14:五年後

 それからしばらくの間、階段からこっそりとボスを観察するのが日課になる。

 ボスがあの広間から出ることは一度もない。どうやら階段側も出口側も、通るには図体がでかくなりすぎたせいらしい。

 ではどうやって食糧を調達しているか。というと、メトロ獣が向こう側の出入り口から入ってくるのだ。一日か二日に一度くらいのペースで、不思議の穴に落ちたように迷い込んでくる。哀れなそいつらがボスのごはんだ。


「なんであそこに来ちゃうんだろうね、メトロ獣?」

「わかんないりす。けど……カーチャンがいってたりす、あのそとにはたくさんスライムがいるって。あのフロアはもはやスライムのくにりす」

「マジで?」

「そいつらがボスのへやにおいこんでるのかもしれないっていってたりす。じぶんたちのオーサマのためにって」


 それが事実なら、まるで働き蟻だ。ブラック会社だ。

 ちなみに、タミコのリスカウターで改めて確認してみると、ボスのレベルは――なんと70前後らしい。


「はあ!? マジで!? 70って、ちょ、話違くね!?」


 先にそれを知っていたら、あの挑戦は間違いなく中止になっていただろう。


「おかしいりす。カーチャンのみたてじゃあ、レベル60くらいだったはずりす」

「つーことは……ボスもこの八年でさらに成長したってことか」


 メトロ獣も愁たちと同様、他の個体を捕食することで成長し、強くなる。いわゆる成長個体、愁が倒した先日のガーゴイルがそれだ。大抵はそういった成長個体や、先天的に他とは違う資質を持つ変異個体などがそのままボスと認定されるらしい。


「レベルのあがりやすさとかは、しゅぞくやこたいでちがうりす。カーチャンは、あれはスライムのチョーテンだっていってたりす」

「スライムの頂点ね……他のやつら知らんけど、種族の壁突き抜けすぎじゃね……?」


 また、ボスが小さな個体――それでも愁と同じくらいの背丈だ――を生み出して、下階にも送り込んでいることも発覚する。だから五十階の階段付近は壁や床に焦げ跡があったり、ほとんど不毛地帯になっていたのだ。数はそう多くないようだが、五十階からも獲物を追いたてて食糧を調達している可能性が高い。


 階段付近でその手下を発見して、実際に戦ってみる。通称、中スライム。タミコによるとレベル30前後。

 刃を交えてみると、そのパワーもスピードもボスには遠く及ばない。しかしやはり、斬撃も打撃も効きづらい。殺しきるまでに新調したオオカミの服を少し焦がされる。タミコも頭に溶解液をほんの少し浴びて、頭の宝石の後ろに円形のハゲができる。


「ぴぎゃー! かみのけがーーーっ!」

「リス河童、治療玉塗っとこう」

「たくさんぬって! あたいのもうこんをすくって!」


 泥水のような体液を地面に広げ、内臓が剥き出しになった中スライム。陸に上がったクラゲみたいだ。


「ザコだけど、あいつの同種を倒せたのはいい勉強になったな」


 弱点はタミコ母の情報のとおりだった。同じようにやればボススライムも殺すことができるはずだ。


「まあ……できれば、なんだけどね」


 このままボスの力が増し、スライムがさらに増えれば、いずれこのフロアもやつらに呑まれてしまうかもしれない。オオカミとサルの小競り合いどころではない、一つの外来種による侵略と蹂躙が待っている。そんな風に想像するのは大げさだろうか。

 どれくらい時間に猶予があるのかはわからない。だが――あの化け物を確実に倒すために、地道に着実に力をつけなければいけない。アラサーまでにメトロを出るという目標は泣く泣く封印し、いつの日か必ずリベンジを果たすべく、出直しを誓う。

 

 

    ***

 

 

