70:そして役者はそろった

「おおおおおっ!」


 愚直なインファイターのように、相手に密着して拳を振るう。

 高さ的に愁のストレートが相手のヘソ付近に当たる。急所が近いかどうかは不明だが、まずはこいつの殻を突き破る必要がある。


 ここが唯一の勝機だ。もう一度間合いを離されれば、今度こそ菌糸カマイタチで嬲り殺しにされる。


 魔鉄骨とかいう最強クラスの武器を無自覚にへし折った、愁の最高硬度の【鉄拳】。光をまとったそれを一発一発、魂をこめるようにして放つ。

 四発、五発、六発。【戦刀】ではかすり傷しかつけられなかった石の外殻に、わずかに亀裂が走るのを見逃さない。

 ジャガーが突き放そうと石剣の柄尻を叩きつけてくる。【円盾】を装備した菌糸腕がガツッ! と横からはじく。


「らああああっ!」


 八発、九発、十発。亀裂がビキビキと広がっていく。効いているのか、ジャガーの巨体があとずさる。

 ブオッ! と膝が突き上げられ、愁の拳とぶつかる。愁のほうがはじかれ、間合いが開く。

 石剣が落ちてくる。愁は身を低くしてかいくぐる。菌糸腕の【円盾】で亀裂を殴りつける。お返しとばかりに尻尾の刺突、下段の薙ぎ払い。頬が裂け、脇腹をえぐられる。また突き放される。


「もういいってのっ!」


 双剣が衰えぬ速度で走る。愁はひたすらかわし、【鉄拳】ではじく。右の菌糸腕が斬り飛ばされる。

 勇気を振り絞って前に突っ込む。左の菌糸腕が【円盾】パンチを叩きつける――寸前で断たれて背後へ飛んでいく。


「――いい加減」


 その陰で、愁は【戦鎚】を両手で下段に握っている。


「死んどけっ!」


 石剣が愁の右耳と右肩を削る。同時に、光をまとった【戦鎚】が亀裂に叩き込まれる。

 ジャガーの身体がくの字に折れ、左手から石剣がこぼれ落ちる。よろめきながら、その手で傷口の周りがバラバラと崩れるのを押さえる。


「もっぱt――」


 もう一度【戦鎚】を振りかぶった瞬間、ぶわっと愁の視界いっぱいに無数の白い糸が広がる。ジャガーの傷口から放出された触手――とっさに飛び退こうとした愁の身体を絡めとる。【戦鎚】が手から離れる。


「きっ、キショッ!」


 それはジャガーの口から、肩から、膝からも這い出ている。拘束する力は強い、容易には振りほどけない。

 やばい、このままだと血を吸われる。新しい菌糸腕を――。

 身体がジャガーの頭上まで持ち上げられる。まるで王蟲に掲げられる姫のように。

 しかし待っているのは癒やしの奇跡ではなく、突き上げられる石剣。


 冷たい切っ先が愁の腹を突き破る――その寸前で両手の【鉄拳】が挟み込むようにして受け止める。

 だが押される。腹の皮膚を破り、肉を破り、内臓へ――。


「が……ああああっ!」


 菌糸腕の握る【戦刀】が弧を描く。まとわりついていた触手が斬り払われる

 傷口をえぐりながら引き抜き、ジャガーの頭を蹴って地面に降り立つ。


 太腿がはじけんばかりに力をこめ、低く鋭く突進する。

 触手と石剣が迎え撃つ。

 ジャガーの渾身の袈裟斬り。【戦刀】で受けようとした菌糸腕が両断される。

 構わず踏み込んだ愁の右手が、触手の束を突っ切って傷口の奥まで到達する。


 あーあ、と思う。菌糸腕でこれをやれればよかったのに。

 めぐり合わせが悪かった。本物の手でそうするしかなかった。

 だが、しかたない。すでに覚悟はできている。

 これを言うのも久々だ。決めゼリフにした憶えはないが、一応。


「――俺のタマ、食えよ」


 てのひらに生み出した【火球】五つ、握りしめる。

 目の前で眩いほどの光が爆ぜる。

 

 

    ***

 

 

