35:【不滅】の〝糸繰士〟を待つ未来

 ぱたぱたと窓ガラスを叩く音がする。

 ふと見ると空がいつの間にか鈍色になっている。雨が降ってきたようだ。午前中は気持ちのいい快晴だったのに。

 愁は六つの角に線の伸びた試し紙に目を戻す。


「えーっと……なんかすごいことになってるっぽいけど……ちょっとまだ実感ないわ……」

「最初に確信したのは――」とノア。「アベさんから百年前の人だって聞いて、実際に【不滅】の菌能を目にしたときです」

「【不滅】? あ、前にも聞いた気がする」


 オオツカメトロでノアに会った日、彼女がそんなことをつぶやいていた。


「メトロでアベさんの手に傷をつけたとき、青っぽいカビが傷をふさぐのを見ました。ひいじいの手帳に書いてあった【不滅】の特徴と同じだった。それで確信が持てたんです、アベさんは嘘をついていない、本当に百年前の人間なんだって」


 愁の第一の菌能、再生菌糸。【不滅】というのはそれの正式名称のようだ。


「【不滅】は、一般的な自然治癒能力強化の【自己再生】よりも遥かに強力な再生能力です。大抵の傷はたちどころに治る。ちぎれた手足すら生えるし、よほどひどい怪我を負わなければ死ぬことはないそうです」

「結構無茶してきたけど、みんな治ったね」


 これまで自分の身体を囮にするようなことはさんざんやってきたし、手足を食いちぎられることもザラだった。今でも五体満足でいられているのは、百パーセントこのチート能力のおかげだ。


「それだけじゃなく、ほとんど老いることもなくなるようです。アベさんも百年前とほぼ同じ年齢のままのはずです」

「マジ!? 年もとらないの!? まあ確かに俺、今百二十八歳だけど……」


 確かに今日鏡を見たときも、あまり年をとった感じがしないと思っていた。こんなものかと勝手に納得してしまっていたが、本当に二十三歳のままだったということか。


「まったくってことはないみたいですけど。ただ、アベさんが百年以上眠っていられたことは、【不滅】の能力のおかげ以外には考えられないと思います」


 愁はてのひらに目を落とす。その皮膚の下に菌糸を思う。

 目覚めたとき、全身が青黒い菌糸に覆われていた。この能力のおかげ――実際にこの力がなかったら、今頃は干からびて骨も残っていなかったというわけだ。


「……どうして百年も経って、今頃目を覚ましたんだろうね……?」

「それは……ボクにもわかりません。【不滅】自体、普通の狩人じゃあ習得できない能力だし、ギルドの文献にもざっくりした情報しか載ってないので……」

「通常の菌職はおろか、上位菌職でさえ習得することはできません」とオブチ。「逆に〝糸繰士〟の十二人は漏れなくその能力を持っていたそうです。存命の三人の〝糸繰士〟は、アベさんと同じ前の時代から生きている人だと」

「それ、さっき言ってた人だよね。あ、だから長生きってことか……」

「いずれもどえらい人ばっかりですよ」とオブチ。「シン・トーキョー都知事、メトロ教団の教祖、そして最古のトライブの一つであるネリマトライブの族長。彼らは先史からの生き証人であり、シン・トーキョーの建国に大きく関わった重鎮です」

「三人は【不滅】の菌能のおかげでほとんど年をとらず、百年前とほぼ同じ姿を保っているといいます。アベさんと同じですね」


 愁はちゃぶ台に肘をつく。その拍子にかたわらにいたタミコがこてんっと転げ落ちる。畳からキーキー抗議の声があがる。


「……そっかあ……平成の生き残りがまだ……」


 会ってみたい――愁はそう思わずにはいられない。

 あの時代のこと、あの時代の人々のこと、この世界のこと。

 その人たちと話がしたい。彼らの口から聞きたい。

(一つ目標ができたな)

(なんかすげえ偉い人たちっぽいから、今すぐはちょっと怖いけど)


「話を〝糸繰士〟に戻すと――」とオブチ。「〝糸繰士〟は全六種類の菌職の菌能に加え、【不滅】のように〝糸繰士〟でしか習得できない菌能もあると言います。国の名を由来とするくらいですから、それだけの存在ということです」

「アベさんはいくつ菌能を持ってますか?」とノア。

「えっと……十七個かな」


 ノアが呆れたように苦笑いし、オブチが頭を抱える。


「ボクは今、三個です」

「僕は五つですね」

「アベさんから見たら少ないと思われるかもしれませんが、通常の菌職の場合、生涯をかけて八個習得できれば御の字、十個いけばかなり優秀な部類です。上位菌職だともう少し多いみたいですけど」

「あー、さっき話してた菌職ごとの覚えられる菌能? 全部覚えられるわけじゃないんだ」

「もちろんです。そのリストの中で五~十個程度……しかも覚えられる能力を選べるわけじゃない。どういうものが宿るかの法則性は個人の適性とか食べた胞子嚢の質とかいろいろ言われてますけど、まだ解明されていません。ボクが『この能力がほしい!』ってどんなに望んでも、覚えられるかどうかは未知数なんです」


