13:見上げる

 愁が体勢を立て直すより先に、ボスの触手が横薙ぎに迫ってくる。大盾で受け止めるが、身体ごとはじき飛ばされる。


「くそっ!」


 地面を転がり、痛みを噛み殺しながらすぐに起き上がる。二本に増えた触手の先から、茶色の液体が線状に放たれる。受け止めた大盾がどろどろと溶けていき、慌てて手から切り離す。

 足を止めた愁の頭上に触手が降ってくる。今度は跳躍力強化で斜め前に飛び込む。距離が詰まる。


「ふっ!」


 右手の指先から三つの燃える玉を放つ。間髪入れずに左手からは電気玉を。

 半球形の表面が爆ぜ、バチチッ! と電流が走る。触手の動きがぴたりと止まる。

(――効いたか?)

 表面がへこみ、ぷすぷすと焦げくさいにおいをさせている。どろりと粘っこい茶色の液体が垂れているが、ぶるっと身震いするだけで瞬く間に元に戻ってしまう。

 再び触手が襲いかかってくる。触手は愁の胴回りほどもあり、自在に伸びて動き回り、しかも今では四本にまで増えている。

 ビタンビタンと触手が荒れ狂う。地面が破砕し、壁がえぐれる。その風圧だけで殴られたような衝撃を受ける。

 触手は壁まで余裕で到達する。つまり部屋全体が射程距離だ。

 突き放され、近づけなくなる。反撃どころかかわすのも精いっぱいだ。


「こりゃっ! やべえっ!」


 触手は振るわれるまで軌道が読めない。関節がないので自在に曲がる。

 加えてスライムには表情がない。感情が読めない。視線から攻撃を予測したり初動を予期したりできない。

 これまで相手にしてきた獣とはまったく違う。生き物どころかもはや機械だ。

 再び菌糸刀を出す。真上からの振り下ろしをかいくぐって斬りつける。

 斬り込んだ刀が表面の膜を裂くが、その中のどろどろにはまったとたんに刀身がボロッと崩れて朽ちる。触手に詰まっているのは先ほど放たれた強力な酸そのものだ。


「くそ――」


 足が止まった愁の背中を、別の触手が殴りつける。前に突き飛ばされて頭から地面に叩きつけられる。意識が遠のく。

(これは――やべえ)

(動け、死にたくなけりゃ――)

 脳天めがけて真上から触手が迫る。愁は腕をクロスさせて受け止める。膝をついたままの足が地面にひびを入れる。

 寸前で円盾を両腕に生んだが、それでも衝撃を完全には殺せない。背骨に電流が走るかのように身体が痺れ、次の動作が一歩遅れる。そこへ六本に増えた触手が一斉に降り注ぐ。


「アベシュー!」


 ぱらぱらと石のかけらが降り落ち、もうもうと立ち込めるのは土埃――ではなく灰色の煙。煙幕玉だ。

 ボッと煙を突き抜けて愁がダッシュする。折れた左腕はそのままに、つぶれた左目はそのままに。右手に菌糸刀を生み出し、スライムの胴体へと投げつける。

 まっすぐに空に線を引く刀がどぷっと突き刺さる。だが膜を破って中身の液体を多少こぼすだけだ。おそらく触手と同じ、中の液体は強い酸のような性質だ。すぐに溶けて朽ちる。


「ああああああっ!」


 跳躍力強化で一気に距離を詰め、菌糸ハンマーを振りかぶる。そして、刺さった菌糸刀の柄尻に打ち込む。刀が根元まで押し込まれる。

(届いたかよ、中に?)

(そこが弱点なんだろ?)

 タミコ母から受け継がれた情報。

 スライムの弱点――その粘液の奥にある内臓器官。

 そこを破壊すれば死ぬ。

 問題は、そこに攻撃を届かせることができるかどうか――。

(どうだ――?)

