81:覚醒体
打ち合うたびに骨身と心が削られる。
瞬きのたびに死が目の前に迫っている。
「がああああああっ!」
「おおおおおおおっ!」
おたけびは胸の奥から勝手に発せられる。絶望して泣きそうになる身体を必死に奮い立たせるために。
「あははっ! 元気だねえっ!」
黒い刃が降ってくる。手数もスピードも桁違いだ。
アラトの背後からギランが襲いかかる。【炎刃】二振りを二本の菌糸腕が迎え撃つ。
目がくらむほどの火花の応酬。びりびりと全身を震わせる衝突音の雨。
数センチ先の致命傷をかいくぐり、握りしめた殺意を繰り出す。
飛び散る血を顧みずに踏み出す一歩が、それ以上の圧を受けて押し戻される。
めまぐるしく刀が飛び交う剣戟の中で、それでも愁は退かない。意地や意志ではない、退けば一瞬で押し切られることを理解しているからだ。
「くそがぁあああああっ!」
「いいねっ! お口が悪い子は大好物だよっ!」
ザザザッ! と一瞬にして愁の全身に切り傷が走る。間髪入れずに頬に重い衝撃、踵の回し蹴りを受けてギランもろもと吹っ飛ばされる。
「ぐう……あ、サーセ――」
すぐにギランの上から起き上がるが、彼は大の字になったまま起き上がろうとしない。
その胸が浅く上下している。全身を覆う銀色の体毛が黒ずんだ血にまみれている――愁よりも深手だ。
「ギランさん!」
「……だいじょぶだ、まだやれる……」
てのひらに【治癒】の菌糸玉を数個生み出し、口に放り込む。【自己再生】も持っているが、傷の再生が追いついていないようだ。
愁の【解毒】も合わせてもう一つ呑み込む。治療系の菌能は短時間での連続使用は薬効が落ちるという。ギランは長くはもたないかもしれない。
「……あのさ、君」
アラトがてくてくと近づきながら愁に声をかける。
「それ、その青いの。なに?」
警戒しつつ自分の身体に目をやると、傷口に青黒いカビがまとわりついている。【不滅】の菌糸だ。
「――あ」
ギランに見られてしまった。ばっちり。
「……ふっ、今さら隠さんでもいいさ、アベくん。私の目は節穴じゃないよ」
「へ?」
「君は、〝糸繰士〟だろう。トーキョー暦百七年にして現れた、十三人目の」
愁は目を見開く。ギランは小さくうなずく。
「あー、やっぱり! なんかそんな気がしてたんだよね! すっげー、マジ卍!」
とたんにきゃぴきゃぴとはしゃぎだすアラト。
「残り三人って聞いてたのに、まさか新しい〝糸繰士〟が現れるなんて! しかもこんなところで出会えるなんて! こういうの狩人ならなんて言うんだっけ? あー、そうそう、『糸は縁、糸は運命』!」
ギランが【戦刀】で支えるようにして立ち上がる。
「……そうだ。彼は〝糸繰士〟だ。災厄の前に滅びた地上を人の手にとり戻し、今もなお人と国を守り続ける英雄の器。貴様ら混沌の化身をことごとく討ち果たす運命の狩人だ」
(いやいや、そんな買いかぶられても)
(この三人の中で一番レベル低いし)
「そうそう。不思議と魔人と〝糸繰士〟って縁があるっていうよね。五十年前の戦争もしかり……って私生まれてないけどね。もしかして君も、私の運命の人ってやつだったりして?」
「彼はこの国の希望なんだ。おそらくは若き魔人よ、貴様に彼を殺させやしない。たとえこの首が我が身から離れようとも、最期の牙が貴様の邪悪を噛み砕いてくれる」
「うっざ、お邪魔オオカミ! あんたみたいなザコキャラ風情が、イキったところで私には届かなくね?」
「……かもな。私一人なら」
その姿は愁の目にも入っている。アラトの背後に迫るマッチョイケメンの影。
「――は?」
「不意打ち御免」
【白鎧】をまとったクレの低空タックルが迫る。愁のときよりも遥かに速い、まさに光速のタックル。
アラトがとっさに振り向いて黒い刃を振るう。しかし加速したクレが一瞬それを凌駕する。眉間を削られながらアラトの懐に飛び込む。テイクダウン――はとれない。アラトが姿勢を低くして堪えている。
「イケメンでもセクハラは有罪よ?」
「いや、君に性的興味はないから」
「あらそう、じゃあ死ね」