 右腕は上腕から先がなくなっている。

 肉と骨がむき出しになったそこから血がぼたぼたと容赦なく滴っている。


 激痛で涙に濡れた目を、仰向けに倒れたジャガーに向ける。その石の身体も、あるいは全身から漏れ出た触手も、ぴくりとも動かなくなっている。

 内側だけ爆破してやった。さすがに本体まで致命のダメージが届いたようだ。


(つっても……ギリギリどころか、いろいろもうメチャクチャだったわ……)


 ここまでひどい怪我を負ったのはいつぶりだろう。サタンスライムに返り討ちにされたとき? いや、そのあとも結構ちょくちょくひどい目に遭ってきた。まあ、オオツカメトロ以来には違いない。

 疲労も限界寸前だ。傷の治りが遅いし、身体に力が入らなくなっている。

 地雷作戦で大爆発を起こしてしまっている。いつ他の獣がやってくるかわかったものではない。速やかにこの場を去らなければ。

(胞子嚢だけもらっとこう)

(あと……砂袋も一応……)


 絶命したゴーレムは普通の岩や石と変わらない。【戦鎚】を拾ってガツガツと胴体を砕き、みぞおちのあたりから毛むくじゃらの本体をずるっと引き出す。下半分が焦げていて、石片が突き刺さった部分からどろっと体液がこぼれている。だいぶひどいことをしてしまった感があるが、お互い様ということで。


 それこそ石のように重くなった身体を引きずり、手近な建物の中に身を潜める。

 まずは胞子嚢。栄養補給して疲労回復と再生促進。


「……ってこれ……」


 とり出した胞子嚢は真っ黒になっている。

 焦がしてしまった――わけではなさそうだ。焦げたにおいはしない。かと言って腐っているにおいもしない。というかさっきまで生きていたのだからそれはないだろう。


(におい的に問題なさげだけど……こういうのもあんのか?)

(できればノア先生に確認してからにしたいけど……)


 空腹がやばい。疲労がやばい。身体中痛い。

 まあ、多少腹を壊す程度なら文句はない。毒も効きづらいはず――この状態でも毒を弱化できるかどうかは微妙なところだが。


「お……お残しはギルティーりす!」


 上官に最初に仕込まれたメトロのルール。従うしかない。

 直径十センチほどのそれに、覚悟を決めてかじりつく。


「……あ、普通」


 いつものくそまずい胞子嚢の味だ。多少苦みが強い気もするが、まあ許容範囲というか。

 一口分呑み込むと、全身の飢えた細胞がそれを奪い合いするかのように感じられる。「もっとよこせ、はよ、はよ!」と細胞たちががなりたてている。

 二つ目を食べ終えたとき、やはり傷んでいたのか、腹の奥がひやっとするような奇妙な感覚に襲われるが、それも数秒で収まる。栄養をたんまり補給された細胞たちが働きだす。血小板、止血よろしく。


 多少期待していたが、残念ながらレベルアップは起こらない。さすがに二日前にしたばかりだし、しょうがないか。

 右腕がぐにぐにと急速に修復されていく間に、砂袋のほうもチェックしておく。本来なら一刻も早く仲間のところに駆け戻るべきだが、もう少し傷が癒えるのを待ったほうがいい、という言い訳。物欲に勝てなかった。

 今度こそ。これだけ強敵だったのだから、今度こそミスリルを――。


「……なんじゃこれ」


 蓋を開けてみると、ミスリルどころか宝石さえ入っていない。というかほとんどが小さな石ころや鉄屑のようなものばかりだ。容量も小さい、十数階あたりのゴーレムと大差ない貧相さだ。


「わけわからん……あんだけ強かったのに……」


 またしてもまたしても、物欲センサーの壁に阻まれてしょんぼりするミスリルガー。

 タミコのリスカウターが外れたことはないし、実際に超強敵だった。体内に入れた感じ、胞子嚢もかなりの質だったと思われる。なのにこの砂袋とのギャップ。果たしてどう評価したものか。


(……成長個体じゃなくて、変異個体だったり?)