 スライムが一瞬びくっとひきつる。一秒に満たない硬直。

 そして――爆発的に膨張して無数の触手を繰り出す。怒りを露わにするかのように。


「うおっ!」


 とっさに飛び退いた愁だが、その左足が空中で触手に呑まれる。ジュッ! と焦げる音とともに膝から下がボロッとちぎれる。うまく着地できずに地面に落ちて転がる。


「ぐうっ!」


(ダメだ、ここまでだ)

 半立ちになり、片足の跳躍力強化で地面を蹴る。向かうは五十階への階段だ。


「タミコ、逃げるぞ!」


 体表を触手状に伸ばしての殴打、捕食。中身の液体の放射による溶解攻撃。

 話に聞いていたボスの攻撃パターンを体験することができた。その速度や強さを身をもって味わった。

 防御力や身体の特性も確認できた。ほんのわずかな突破口も見出すことも。

 もういい、収獲はじゅうぶんだ。

 これ以上続けても、今は勝機がない。

 倒せないことも想定の範囲内だ。あとは戻って作戦を練り、それを実践する力をつければいい。あるいは最低限あいつを抑えている間にタミコに出入り口のスイッチをさがしてもらうとか――。

(つーわけで、今日はこれくらいにしといたる!)

 片足走りで触手をかわしながら階段までたどり着く。タミコがそこで待っている。


「アベシュー!」


 タミコの声で振り返る。


「――え」


 大量の水が覆いかぶさってくる。茶色い水の柱だ。

 スライムの吐いた体液だと一瞬にして悟る。それがどういうものなのかもわかっている。

(あんなにいっぺんに)

(まるで放水)

(階段の奥に逃げる?)

(ダメだ、間に合わない)

(後ろにタミコがいる)

(ダメだ、かわせない)

 タミコを背に菌糸大盾を出す。そして水柱が愁を呑み込む。

 溶けていく盾、そして身体。喉が灼けたところで愁の絶叫は途切れる。

 

 

    ***

 

 

 意識が戻る。

 腕を引っ張られ、ずるずると引きずられている。どこどこと身体の前面が段差にぶつかっている。うつ伏せの体勢で階段を引きずり下ろされているようだ。


「アベシュー! おきたりすか!?」


 目の前にタミコがいる。涙ぐみ、ぺちぺちと愁の鼻を叩く。


「……タミコ……」

「ボスはもうおってこれないりす! もうすぐしたにつくりすよ!」


 どうやら手を噛んで引っ張って下りてきたようだ。冗談が現実になってしまった。意識がなかったのが幸いか。


「お前、無事だったんか。よかったな……」

「アベシューのおかげりす! あたいがしたまでつれてくから、アベシューはやすむりす!」

「休むってててて……たたたた、タミココココ……」


 段差に当たって言葉がスタッカートになる。きちんと痛いので自分の足で下りることにする。


「……あれっ?」


 立ち上がりかけて、膝から下を失った左足がまだ足首までしか再生していないのに気づく。腕や身体も焦茶色に焼けただれたままだ。気を失ってまだそれほど経っていないのだろうか。


「だからいったりす! なおるからって、ムチャしすぎりす!」

「ごもっとも……」

「たくさんとけちゃったせいで、まだなおりきってないりす。ツルツルのしおがおも、レイスがくさったみたいりす」

「これで少しは憶えやすい顔になったかな……」


 会社の先輩に一カ月経っても憶えてもらえなかったのを思い出す。

 加えて裸になっていることに気づく。服もすべて溶かされたようだ。

(ちくしょう……最後の最後でえげつねえことしやがって……)

 スライムへの恨み節はあとで楽しめばいい。

 こんなザマではあるが、得られたものは大きい。この経験と反省を次につなげる、そのためにすべては隠れ家に戻ってからだ。

 一歩一歩、壁に手をついて下りていく。身体中で絶え間なくわめき続ける激痛よりも、それ以上に空腹がつらい。足腰の力が抜ける、目が回りそうだ。

 タミコの言葉どおり、ほどなくして五十階にたどり着く。愁はふらりとよろめき、そのままうつ伏せに倒れる。


「アベシュー!」


 おかしい、と愁は思う。

 気を失っている間、タミコはずいぶん進んでくれたようだ。それなら時間的にもっと再生していてもおかしくないはずなのに。

 呼吸をはずませながら、焼けただれたままのてのひらを見る。


「……再生が……止まってる……?」


 ぐうっ、とうめく。痛みでなく空腹から。

(やばい。これはマジでやばい)

(再生には体力を使う。たぶん再生箇所が多すぎて消耗しすぎたんだ)

(ってことは――このままだと治らない。どころか動けもしない)

 ここに来るまでに狩ってきた獣の胞子嚢があったはずだ。

 ――いや。あれはカバンごと階段のところに置いておいた。おそらくあのスライムの酸ですべて溶かされただろう。


「アベシュー! しっかりするりす!」

「……なにか……食わないと……」


 このままだと――どうなる?