 つまりスキルガチャか。通常菌職で最大でも十個となると、やはりシビアなシステムだ。

 愁としては今のところ第十四以外の菌能はまんべんなく使ってきたし、チート性能も三つ四つある。ガチャ運に恵まれたほうだろう。


「しかし、十七個って……もはや僕なんかよりもよっぽど人間離れしてますね、ぶひゅー」

「ひいじい……の手帳によると、ある〝糸繰士〟の人は菌能二十八個、レベル98だったそうです。おそらく現存する三人もそれくらいの能力は持ってるかも」

「マジか」


 上には上がいるものだ。


「そりゃますます化け物ですね……僕ら通常菌職はどんなにがんばってもせいぜいレベル60~70が限界です。上位菌職でも確かレベル80前後までだったかと」


 菌職によるレベルキャップもあるのか。そうなると愁のレベル68というのは通常菌職のほぼ限界値、確かに「相当すごい!」ということなのだろう。


「アベさんが五年間という短い期間でそこまで強くなれたのも、もちろんアベさん自身の努力もあるでしょうが、〝糸繰士〟だったというのも一因だと思います。通常のレベリングですと、一年につき三つずつくらい上げられれば順調なほうです。当然高レベルになっていけばそれよりは上がりづらくなる。そういう意味じゃ、アベさんはたった五年でレベル68ですから、普通の成長速度じゃないですね」

「あとはあたいのおかげりすね」

「うん。あとでまたこしょってやるから」


 タミコも五年で12から40だから、かなり順調な部類に入るようだ。


「ぶひゅー。それに五十階のメトロ獣のレベルが高かったこともあるんでしょうね。50オーバーのメトロ獣と毎日やり合うなんて普通の狩人からしたら正気の沙汰じゃないですから。密度で言えば通常の何倍もの濃さですよ」

「その分地獄でしたけどね」

「もうタマゴヤキのないメトロにはもどれないりす」


 愁は大きく息をつき、湯呑のお茶を飲む。すっかりぬるくなっている。

 雨はますます強くなってきている。みんなが押し黙ると窓や屋根を叩く音が部屋を満たしていく。


「なんつーか……謙遜するわけじゃないけど、なんで俺なんかがそんなすげー感じなんだろうね」


 急な展開すぎて実感が湧かない。十五歳の誕生日にいきなり母親に「あなたは勇者なのよ! 旅立ちなさい!」とか言われたような気分だ。

 前の時代では特別なことなんてなにもなかった。勇者どころかただの会社員の息子だ。もう一つ遡れば農家の孫だ。

 勉強も運動も可もなく不可もなく、大学も中の中の上くらい。営業成績も三人の同期ではドベと僅差の二位、というかブービー。とりわけ女の子にモテたこともない。もうなにもかも普通の男だった。


(……どうして俺なんかが……)

 自分のようなド素人がここまでやれたのも、この超レアな菌職のおかげだった。

 そう考えると腑に落ちるが、そもそもたった十二人しかいない選ばれた存在と肩を並べられるなんて、神様のイタズラと呼ぶ以外に納得できる説明があるだろうか。


「……まだ実感ないけど、いろいろわかってよかったよ。ありがとね、ノア」


 ノアは早い段階から愁の秘密に気づいていたわけだ。ひいじいの手帳から得た知識によって。

 気づいていて、いろいろと気を回してくれていた。彼女の言うとおり、とても長い話になった。メトロでこんな入り組んだ話をしていたら日が暮れていたことだろう。


「最初に会えたのがノアでよかったってことか。ノアと、そのひいじいのおかげだね」

「そんな……アベさんたちはボクの命の恩人ですから……」


 ノアはちょっと照れくさそうに頭を掻く。ほんのり頬を赤く染める様などはスマホの目覚ましの画面にしたい。


「そう言ってもらえてよかったです。だけど、実は……ここからが一番大事な話なんです」

「ほえ?」

「りす?」


 まだ続きがあるのだろうか。正直ここまででいったん整理したいところだが。


「アベさんはこの菌職のことを、できるだけ世間の目から隠す必要があると思います。知られればきっと、少なからず世間を騒がせることになるでしょうから」

 

 

 

 ノアがみんなの湯呑にこぽこぽとお茶を注ぐ。急須の中もぬるくなっていて、湯気は昇らない。


「えーっと……まあ確かに、言いふらすつもりはないけど……なんかまずいの?」


 話を呑み込めず、そろって頭をかしげる愁とタミコ。

 別に元から吹聴して回るようなことは考えていなかったが、それがそんなにまずいことなのだろうか。確かにそれだけ希少となると、周りからいろんな目で見られそうではあるし、できるだけ秘密にしておきたいというのもわかるが。


「シン・トーキョーの礎を築いたのは、十二人の〝糸繰士〟でした。破滅から生き延びた人々をまとめ上げ、各地にトライブをつくり、国を再興した。その後、トライブ間の紛争や内紛、度重なるメトロ獣の襲撃、五十年前の〝魔人戦争〟などを経て、十二人のうち今も存命なのは三人だけです」