アラトが黒い刃をクレの背中に突きつける――その寸前。
「グォオオオーーーッ!!」
ギランの鋭い牙の奥から発せられたのは、大気を揺るがす衝撃そのもののような咆哮。指向性を持った音の砲撃。声帯を操作して音響兵器と化す【咆哮】の菌能だ(イヌ科の亜人特有らしい)。
直撃を受けたアラトが見えない拳に殴られたかのように「ぐっ」とのけぞる。一瞬の反応の遅れ。そして――。
がくっと前のめりに崩れるアラト。ぺき、とクレが絡みついたその膝が乾いた音をたてる。
「がっ……!?」
「はい、一本」
驚愕と激痛で見開いたアラトの目に、その頭上から飛びかかる愁の姿が映る。
「らぁあああああっ!」
「くそがぁあああっ!」
アラトの踵がクレの顎を打ち抜き、六本の腕が身体ごと回転して愁とクレをまとめて薙ぎ払う。
またも吹っ飛ばされてぐえっと地面に落ちた愁の上にクレが覆いかぶさる。その口からごふっと大量の血がこぼれる。
「クレっ! つーかお前、最初から大怪我して……」
ひび割れて砕け落ちる【白鎧】の下に、焦げて血があふれる肉が覗く。明らかにアラトの斬撃の負傷ではない。
「……ほんのわずかな間でもいい、君と並び立ちたかった……これはそのための代償さ……」
――【逆境】か。それを発動するためにあえて――。
クレの身体から力が、熱が失われていく。
「……ここが、僕の死に場所、か……本望だ……ね……」
そして言葉が、意識が途切れる。
「おい、クレっ! 死ぬなっ!」
と思いきや、愁の背中に回された腕は存外力強く、胸に顔を埋めてふんすかにおいを嗅いでいる。
力ずくで引き剥がして【聖癒】をぶっかけてやりつつ立ち上がる。ギランが単身アラトにくらいついている。
いくら魔人といえど、破壊された膝を即座に修復することはできないらしい。バランスが揺らぎ、キレが鈍っている。ギランの死力を振りしぼったラッシュに押されている。
加勢しようと身を屈める。愁の【跳躍】を警戒したアラトの気がわずかに逸れる。
その瞬間――愁の目に、向こう側に立つ長駆の影が映る。
右腕を欠き、左手に【戦槍】に握りしめて飛びかかる。シシカバ姉・ミドリだ。
「アンナぁあああああっ!」
不意打ちなのになぜおたけびを。そう思ったとおり、突き出された【戦槍】はあっけなく菌糸腕の一振りではじかれる。だが次の瞬間、穂先が大気に波紋を描く。すさまじい衝撃と雷撃が撒き散らされる。
「ヒャッハー! 大当たりざまぁああーー!」
自らも後ろに吹っ飛ばされながら狂喜する姉。あの技、何日か前に愁も一度だけ見せてもらったことがある。姉の【戦槍】に妹が【粘糸】を巻きつけ、その上に【雷球】などの菌糸玉をふんだんにまぶした合体技。その名も〝タピオカ・ソフトクリーム〟。ちなみにアカバネで未だに流行中らしい。
さすがのアラトもたまらずに距離をとる。菌糸腕の刀を地面に刺して片足を支えている。
「……いってー……」
髪の毛は焦げ、額から血がこぼれている。
ボロボロになって震える身体は、ダメージによるものか、いや――。
「こんなか弱いレディーをよってたかって……これだから人間ってやつは……」
「人間じゃないけど、もう一人いるよ」
振り返ったアラトを、巨大な影が覆う。
――ゴーレムが。
周囲の瓦礫をつなぎ合わせた上半身だけのゴーレムが、その巨木のような腕を振り上げている。
アラトが【白弾】でトリガーハッピーしていたときだったか。愁の【感知胞子】が、ルークゴーレムの本体がまだ動いていることを捉えた。【煙玉】でアラトの目をふさぐと同時に、【聖癒】をルークに投げた。
いちかばちかの賭けではあった。一度敵と認定したママへ再び牙を剥くことを期待していたが、逆に愁たちに敵対することになれば勝ちの目は完全に潰えてしまう。
だがどのみち、勝算は低いのだ。だからやつの「不条理な行動原理」とやらに賭けた。その結果が――。
「ぶちかませ、反抗期ハンマー」
岩の鉄槌が振り下ろされる瞬間、目を剥いたアラトの口からこぼれた言葉は、愁の耳には届かない。
