぎ払う。
直撃を避けた愁だが、衝撃波のあおりを受けてバランスを崩し、地面に落ちて転がる。
「……マジかよ……」
吹き飛ばされた霧の代わりとばかりに、もうもうと土埃が立ち込めている。アラトを中心に石畳が消し飛んでいる。ありえない、まるで少年マンガのような光景だ。
『うぐっ、ぐぷっ』
アラトが苦しげに背中を蠢かせ、三日月型の口から体液をこぼす。タールのような粘ついた液体がしゅうしゅと湯気をたてる。
『あ、があああああっ!』
触手腕が身体中を掻きむしる。体液がぼたぼたと撒き散らされる。
「……覚醒体、完全とは程遠いようだな……あれでは魔人病と変わらん……」
愁のかたわらでギランが肘をついて起き上がろうとしている。
「……まだ、勝機は、ある……」
「いや、つっても……あのバカげたパワーっすよ……?」
「〝菌石〟を壊すんだ……それ以外に、やつを殺す手段はない……」
クレは離れた場所で倒れたままだ。双子も、ボロボロになった姉を妹とショロトル族が物陰のほうで介抱している。ギランもこのとおり満身創痍。
(あのバケモン相手にタイマン?)
(さすがにちょっと無理ゲーじゃね?)
とはいえ、選択肢は他にない。この悪夢のような状況を終わらせるには、愁たちか魔人か、もはやどちらかが死ぬしかない。
ギランがごそごそと懐を漁り、小さなキノコをとり出す。しめじ一片ほどのサイズの、真っ赤なキノコだ。
「アカウシタケ……滋養強壮と疲労回復、それに精神高揚の効果もある……私の最後の切り札だが、君が食え」
赤い牛、レッドブ……大丈夫かそれ。特に精神高揚が怖い。
ギランの真剣な表情に断るのもアレなので、しかたなくもらっておく。噛むとぐにゅっとして変に甘ったるい。
「ちなみに……一本百万円……」
「なんで食ってから言うの?」
売買契約は成立していない。いざとなったら高裁まで争ってやる。
「……すまない。だが……みんなを救うにはそれしかない」
「……わかってます」
今は物陰に隠れている二人のことを思ったからか。それともキノコの効果か。
胃の中が熱くなる。その熱が全身に伝わっていく。
気怠さが霧散していく。力が戻ってくる。
(なにこれやばい)
抑えないと背中を破って翼が生えそうな高揚感。なのに視界が妙にクリアで怖いくらいだ。
覚悟は決まった。キノコでキマった感もあるが、そこはもう考えない。
(やるしかないなら、やるしかないんだよな)
『げふっ、げふっ……ああ、〝糸繰士〟くん……まだ、形がある……』
「なかったら困るわ」
互いの距離五メートルほどまで近づき、愁は足を止める。両手と菌糸腕に【戦刀】を抜いている。
『この身体になったの……二度目……楽しい、気持ちいい……醜い、気持ち悪い……』
殺気が目に見えるほどに膨らんでいく。
『……ああ、お腹空いた……吐きたい……』
愁は起こりを見逃すまいと目を瞠り、わずかに膝を屈める。
『胞子嚢……ほしい……〝糸繰士〟の胞子嚢……ほしいのお……ほぉおおしのおぉおおおっ!!』
空気を震わせる絶叫とともに触手腕がうなりをあげる。
風圧だけで肌を削られそうなそれをかいくぐり、愁は懐に飛び込む。
「――やらねえよ!」
胴薙ぎの一撃から連撃をつなげる。全部綺麗に入る――が思った以上に肉が厚くてかたい。
『だばああああああっ!』
無造作な触手腕の振り回し。先端が伸びて地面を薙ぎ払う。後ろにかわしていたら終わりだった。
「おおおおおっ!」
おたけびとともに打ち終わりの隙をついた連撃。【光刃】も気合も全部載せだが、ダメージが奥に届かない。