「言われてみると、【不滅】なのに死ぬんだね」

「そうですね、誰がそう名づけたのかはボクも知らないですけど……『どれだけ大仰な名前がついても、生き物は必ずいつか死に、土に還る。真の不滅などありえない』ってひいじいの手帳にも書いてあります」


 愁も最初に五十階のボスと戦ったとき、栄養不足で再生できずに死にかけた。再生能力にも限界があるということだ。


「現存する八つのトライブでは――」とノア。「ネリマトライブ以外は主に上位菌職の人物が族長を務めています。基本的に族長は世襲制――親類がそれを継ぐ形です。菌職は確率的に子に遺伝する傾向がありますが、絶対じゃない。〝糸繰士〟の子孫にも〝糸繰士〟は遺伝しなかった。〝糸繰士〟は最初の十二人以外に現れなかったんです」

「上位菌職とかって親の遺伝かと思ったけど」

「そのケースが一番多いかもですね」とオブチ。「狩人の夫婦からは若干上位菌職が生まれやすいと言われたりしますが、逆に〝人民〟の子が生まれることだってあります。ちなみに亜人性も同じで、遺伝だけでなく突然変異でも生じます。僕も五歳くらいまでは普通の子どもだったんですけど、その頃から急激に変化が現れて、あっという間にブタ少年ですよ。なんらかのウイルス性疾患という説もあるくらいです、ぶひゅー」

「ほえー」

「りすー」

「ともあれ――」とノア。「そういう意味で〝糸繰士〟はこの国の礎を築いた象徴であり、今でも民衆にとって神聖化された存在なんです。都庁政府の威光、教団のカリスマ性と影響力、ネリマトライブの並外れた統率性――それらは〝糸繰士〟がトップであることが少なからず影響していると思われます。他の組織にとってそれ以外の指導者が必ずしも優れていないわけではないと思いますが……仮にもし今、十三人目の〝糸繰士〟が現れたとなると、各トライブはどういう反応を示すでしょうか」

「どういうって……」

「つまりアベさんは――」とオブチ。「ご自身では自覚はないでしょうが、このシン・トーキョーにおいて非常に希少な人材であるというだけでなく、同時に高度に政治的な存在でもある、ということです」

「そんな、大げさな……」


 望むと望まざるとに関わらず、世間に影響を与えてしまう身分ということか。

 こんなどこにでもいる塩顔元社畜が、世間を騒がせるVIPに出世したなんて。


「一つの憶測ですが――」とオブチが続ける。「アベさんの存在が世間に知れ渡れば、他のトライブの族長や幹部は心中穏やかでいられるでしょうか。無理やり傘下に引き入れようと画策するかもしれないし、逆に不穏分子として排除をめざすなんてことも……」

「ちょ、やめて。マジ怖いんすけど」

「いやまあ、あくまで極論です。前例がないことなので、どんな風に転がるかなんて想像でしかないですけど……都庁にしろ教団にしろ、とりあえず各方面をいろいろと騒がせてしまうことは間違いないでしょうね。イカリさんはそれを見越して、アベさんをこの街に連れてきたわけです」


 一同の視線がノアに向けられる。


「スガモ市は民主的に統治された数少ない都市です。仮に〝糸繰士〟が周知されてしまったとしても、トライブ領よりも影響は多少小さいものになるでしょう。イカリさんはそこまで考慮に入れた上で、オオツカメトロから近いイケブクロでなくこのスガモに連れてきたということです」


 ノアが照れくさそうにうつむいている。愁としては、イケブクロを選ばなかったのは野生児丸出しのオオカミファッションへの気遣いだと勘ぐっていたが、その一万倍深い事情があったのか。


「それに、この場に僕とユイ様を同席させたのも、アベさんのためってことです」

「え?」

「アベさんの今後のために、事情を知る口のかたい味方が必要だということです。僕が行商人で顔も広いっていうのもあるからでしょうけど……とはいえ、なかなか面白いものを背負ってしまったな、というのも正直なところです。信用していただいたのは光栄ではありますが」

「まあ、命の恩人に後ろ足で砂かけるような真似はできんわな」


 苦笑するオブチとユイ。

 愁はノアに目を向ける。


「どうしてそこまで……?」


 あのメトロの中で愁の正体に気づき、その微妙な立場に思いをめぐらせ、ここまで連れてきて、オブチたちを味方に引き入れようと気を回したりして。

 出会ってたった二日やそこらの間柄なのに。命を救われた恩返しとしても、こんなにも面倒なことに首を突っ込もうなんて。

 ノアは小さく笑い、首を振る。なんでもない、という風に。


「ようやく現在の話は終わりです。ここからは――未来の話をしましょう」


 ――未来、か。

 タミコが心配そうにきょろきょろと見上げている。その頭を愁はむきゅっと撫でる。


「……俺はこの先、どういう風に生きてけばいいか、ってことだよね」

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