 それからの日々は、ただひたすらにこのフロアの強敵ども――オーガを、オルトロスを、オニムカデを、レイスを、そして中スライムを狩り続ける。


 疲れ、傷つき、些細なことでタミコと喧嘩し。

 ゴブリンの落とし穴にはまって危うく尻の穴が増えそうになったり。

 BBQで火加減に失敗して煙に巻かれたり。

 アガルタケというキノコを食べてハイになり、不用意にユニコーンに近づいて蹴り殺されかけ。

 オーガ三体を同時に相手にして死にかけ。

 顔面火傷だらけの成長個体のレイス――あの因縁の宿敵と死闘を繰り広げ。


 さらなる強敵を求めて五十一階、五十二階、五十三階へと進んだりもする。

 タミコも知らない強力なメトロ獣たちとしのぎを削る。

 これまでの三年よりもいっそう深く心身を消耗する厳しい日々が続く。


 それでも愁は実感する。

 必死に生きるこの身体に、着実に力が蓄えられていくのを。

 その足どりが、一歩ずつ地上へと向かって進んでいるのを。

 苦汁をなめたボス戦から一年が経ち、一年半が経つ。


 十六個目の菌能を自在に使いこなせるようになったのと同時に、愁はレベル65に到達する。タミコはレベル40で菌能五つ、悲願のカーチャン超えだ。

 ここですごす日々の終わりが近いことを、愁は悟る。

 

 

    ***

 

 

 朝になり、隠れ家の壁に横棒を一つ書き足す。

 毎日マメにつけていた正の字カレンダーは、これで三百六十個。

 千八百日。およそ五年だ。


「おはよう、タミコ」

「……おはようりす、アベシュー」


 先に起きていたタミコは、不安なのかテンションが低い。こしょってやろうと思うがやめておく。多少ナーバスになっているのは愁も同じだから。

 水場で顔を洗い、房楊枝で歯を磨く。

 ヒゲも髪の毛も、これまでは菌糸刀や石のナイフで適当に手入れをしてきた。まばらな無精ヒゲを簡単に剃り、そして意を決して髪の毛をざくざくと大胆に切っていく。鏡など必要ない、適当でいい。短くて動きやすければそれでいい。


「あたいがやってやるりす。あたいのまえばでスマートヘアーにしてやるりすよ」

「お前、俺をハゲにするつもりだろ」

「つべこべいわずにじっとしてろりす。アベシューのくっさいあたまをすっきりテカテカにしてやるりす」

「やめろこの畜リスめ。のっぺりツルツルなのはこの顔だけでじゅうぶんなんだよ。言わせんじゃねえよ、ちくしょうめ」


 とりあえず坊主一歩手前くらいのベリーショートで落ち着く。頭が軽くなってすっきりする。触り心地も悪くない。

 と、感知胞子の範囲に入ってくるものがある。音がしない、ユニコーンだ。


「あ、おはよう、ユニおさん」


 角先が少し欠けたユニコーン。この二年で愁たちとの距離はぐっと縮まっている。肌に触らせないのは相変わらずだが。

 愁に顔を近づけ、ぶるるっとくさい息を吐きかける。例のブツを催促しているようだ。

 てのひらに治療玉を生み出す。ユニおに差し出すと、彼は舌で巻きとるようにして口の中に含む。ふんっと満足げに鼻を鳴らし、頭を上下させる。

(結局、ユニコーンとは一度もやり合わなかったな)

 リスカウターの評価によると、今では愁のほうがわずかに上回っているようだ。第十五と第十六の菌能を使いこなせるようになったし、正面から戦っても負けることはないだろう。

 だが、愁としてはそのつもりはない。彼らは争いを好まないし、この水場では彼らの獣除け効果の世話になった。わざわざ喧嘩をふっかける理由はない。


「ユニおさん、今日でたぶんお別れだ」


 言葉がわかるとは思わないが、愁はそう告げる。


「これから四十九階のボスにリベンジしてくる。今度は勝てる自信がある、勝てたらそのまま俺たちは上に向かう。ここには戻ってこない。まあ、ボコされてすごすご戻ってくる可能性もあるけどね」