だが、その唇は、「素晴らしい」とつぶやいていた。
爆撃かのような衝撃と地響き。風圧で一番近くにいたギランが吹っ飛ぶ。
陥没した地面の中心で、つぶれた肉塊からじわりと血がにじんでいる。
***
ゴーレムは鉄槌を地面に打ちつけた姿勢のまま、ぴたりと動きを止めている。
その隙に愁は膝をつくギランのそばに駆け寄る。
「だいじょぶっすか?」
「……ああ、君のバカげた賭けのおかげだ。裏目に出ていたらぶん殴ってやるところだが、今は感謝しておこう」
「サーセン」
ギランの手をとり、立たせる。それでもふらつくので肩を貸す。
「ちょっと離れときましょう。ゴーレムがどう出るかわかんないし」
「……待て。魔人は本当に死んだのか?」
「変なフラグ立てないでもらえます?」
ゴーレムに異変はない。【感知胞子】内にもやつの姿はない。
「間違いなくぶっつぶれたっすよ。なんか……あえて受けたような感じもしたけど……」
「……ならばいい。我々の勝ちだ。お互いによくやったな、アベくん」
「向こうが舐めプしまくってくれたおかげっすけどね……」
一切手抜きも油断もせずに挑まれていたら、勝機は一パーセントもなかっただろう。言葉どおり全員がかりでよってたかってフルボッコして、最後は敵の手まで借りて、それでようやく辛勝を掴みとった。情けないが、それで精いっぱいだったのが事実だ。
「やつはおそらく……子どもだった」
「子ども?」
「年若い個体だったということさ。我々でもかろうじて相手になることができた。五十年前の戦争で猛威を振るった本物の魔人には及びもしないレベルだったのだろう」
「マジすか……」
あのデタラメな強さで、まだガキんちょ?
「なにより……結局やつは一度も見せなかった。おそらく制御できないと自覚していたのだろう、覚醒体の力を――」
ぴし、と乾いた音がする。
ゴーレムの腕がひび割れ、からからとかけらを落とす。崩壊は瞬く間に全身に伝わり、瓦礫の山と化す。
「……は?」
その頂上に、しゅるしゅると無数の糸が踊っている。
見慣れた白い菌糸とは違う。
黒い。黒い菌糸だ。
それらが連なり、絡まり、重なって束となる。膨れ上がって形をなしていく。
「……覚醒……体……」
『……はあ、死ぬかと思った』
その声は、男とも女ともつかない、不気味な響きかたをする。
『つーか、私の中の一人が、ゴーレムの手で死ねるならとかぬかしやがって。危うく受け入れちゃうところだったわ』
身長にして二メートル以上はあるだろうか。
ぬらぬらと鈍く煌めく体表は灰色に黒の斑模様。腹部が風船のように膨れ上がっている。
支える手脚は無数の触手が絡まり合って形成されている。背中にはやはり触手を束ねた羽。
『だけどね……違うんだよ。私はジロウじゃない。アンナでもジュンヘイでも名もなき獣でもない』
頭部にはコブにも見えるトゲが無造作に生え、その先端から膿のような粘液がどろどろと垂れている。
骸骨を思わせる顔は目も鼻も黒く落ち窪み、巨大な口は三日月のように左右に吊り上がっている。
『……反吐が出るほどおぞましい、この醜い姿こそが、本当の私だ。私はアラト……人の世に混沌をもたらし、人の世の滅びを愉悦する魔人。私はこれに、生まれてきてしまった』
口がぱかっと開く。その奥に愁は、かつてない深さの闇と恐怖を見る。
『楽しかったよ、〝糸繰りの民〟、そして〝糸繰士〟。だが余興も終わりにしよう。本当の私の姿、これこそが、お前たちの最期なのだから』
***
戦場の端で、一人の少女が目を覚ます。
「……ノア、ノア! だいじょぶりすか!?」
少女はぼんやりと、かたわらのカーバンクル族に目を向け、周囲の物音に耳を傾け、むくりと上体を起こす。
「まだねてるりす!」
「……だいじょぶだよ、タミコ」
「……ノア?」
少女の目がふっと緩む。タミコの額を人差し指で愛おしげに撫で、うなずく。
「……行かなきゃ。シュウを――わたしのキラキラを守るために」
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