 捕食と経年で成長した強者ではなく、先天的に強者として生まれた異質な存在。そういうメトロ獣がいると聞いたことがある。強いが若い個体だとしたら、砂袋が未発達なことへの説明もつく、かもしれない。


(まあ、今それを考えてもしかたないか)

(そろそろ行こう。あいつらと合流しないと)


 右手は指が生えようとしているところだ。ぐにぐにと肉が盛り上がっていくさまは見ていて気持ちがいいものでもないが、なんとなく癖になる感じもある。他人のそれなら気持ち悪いだけかもしれないが。


 出入り口から通りを窺う。案の定というか、ゾンビがわらわらと集まってきている。

 がらんとした室内を抜け、ドアのない裏口から外に出る。そのまま裏路地を進む。

 

 

    ***

 

 

 迷った。今どのあたりにいるのだろう。

 【跳躍】で平屋の建物の屋根に上る。


 ちょうどいい具合に霧が収まりつつある。あたりの景色がある程度見通せる。


(……でけえな)


 十時の方向に巨大な祭壇が立っている。ピラミッド型の四角錐の形をしているが、高さにして三十メートル以上、横幅もかなりある。

 ゴゴン、とその祭壇のほうから重い音がする。遠くの工事現場から聞こえてくるような、石と石をこすり合わせるような音だ。

 それが断続的に響いている。そしてそれに合わせて――祭壇がわずかに身じろぎしているように見える。


 一瞬、愁の頭を不穏な思いつきがよぎる。


(……あれって、もしかして祭壇じゃなくて、ゴ――)


 思考を言語化してしまい、その先を思いとどまる。ありえない、そんなわけがない。あなた疲れてるのよアベシュー。


「――――ォォンッ!」


 今度は一時か二時の方向、森に近いほうから聞こえた。犬の遠吠えに似た声だ。続けて戦場音楽――衝突音、破壊音、悲鳴といったものがかすかに聞こえてくる。今愁のいる場所から一つ向こう側の通り――タミコたちが逃げたはずの方角。

 愁は建物の屋根伝いに走る。高さに差があるところは迂回し、または地面に降りて進む。争う物音がどんどん近くなってくる。


(――いた!)


 屋根の上から、ノアとクレの姿を見つける。ノアの肩の上にタミコも。

 頭巾をかぶったリーダーを含むチワワ数匹とともに、彼らを包囲するゾンビの群れと応戦している。


 クレが複数のミノタウロスゾンビ相手になんとかふんばっている。ガチムチの筋肉牛頭が群がる様はプロレスの乱闘シーンさながら、なんて言っている場合ではない。クレがジャイアントスイングで一斉に蹴散らしたりしているが、いくらなんでも多勢に無勢だ、長くはもちそうにない。


「――ああっ!」


 ミノタウロスゾンビの拳がノアの顔面を打ち抜く。血飛沫とともに倒れ込むノア、飛び上がったタミコがゾンビにくらいつく。


 起き上がろうとするノアの頭上から、牛の目が見下ろしている。

 大きな頭部に不釣り合いな細長い腕を振りかぶる。


 とっさに手を出すノア。てのひらから【粘糸】が放たれ、ミノタウロスの頭と腕に貼りつく。だが軽く腕を振るっただけでぶちぶちとちぎられてしまう。


 ミノタウロスがもう一度腕を振りかぶる。ノアが起き上がろうとしてふらつく。回避も、クレやタミコのカバーも、間に合わない――。


 ――間に合った。


 【跳躍】の推進力をこめた【戦鎚】が、一撃でミノタウロスの頭を打ち砕く。

 石畳を削るようにして滑り込んだ愁を、ノアが呆然とした目で見つめている。


「……シュウさん……」

「シュウくん!」

「アベシュー!」


 起き上がってカッコよく仲間たちの声に応えようとするが、頭なしマッチョボディーがなおも動こうとしている。


 空気読めと一蹴しようとした瞬間、ミノタウロスが動きを止める。首から尻まで一直線に赤い線が走り、真っ二つに落ちて燃え上がる。

 赤く燃える【戦刀】を握った手は、ふさふさとした銀色の体毛で覆われている。ぶんっと払った【戦刀】が蜃気楼のように空気を歪ませている。


「なんかお祭り真っ最中みたいだけど――間に合ったかな?」


 気障なイケメンオオカミがその碧眼であたりを見渡し、その口をにやりとして牙を覗かせる。

 イケブクロトライブ最強の狩人。〝王殺しの銀狼〟、ギラン・タイチだ。

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