 この地獄のメトロでタミコ以外に唯一友だち? になれた彼には、きちんと挨拶をしておきたかった。


「ユニおさんにあげられる治療玉も、これが最後になると思う。せっかく仲よくなれて、ちょっと残念だけど……元気でね」

「ユニおさん、あたいのことわすれないでね」


 ユニおは大きな目をぱちくりさせ、それからぷいっと踵を返す。

 と、なにを思ったかいきなり岩壁に向かってダッシュする。けたたましい衝突音とともに壁が破砕し、ぱらぱらと石片が降り落ちる。


「……ちょ、ユニおさん……?」


 唖然とする愁とタミコ。ユニおは岩壁に埋まった頭を引き抜き、なにかをくわえ、愁たちのところに戻ってくる。


「ユニおさん、角……」


 角が折れている。根元からぽっきりと。それをタバコのようにニヒルに口にくわえている。

 ふん、と鼻を鳴らして顎を突き出す。意図を察した愁がおずおずと手を差し出すと、その手に角を落とす。


「いやいや、これ……」


 彼なりのエールのつもりなのだろうが、こんなにも豪快に身を削った餞別は恐縮すぎる。


「ユニコーンのつのははえかわるりす。こんどあうことがあれば、きっとおれてないりっぱなつのがはえてるりす」

「なるほど」


 そういうことだ、と言わんばかりにユニおは頭を振る。


「ありがとう、ユニおさん。大切にするよ。またいつか会いに来るよ」

「ヒヒィーンッ!」


 ユニおが天井を仰ぎ、高らかに鳴く。初めて聞くいななきだ。

 最後に二人の姿をつぶらな瞳に映し、今度は振り返ることなく去っていく。愁はちょっと泣きそうになるが、肩に乗っているタミコが先に号泣しているのでこらえる。


「……こんなもんもらって負けて戻るようじゃ、カッコ悪すぎるよな」

「りす」

「行こう、タミコ。今日でこのフロアとはおさらばだ」

 

 

 

 ユニおの角をカバンに仕舞い、隠れ家をあとにする。こうして四つん這いで出入りするのも、うまくいけばこれが最後になる。穴を出て立ち上がり、礼をする。タミコもそれに倣う。


 二時間ほどかけて階段にたどり着く。心臓破りの階段――二人がそう呼ぶ二百五十段の階段。

(一段二十センチくらいとして、一フロア五十メートル? 単純計算で地下二・五キロ?)

(そもそも病院で寝てただけなのに……なんでこんな深くにいるんだろうな?)

 今の愁の体力には大した負荷にはならないが、仮に一つのフロアごとにこれだけの段数を上る必要があるとなると、地上に出るまでに太ももが競輪選手並みになってしまうかもしれない。

(地上に出れば……東京になにが起こったのかを知ってる人がいれば……それもわかるんかな?)


「アベシュー……もうすぐりす……」


 肩でタミコがささやく。愁はうなずき、顔を上げる。

 前回と同じ轍を踏まないように、九回目の踊り場でカバンを下ろす。オオカミ製の上着とマントも脱ぎ、紐で留めたハーフパンツ一丁という潔い格好になる。


「……いつもどおり、いるね」

「……いつもどおり、いるりすね」


 最後の二十五段を上った先にやつがいることを、愁の感知胞子とタミコの聴覚が捉えている。


「タミコ、リスカウターで見てくれる? こっそり、慎重にね」

「りっす」


 タミコが肩から降り、ぴょんぴょんと飛び跳ねて階段を上っていく。最後の一段の前で止まり、懸垂するように顔だけ出して、部屋の奥を目視する。

 数秒その体勢を保ち、ぽてっと尻餅をつき、またぴょんぴょんと下りてくる。愁の数段上で止まる。


「どうだった?」

「……まえにみたときより、さらにつよくなってるきがするりす……70よりうえりす……」

「……そっか」


 一年前のトラウマが脳裏に甦る。

 手が震えている。心拍数が上がる。背中がぞわぞわと粟立つ。

 目を閉じて何度も深く呼吸する。

(大丈夫だ。絶対に勝てる)

(何度も頭の中でシミュレーションした)

(いける、今度こそ)

 そう自分に言い聞かせる。何度も何度も。


「あああアベシュー! ここここわいりすか?」


 タミコがガタガタ震えながら言う。


「あああたいも、いいいっしょにたたたたかうりす!」

「タミコ」

「あああんなどどどろんこドングリもどき、あああたいのきばでかつらむきりすよ!」


 涙目で、尻尾をぶるぶるさせ、小さい手をぎゅっと握りしめ、愁を見上げている。

 愁はぷっと噴き出す。指先でタミコの頭をむきゅっと撫でる。


「またハゲられたら笑っちゃうからさ」

「ハゲはわすれるりす! シャー!」


 一人では絶対にここまでたどり着けなかった。

 この五年間、二人だからやってこれた。

(戦うのは一人でも――俺は一人じゃない)

 愁はタミコの前に拳を差し出す。


「いざとなったら頼むよ、相棒」


 タミコはその拳に拳を合わせる。


「まかせるりす。だけど、アベシュー……かって!」


 愁はうなずく。

 前に突き出した手から、しゅるしゅると糸が生じる。菌糸刀と大盾。

 さらに目を閉じて意識を集中させる。

 刀と盾が青い光をまとう。

 ――第十五の菌能、胞子光。

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