『つぅううかまえたぁあああああっ!』
触手を網のように広げて地面を引っ掻く。これもギリギリで回避。かすめた腕がざっくりえぐられている。
「っぶねえなもぉおおおっ!」
覚醒体とやらになって、パワーとタフネスは絶望的なまでに向上している。
攻撃は鋭く重いが、無思慮で大雑把だ。つけ入る隙は残されている。
体格差が大きい、頭へ叩き込むには相手の動きを止めなければ。
致死性の一撃がほんの数センチ横を通りすぎていく。
風圧と余波だけで骨まで軋み、身体の芯に痛みを蓄積していく。
冷や汗がにじんだそばから蒸発して熱を奪っていく。
この醜い化け物の一挙手一投足から目を離せない。離せば一瞬にしてすべて持っていかれる。
一発くらえば即終了の死にゲー。
しかも愁の攻撃は効いているのかどうかわからない理不尽仕様。
何発、何十発と斬りつける。手応えは握りしめた拳にのみ伝わる。
アカウシタケの効き目が切れてきた気がする。
息が上がり、視界が曇り、体力の消耗を無視できなくなっていく。
それでもアラトは崩れない。止まらない。
大量の体液をぶちまけながら、それでもくすぐったそうにわずかに身をよじるだけだ。
(それでも)
前に出るしかない。間合いが離れれば一方的な嬲り殺しだ。
飛び込んだ懐にしか活路がない。
勝つには、生きるにはここしかない。
「あああああああっ!」
だが――。
ズンッ! と地面に触手腕が突き刺さる。
(やべ――)
回避、あるいは攻撃の阻止。その判断が遅れる。
蠕動とともに地面が叩かれ、波打つ衝撃波が放たれる。愁は【跳躍】での回避を選択したが、身体を貫く衝撃に口から鼻から血と体液があふれ出す。
上空から落下しながら、アラトの口内に盛り上がった黒いなにかに気づく。
放たれる、鉄球のような肉塊。とっさに身体を捻った愁の右耳と右肩が削られ、右の菌糸腕がちぎれ飛ぶ。
痛みに喘ぎ、着地のバランスを欠く。ほんの一瞬、アラトを視界から外してしまう。顔を上げた愁の目に、覆いかぶさる灰色の影が映る。
「――あ」
アッパー気味の拳が迫る。かわせ、ない。
とっさに出した【円盾】のガードごと腹を打ち抜かれる。肋骨の折れる音が耳の内にはっきり響く。後ろに吹っ飛びながら口から大量の血を噴き出す。水切りの石のように地面をバウンドする。
ずるずると引きずるような足音と、「げえっ、ごぇえっ」とえずく声が近づいてくる。
無様に大の字になり、上体を起こそうとする。
(動け、動け、動け――)
意思を身体が拒絶している。呼吸がままならない。
焦りが、恐怖が胃の奥からせり上がってくる――。
「――だいじょぶだよ」
頭が持ち上げられ、柔らかいものに載せられる。
反対になったノアの顔が、上から覗き込んでいる。
***
「……ノア?」
愁のかすれた呼びかけに、彼女は仄かな笑みで応じる。
「……よかった、無事だったか」
「アベシュー……」
タミコがてこてことやってきて、愁の腹に乗る。不安げに愁とノアを交互に見上げる。
「二人とも……離れてろ……あいつが……」
来る、と言いかけて、アラトが足を止めていることに気づく。虚のような目を丸くして、三日月型の口を半開きにしている。
「でも……アベシュー……」
わかっている。もはや無事ではない箇所のほうが少ないだろう。
それでも――二人の顔を見られてよかった。
立ち上がる動機を、立ち向かう動機を再認識できた。
あとは、このビビった身体に言うことを聞かせるだけだ。
「うん、立てるよ、シュウ。君はまだやれるよ」
(シュウ? 君?)