(治らない?)

(動けない?)

(どうなる? 死ぬ?)

 脳が恐怖であふれ、身体が急激に冷たくなっていく。


「ううっ……ああっ……!」

「アベシュー!」


 なんでもいい。なにか食いたい。

 腹が減りすぎている。このままだとやばい。死ぬかもしれない。

 それより先に気が狂う。頭がおかしくなる。怖い。怖い怖い怖い――。


「――あ?」


 そばにいるタミコに手を伸ばしかけていることに気づく。


「……いや、違うって……違う、違――」

「いいりすよ」


 放心する愁の目の前で、タミコはにこっと笑う。


「……は?」

「あたいをたべるりす。それでアベシューがたすかるなら、あたいはそれでもいいりす。こんどはあたいがアベシューをたすけるばんりす」

「……なに言ってんだよ……」

「アベシューがいなければ、あたいはどのみちここでしぬりす。でもアベシューなら……いつかひとりでもボスをたおして、ちじょうにでられるりす。だから……アベシュー……」

「……タミコ……」


 愁の震える手が、タミコへと伸びて。


「……ざっけんな、アホリス」


 ――そのかたわらにある石を掴む。


「お前みたいなチンチクリンじゃあ腹は膨れねえんだよ! 石ころかじってるほうがマシだ!」


 口を開け、石を噛み砕く。バリバリと咀嚼して飲み込み、盛大にむせて吐き出す。胞子嚢よりまずい。


「アベシュー!」

「げほっ、げほっ……はあ……タミコ、なんでもいい……」

「へ?」

「キノコでも草でもいい……なにか持ってきてくれ……頼む……!」


 タミコは涙をぐいっと拭い、力強くうなずく。


「すぐもどるりす! まってるりす、アベシュー!」


 ふさふさの尻尾が暗がりの中へ去っていくのを見届けると、愁の意識は徐々に真っ暗な雲の中へと沈んでいく。

 

 

 

「……シュー! アベシュー!」


 タミコのキンキン声がする。またしてもぺちぺちと鼻を叩かれている。


「もってきたりすよ……キノコと、ゴブリンりす……」


 目を開けた愁は、息を呑む。

 目の前で、タミコの身体がぐらりと揺らぐ。倒れ込む前に愁の手がそれをキャッチする。

 彼女の腹が赤く染まっている。その後ろには数本のキノコと、息絶えた赤ゴブリンの死骸がある。


「タミコ!」

「……アベシュー、あたいもやればできたりす……ゴブリンをまえばのサビにしてやったりす……」


 力なく笑うタミコが、そっと目を閉じる。

 愁は治療玉を出そうとするが、いくら念じても出てこない。菌能を使う体力が残っていない。


「……待ってろ……!」


 這いつくばってキノコを掴み、口に放り込む。味わう暇もなく飲み込み、すぐさまゴブリンの死骸を引き寄せる。なけなしの力を振り絞り、素手で腹を破り、中を漁って胞子嚢を引きずり出す。

 ピンポン球大のそれを、ほとんど噛まずに飲み込む。あれほどまずいと思っていた胞子嚢が、これまでのどんな食事よりも身体を満たしてくれる。手の痺れが和らぎ、徐々に力が戻ってくるのを感じる。


「タミコ!」


 治療玉を生み出す。それを握りつぶし、汁をタミコの身体にかける。白濁した液体が血を洗い流し、傷をふさいでいく。

 タミコがゆっくりと目を開ける。


「……アベシュー、だいじょぶりすか……?」

「お前こそ……無理すんなよ! 弱いくせに!」


 彼女の身体をそっと手にとり、抱え込む。


「……お前のおかげだよ、相棒」


 手の中のちっぽけな彼女の鼓動が、呼吸が、愁に熱を伝える。それが身体中にじわりとめぐっていく。

 歯を食いしばり、顔を上げる。自分が転げ落ちてきた階段を見上げる。


「――ここを出るときは、絶対に二人一緒だからな」

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