17:脱出行

 愁の期待どおり、ボスの胞子嚢は愁とタミコのレベルを上げ、新しい菌能を習得させる。

 これで愁はレベル66で菌能十七個、タミコは41で菌能六個だ。

 スライム特有の酸っぱいまずさもこの喜びを曇らせるには至らない。体力も回復したところで、二人のテンションは最高潮だ。


「じゃあ、出口をさがそうか」


 ごつごつとした岩肌の壁に、滑らかな石版がある。横幅三メートルほど、高さ四メートルほど。これが出入り口のようだ。

 押しても引いても開く気配はない。試しに胞子光をまとったハンマーでぶっ叩いてみるが、表面に多少ひびが入る程度だ。何度もぶつければいずれは割れるかもしれないが、スイッチをさがすほうが楽そうだ。


「アベシュー、あったりす! これりす!」


 二人して五分ほどごそごそと周囲の壁際をさぐるうちに、タミコがスイッチを見つける。岩肌の中にこっそりと埋め込まれた黄色のボタン。おそるおそる押してみると、ゴゴゴッと壁が揺れ、石版が岩壁に吸い込まれていく。


「……開いた……」

「……りすね……」


 ついに、ついに。

 先の道へと続く扉が開いた。

 このときのために、五年も費やしたのだ。

 愁はぐっと拳を握りしめる。


「……よし、行こう、タミコ。地上まで一直線だ」

「りっす!」


 最大の障壁を乗り越えた今、地上への生還を阻むものはなにもない。

 そう思っていた時期が二人にもあった。



    *** 

 

 

「ぴぎゃー! またスライムりすー!」

「ちくしょう! もう酢の物はお腹いっぱいやんけ!」


 四十九階はほとんどスライムの巣窟と化している。中スライムは実力的にはそう強くないが、獣除け胞子が効かない。戦いづらいし胞子嚢も一際まずいしでさすがに辟易する。

 他のメトロ獣もちらほら感知胞子に引っかかるが、物陰にじっと身を潜めて出てこようとはしない。幅を利かせるスライムたちから身を隠すかのように。


「あのスライムって、最初は中スライムと同じくらいだったんかね」

「たぶんそうりすね」


 メトロに巣食うボスという存在は、基本的に成長個体か変異個体のどちらかだ。長い年月を生き延びて、戦闘と捕食を繰り返して成長し、その果てにボスとなる。もしくは最初から特別な個体として生まれ、王道を歩んでボスとなる。あのボススライムがどちらなのかはわからないが、前者なら最初は普通のスライムだったのかもしれない。


「つーかスライムってどうやって繁殖してんだろうね。ボスは自分一人で中スライム生んでたけど、あんだけしっかり内臓とか胞子嚢とかあるし、細胞分裂で単純に増えるみたいな感じじゃないと思うんだけど」

「あたいにはわかんないりす」

「俺もわかんないりすわ」

「すくなくとも、ボスがいなくなったから、スライムもすこしずつへっていくとおもうりすよ」

「もしそうなら、少しはユニおさんや五十階のやつらの役には立てたかもね」


 このフロアにいつかまたスライムのボスが誕生するのか。それとも王を失った国として緩やかな衰退の道をたどるのか。愁には予想もつかない。


「どっちにしろ、あんな化け物の相手は二度とゴメンだけどな」

「フラグってやつりすな、それ」


 何度も道に迷い、突き当たりにぶつかる。中スライムの群れと鉢合わせをして乱戦になり、煙幕玉をばらまいて逃げおおせる。

 四十八階への階段をさがすうちに夜になる。あたりは青く変わったホタルゴケの光に染められる。この階での野営は危険と考え、愁たちは気力を振り絞って進む。朝を迎える前にどうにか上り階段にたどり着く。


「……ボス戦と同じくらいくたびれたな……」

「……りす……」


 四十九階行きの階段とほぼ同じ形式だが、踊り場はそれよりも三つ少ない。真ん中の踊り場で二人は夜を明かすことにする。

 中スライムや他のメトロ獣が通る可能性もあるため、交代で仮眠をとる。愁が数時間後に目を覚ましたとき、タミコが残像を描くほどのスピードで目をしぱしぱさせている。

 

 

 

 翌日には四十六階まで、さらに翌日には四十四階までたどり着く。

 四十八階を抜けたあたりからスライムは激減し、哺乳類系や爬虫類の面々が顔を出すようになる。他にも巨大昆虫やら脚のついた魚やらも現れるが、いずれも五十階のオーガやオルトロスにくらべれば数段格下だ。それほど苦もなく追っ払うことができる。スライムのいない生活になってから、ようやく二人の旅路は安定していく。

