49:ぶらりワニバスの旅

 三人おそろいのマントに身を包む。五月も下旬、黒っぽいマントは多少暑苦しいがそれも狩人。


「アベシュー! あたい、あたいにあうりす!?」

「何度も言ってるけど似合うよ。だから落ち着こうね」


 タミコにとっては初めての衣装。着るたびに興奮して部屋中を駆けずり回っている。ちなみに前留めがボタンになっているので、自分で簡単に着たり脱いだりできる。ピカピカのボタンも彼女のお気に入りポイントだ。


 荷物も準備万端。いよいよ狩人としての初めての冒険が始まる。

 めざすは北のオウジメトロ。ゴーレムの巣窟だ。


「うおお……ついにワニバスに乗る機会が……」


 これまで何度か遠巻きに目にしたことはあったが、ようやく乗客として利用することになる。シン・トーキョーの公共交通機関の一つ、通称ワニバス。


 言ってしまえば馬車のようにワニが後ろの車を曳くだけのシステムだが、全長十メートル以上の巨大なワニが二頭並んでのしのし歩く姿はなかなか壮観だ。幼体の頃からよく飼いならされているため、通行人を襲うこともないという。


 荷車のほうは屋根と窓つきで、左右に分かれた座席シートは意外と柔らかい。スペース的に二十人くらいまで乗れるようだ。コマゴメ市行きの便には愁たちを含めて十人ほど乗っている。肩乗りサイズのタミコもしっかり料金をとられたのは若干納得いっていない。


「たかいりすー! けしきがゆっくりすべっていくりすー!」


 本人は窓に貼りついて興奮している。初めてのワニバスを誰よりも満喫している。まあ、料金分楽しんでくれればそれでいいか。

 速度はそれほど出ない。馬を歩かせるのと同じくらいだろうか、その代わり揺れも小さく快適な乗り心地だ。

 スガモ市外へ出て東の街道。水車や風車の回るのどかな風景を突っ切って進んでいく。天気がいいので気持ちいい。


「こっからだとよく見えるね、あれ……」


 今日は胞子の飛散が少ないようで、空気も澄んでいる。だから遠くまで見渡せる。

 南南西の方角……上京して初めてスカイツリーを見たときはそれなりに感動したものだが、あれに気づいたときは真っ先に目の錯覚を疑い、実在するものと指摘されてからも「ありえない」という思いは消えない。


 それは、キノコだ。

 それも、山のように高くそびえ立つキノコ。

 青空にくっきりとスペードマークのような輪郭を帯びたキノコ。


「ああ、〝龍の茸巣じょうそう〟ですね」

「それそれ、ジョーソー」


 世界最大の動物はなにか――?

 平成の時代。地上限定であればアフリカゾウ。海も含めるならシロナガスクジラだった。

 しかし、世界最大の生き物はと質問を変えれば――ゾウでもクジラでもない。答えはキノコだ。アメリカのどこぞにあるオニナラタケという種類のキノコは、実に九平方キロメートルに及ぶ菌床として広がっているという。全部まとめて一個の生命体だというが、なんかずるい気もする。

 ともあれ――あの超巨大な影はまぎれもなく正真正銘「一個のキノコ」だということだ。東京のど真ん中、イチガヤの地に鎮座する三百メートル超のテンシュタケ。狩人はあれを〝龍の茸巣〟と呼ぶ。


「キノコにして迷宮、迷宮にして獣王の巣……」


 ノアによると、〝龍の茸巣〟の内部は一つの広大な迷宮になっているらしい。シン・トーキョーでも屈指の強力なメトロ獣がはびこる超難関ダンジョンであり、都庁政府と狩人ギルドによる低レベル者の入場規制が行なわれるほどだ。

 そしてなにより。

 その頂上を巣としているのが、シン・トーキョーの五大最強メトロ獣――〝獣王〟の一角、闇紫龍あんしりゅうヤマモト。そんな奇天烈ネームがつけられた経緯は不明。身の丈数十メートルに及ぶ超巨大な翼龍だそうだ。


「その獣王? ってさ、めっちゃ強いって聞いたけど実際どんくらいなの?」

「レベルにして推定200以上とか言われてますけど」

「絶対無理やん」


 大昔には、別の獣王によって一夜にして一つのトライブが壊滅させられたこともあるという。都庁や教団、あるいはギルドといった組織ぐるみでその存在への干渉をかたく禁じられる「生きる災厄」認定。

 ゲームなら「よっしゃいつか倒したろ!」とか「絶対お宝守ってるだろほしいです」とか意気込むところだが、あいにくこれは現実であって負けてもコンティニューはできない。触らぬ神に祟りなし。麓は観光地になっているらしいのでペナントでも買いに行こう。