ノアの指先からしゅるしゅると菌糸が生じる。白銀色に煌めく菌糸玉だ。
「さあ、君の一番綺麗なところを見せて――
薄い唇がそれをくわえ、愁の唇と重ねる。
こくん、とそれが愁の喉を下る。
***
嘘のように痛みの消えた身体を起こす。身体中を覆っていた【不滅】のカビも引いている。
「ノア! ノア!」
横たわったノアに、タミコが声をかけている。
愁がそっと首筋に触れてみる。脈も息もある。眠っているだけだ。
(……さっきのは……)
現実だったのだろうか。夢だったのではないか。そんな風に思えてくる。
だが、この身に起こったことは――。
さっきの彼女のセリフは――。
「タミコ、ノアを頼む。あと、これも」
「……アベシュー……」
「終わったらメシにしような。今日は俺がつくるから」
「……アベシューはいがいとメシマズりす……」
「意外と言うなや」
アラトは足を止めたまま呆然としている。真っ黒な目を愁の後ろに向けている。
『……その子は……その子も……ま――』
「俺の仲間だよ。それだけだ」
てのひらから生じる【戦刀】が長く重く伸びていく。
「もうさ、いろいろとわけわかんないことだらけでさ。疲れちゃったよ」
再び、肌にひりつくような殺気がアラトから漏れ出す。
愁は光をまとった巨大【戦刀】を肩に担ぐ。
「あんたに対する怒りとか嫌悪とかさ、そういうのもあるけど、今はもうどうでもいい。俺と仲間と、みんな生き延びるために戦う。つーかそれが本物の狩人じゃね?」
『……本当に君は面白い。私相手にそんな風に言えるなんてね。まあ、食うけど』
「食うんかい」
一瞬の沈黙。静寂。
そして同時に地面を蹴る。
胴薙ぎはアラトの腹に深く食い込んで通り抜ける。
返す刀の袈裟斬りが触手腕と交差してはじかれる。
「あああああああっ!」
怪我や疲労が消えただけではない。
力が漲っている。神経が研ぎ澄まされている。まるで別人かのように身体が突き進む。
振り回される触手腕。衝撃拡散。黒い砲弾飛ばしに毒霧に強酸のブレス。
それらをことごとくかいくぐり、両手に握る巨大刀を叩きつける。飛び散った黒い体液が鈍い煌めきとともに躍る。
『あははははははっ! 楽しい! お腹空いたっ! 一口、一口ぃいいいっ!』
負傷など意に介さずにアラトは吹き荒れる嵐のように襲いかかる。
それでも恐れは脳裏を支配しない。削られる痛みが動きを止めることはない。
もはやあの怪しいキノコより心身ともにキマっている。あの菌糸玉の効果――だけでなく美少女の唇のおかげ、だとしたら。男とはなんと単純で愚かな生き物か。
「あんなもんもらってっ!」
振り上げた刃が触手腕をまとめて両断する。
「負けらんねえんだよっ!」
振り下ろした刃が胴を袈裟に斬り込む。
たまらずよろめいたアラトが、地面に手をつく。その虚の目の奥に、赤黒い光がともる。
『だからなに? 私は――魔人だ』
地面から生じる菌糸の槍。間一髪で愁は真上に【跳躍】するが、脇腹や足を深く削られる。
頂点で静止した瞬間を狙って、アラトがその口から無数の菌糸針を――。
ドシュッ! と鈍い音とともに脇腹に食い込んでいる――アラトの脇腹に、チャージ【白弾】が。
「ナイス、タミコ」
放ったのはタミコだ。あのとき、アラトが足を止めている隙にこっそり渡しておいたものだ。
【跳躍】のタイミングで狙ってほしい、という合図のとおり。硬化前歯で噛みつくという不安定なトリガーながら、特訓の成果かコントロールも申し分ない。
そして、愁の背中にはもう二発残っている。立ち回りの最中に菌糸腕で生み出しておいたチャージ【白弾】が。
「俺は――アベ・シュウだ」
刀を放り出し、【鉄拳】で菌糸腕を打ち抜く。
二条の白い砲弾が放たれる。一発はアラトの肩を、そしてもう一発は顔面を貫く。
巨体がぐらりと揺らぐ。顔の半分をなくしたアラトが、それでも倒れるのを拒むように触手で支える。
その上に愁は着地する。空中で放り出した巨大【戦刀】がその手に収まる。
「――恨むなら、俺な」
振り下ろした瞬間、彼女と目が合った気がする。
頭頂部から真っ二つに叩き割るその刀越しに、パキッと、かたいものを砕いたような感触が手に伝わる。
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