 四十一階でそれなりに手ごわいメトロ獣と連戦になる。以前ぶつかったガーゴイルだ。

 レベル的には五十階にいたボッチ個体には及ばないが、当たり前のように爪や三叉の槍など、菌糸の武器を出して襲ってくる。一筋縄ではいかない相手だ。

 出し惜しみせず、菌糸腕と胞子光で応戦する。二戦目、三戦目と重ねるごとに相手の動きにも対応できるようになり、階段の前でぶつかったやつには一分とかからない。


「素のこいつらもそこそこ強いんだな」

「レベル40くらいりすね」


 胞子嚢を頂戴したあと、せっかくなので毛皮を剥いで持ち帰ることにする。狩人という職業における貴重な戦利品になる気がしたのだ。菌糸刀とタミコの前歯でがりがりと切れ目を入れると、意外とスムーズに皮剥ぎができる。まったくの我流だがこの五年で慣れたものだ。

「もうそろそろ、地上で金になりそうなものを集めていってもいいかもね」

 身軽さを保つために、これまで胞子嚢や多少の肉以外はほとんど放置してきた。これからは地上に出たあとのことも考えないといけない。地上がどういう社会かもわからないから目利きもなにもないが、そのへんは適当に選んでいくしかないだろう。


「あたいがもってもいいりすよ」

「荷物を持ったお前が俺の肩に乗ったら俺が持つのと変わらんだろ」


 ガーゴイルの毛皮と羽を丸めてカバンに詰め込み、探索を再開する。


 何度も道に迷い、獣と戦い。

 水がなくなってひもじい思いをしたり、メトロ獣が出てこなくて腹が減ったり。

 大岩の降ってくるトラップで危うくぺしゃんこになりかけたり。

 ときおりくだらないことでタミコと口喧嘩したり。

 真っ白な真珠のような宝石を含んださやえんどうを見つけたり。

 巨大なイガグリが坂道から何個も転がってきたり。

 地底湖のほとりで何時間もぼーっとしたり、ぐつぐつと煮えたぎる泥の沼を越えたり。

 目まぐるしく変わっていくメトロの風景に心を打たれたりしながら――。

 二人はついに三十階台を乗り越え、二十九階に到達する。ボススライムとの死闘から十日目のことだ。

 

 

 

 メトロ獣はタミコのリスカウターのような正確な敵戦力の分析能力を持っているわけではない。戦力差を測れずに本能のみで襲いかかってくることもしばしばだ。

 それでも獣除け胞子を撒けば、ありがたいことに格の違いを察してほとんどが引き下がってくれる。明らかにメトロ獣のレベルが下がってきている証拠だ。この力はあまり燃費がよくないようで、散布し続けると疲れるし腹も減るが、無駄にザコを相手にするよりはずっとマシだ。


「ふん、あたいたちにおそれをなしたりすね」

「そういやタミコには獣除け効かないな」

「あんなケダモノどもといっしょにすんじゃねえりす! シャー!」


 タミコだけでなく、昆虫系やキモグロ系のやつらにも効果が薄いようだ。知性や理性よりも捕食本能のほうが強いせいか、獲物とみると果敢に攻め込んでくる。さんざんスライムの相手をしてきたのでキモグロ系へも立派に耐性がついていて、胞子嚢をとり出すときにいちいちえずく程度で済んでいる。

 心なしか、上に行くにつれてフロアの面積が縮まってきているように思える。階段から階段までの道のりも、四十階台は三時間前後はかかっていたはずだが、メトロ獣に絡まれる機会が減ったこともあり、今ではその半分ちょっとで次のフロアが見えるようになっている。

 二十九階から一日で折り返し地点の二十五階まで、さらに一日で二十一階まで踏破する。

 いよいよゴールが見えてきて、愁とタミコはそわそわと浮つきはじめる。


「やべーな……ちょっと緊張してきた……」


 なにせこの五年、死と隣り合わせの日々の中、夢に見続けたその瞬間が近づいているのだ。この調子だと一桁階層まで行ったら泣いてしまうかもしれない。


「そうりすね、あたいもドキがムネムネりす」

「百年後も残ってんのかそれ」

「あとちょっとりす。ここまできたらゴールはもくぜんりす」

「……いや、こういうときこそ気を引き締めないとだよな。調子こいてゴール手前でずっこけて大怪我なんて草も生えんわ」

「ガクシューしたりすね」

「まあね。アベシューだからね…………なんか言ってくれ。俺が悪かったから」


 そして足を踏み入れた二十階。

 そこで二人を待ち受けるものがある。

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