「ふん、いつかドングリのこやしにしてやるりすわ」

「お漏らしで済めばいいけどな」

 

 

 

 昼すぎにはコマゴメ市の西門前に到着する。そこでいったん降車することになる。


「コマゴメの北門にオウジ方面のワニバスがあるみたいです」

「じゃあ、それに乗ってこうか」


 門構えはスガモとよく似ているが、街中の雰囲気は少し違う。

 贔屓目だろうか。ほんの少し、人々が賑やかに行き交うスガモとくらべると、どことなく活気がないように感じられる。スガモのほうが清潔に見えるし、店の数も多い気がする。


「お昼、ここで食べていきますか?」

「うーん……」


 中途半端にバスの中で適当にパンを食べてしまった。


「なんか適当に買って、また道中で食べよっか。早くメトロに着きたいし」

「オウジメトロの周辺はいわゆるメトロ街ですから、おいしいものもいっぱいあると思いますよ」

「メトロ街?」

「そのまんま、メトロの周りにできた街です。オウジは温泉街として有名なんです。名物はアスカヤマまんじゅうだっけな?」

「まんじゅう? ふかふかであんこがはいってるやつりすか?」

「ご明答。あとはアスカヤマ温泉タマゴとか」

「アベシューはしれはしれ! あしがうごくうちはのうみそうごかすな! ゴーゴーゴー!」

「バス乗るんだけどね」


 背筋がぞくっとして、愁は思わず振り返る。


「……アベシュー?」

「どうしたんですか?」

「……二人とも、なんか感じなかった?」


 女子二人は顔を見合わせ、首を振る。

 愁はあたりを見回す。昼下がりの往来。通りすぎていく人々。ガヤガヤとした喧騒。どこにもおかしな点は見当たらない。


「……ごめん、気のせいかな」


 視線を感じたのだ。それも、とびきり不気味な、背筋を舐め上げるような。

 

 

 

 北門から再びワニバスに乗り、街道を進む。相変わらず東京とは思えないファンタジーな自然満載の光景が続いている。


「……壁が見える」


 緩やかな上り坂のてっぺんから、ずっと向こう側にうっすらと壁を見ることができる。このシン・トーキョーを覆う、高さ一キロに及ぶ巨大な壁。飾り気のないのっぺりとした灰色だ。


「東側、なんかすごい山っぽいね」


 岩肌剥き出しのゴツゴツとした山というか岩の柱というか。そういうのがいくつも連なってそびえている。タワーカルストというやつだ。中国の山間部の絶景をこの東京で見られるとは。あれもメトロの氾濫や地殻変動でできた地形なのだろうか。


「あれはセンジュトライブ領ですね」

「センジュ?」

「シン・トーキョーの北東に位置するトライブです。現族長がバリバリの武闘派で、独自の文化とかを持ってて、領民は〝人民〟も含めてみんな武術を修めてるとかなんとか。端っこにあるからってわけでもないんでしょうけど、だいぶ閉鎖的なトライブで外部との交流も最低限らしくて、謎多き辺境の隠れ里的なイメージ先行なんですよね」

「へー」


 そんな風に言われると、あの風景も少林拳の総本山っぽく見えてくる。

 そんなこんなで二頭のワニはてくてくと歩いていく。途中、小雨に降られたり荷馬車に泥をかけられそうになったり、野犬の群れに睨まれたりしつつ、それでもめげずに健気に歩き続けるワニ。感情移入しすぎてなんだか涙が出そうになる。

 どうにか日が暮れる前に道の先に人里を捉えることができる。運転手とワニにお礼を言う。


「おー、ようやく着いた」

「くたくたりすねえ」

「一歩も歩いてねえけどなお前」


 門の付近には多くの人が行き交っている。遠目から見ると、堀で囲まれているのはスガモやコマゴメと一緒だが、その内側に設けられているのは塀というより柵だ。空が藍色を残しているうちから、オレンジ色の明かりと賑やかな喧騒が漏れ出ている。


「ここがオウジメトロのメトロ街かー」


 なんというか、観光地の温泉街に似た風情がある。こういうのは嫌いではない。

 門のすぐ内側にちょっとした人だかりができている。通りに背を向けて足を止めている聴衆の中心にいるのは、木箱の上に立つアラフィフくらいの痩せた男だ。


「――その証拠にここ数年、オウジメトロのゴーレムの出現数、資源採掘量の減少に拍車がかかっている。この街に集まるみなさんが一番ご存じでしょう」


 男は袖の長い白装束を羽織り、頭には神主の烏帽子のようなものをかぶっている。神社の神職を思わせる格好だ。隣にワンランク下っぽい格好の青年もいる。


「教団の説教師です」


 ノアが耳打ちする。


「我々メトロ教団は、常日頃から『メトロとの調和』を唱えてまいりました。しかしながらここは、このオウジメトロは、明らかに調和の域を超えた過度な発掘を断行してきた。このまま行けばメトロ資源の枯渇は時間の問題、どこかで歯止めをかけなければ、待っているのは破滅の道だけです。そしてそれは、単に生活や経済の問題だけではないのです!」


 説教師の口調がしだいに熱を帯びていく。聴衆は十数人といったところか、真剣に耳を傾けている人もいれば、へらへらと半笑いで周りの反応を窺っている人もいる。門番も聞こえているのだろうが、あえて無視しているのか、かたくなに顔を向けようとしない。


「先史では科学文明の超常的なまでの発達により、人間社会は栄華を極めていました。このトーキョーはモノであふれ、人であふれ、情報や金であふれていた。しかし、そのツケを支払わされていたのが、この星の環境そのものだったのです。驕り高ぶった先史の人類は、獣や虫の命を陵辱し、森や野を蹂躙し、大気を穢し、大地や水に毒をばらまいた。信じられるでしょうか、百年前のこの場所は、度を超えた環境汚染により草木も生えない不毛の荒野になっていたのです」


 異議あり、とさけびたい。さすがに大げさすぎる。このへんが王子駅周辺ならそこそこ緑はあった。


「そして百年前、〝超菌類汚染〟によって前文明は滅亡しました。それは、罪深き旧人類への断罪と救済だったのです。メトロの意思、すなわちこの星の意思! 大地を汚し、命を奪う人類の蛮行を裁き、この大地に豊かな森を甦らせたのです!」


(救済、だって?)

 人々が積み上げてきた東京をなにもかも塵にした挙げ句、一千万人以上も殺したという大災害が。

(そんな救済があってたまるかよ)


「空高くそびえる〝メトロの壁〟により、あいにく外の世界とは今も途絶されたままです。ただし、六十年前に行なわれた教団の調査によれば、壁の外は完全に荒廃し、生き物の住める世界ではなくなっているようなのです」

「ひそひそ(ほんとなの?)」

「ひそひそ(たまに聞くんですけど、眉唾じゃないですかね)」

「つまりここは、我々人間に残された最後の楽園なのかもしれないのです。わかりますか? 我々はメトロから生じた〝超菌類汚染〟により罪を雪がれ、〝メトロの壁〟により滅亡から守られ、メトロの恵みによって今日を生かされているのです! それなのに、このオウジではあまりにもメトロを軽んじた愚行が続けられている。このままでは前文明と同じ道をたどるのは明白! やがて訪れるのは、二度目の〝超菌類汚染〟! あるいは五十年前の〝魔人戦争〟! 警鐘は鳴らされてからでは遅いのです!」


 そうだ、そうだ、と声が飛ぶ。列の前のほう、熱心に聞き入っている人たちだ。


「メトロとの調和、メトロとの共存! 糸繰りの神の宿る岩戸、つまりそれこそがメトロ! 畏れ敬いなさい! メトロとともに歩む道こそ、我々〝糸繰りの民〟に残された唯一つの道なのです!」


 ――なんだかなあ。うさんくさいなあ。

 と、説教師が言葉を止め、ぐりんっと愁のほうを向く。

 愁はぎょっとする。肩の上のタミコも「ぴぎゃっ!?」と悲鳴をあげる。

 痩せこけた頬、血走った目、額にびっしり浮かぶ血管。それこそなにかに憑かれたかのような異様な迫力がある。


「シュウさん、行きましょう」

「え? え?」


 ノアに腕を抱えられ、その場を離れる。肘にものすごい肉厚を感じるが感じていない。


「まずいですよ、説教師に楯突くようなこと言っちゃあ」

「あれ、口に出てた?」


 というか、聞こえたのだろうか。あの距離で、あの騒がしさの中で。


「言ってることはめちゃくちゃですが、都庁と並ぶこの国の絶対的権威です。がなりたてる口はあっても、反論を聞く耳は持ってません。言葉どおり『触らぬ神に祟りなし』ってやつです」

「あいつ、ちょーこわかったりす。チビるかとおもったりす」

「人の肩の上でチビるなよ」

「しつれいな。あたいはりっぱなかりゅーどりす。もうションベンリスなんていわせないりすよ!」


 明くる日、二度漏らすことになるのを彼女はまだ知らない。

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