迷宮メトロと糸繰りの狩人

佐々木ラスト

0:メトロの氾濫

 最初に異変に気づいたのは、東都メトロ南北線のレール点検をしていた工務部所属の作業員たちだった。

 

 あるはずのない分岐路がそこにあった。なんの脈絡もなくレールの行き先が二つに分かれ、線路はコンクリートの壁にぽっかりと空いた大きな横穴の暗闇の中へと続いていた。手持ちの光源を集めてもその奥には到底届かなかった。

 

 線路はほぼ直角に曲がっていた。車両がこんな角度で曲がれるわけがないし、なによりこんなところに分岐がないことは彼ら自身が一番よくわかっていた。夢でも見ているのかと思っても、互いにつねった頬は痛かった。幻覚にしては触った感じもリアルすぎたし、イタズラにしても手がこみすぎていた。

 

 どうなっているんだろう。この奥にはなにがあるんだろう。入ってみようか。

 そんなことを口々に相談していたとき、ひゅうっと生温かい、なんとも生ぐさい風が流れてきて、彼らは身震いした。怖気づいてすぐに戻ったことが、彼らの命運をわずかに引き延ばすことになった。

 

 その日の朝までに似たような報告が三十件、メトロの各線各駅より上がった。

 謎の空洞と線路の出現――オカルトのような信じがたい現象だが、それは現実に起こっていた。


 都と国交省はただちに東都メトロ各線の運転とりやめを発表した。怪奇現象については伏せたまま、「各線トンネルと線路に重大な瑕疵が認められたため」と理由をつけた。


 東都メトロの一日の利用者は六百万人を超える。彼らは訝り、困惑し、悲嘆し、怒った。

 通勤難民のほとんどが別の交通機関へと殺到した。都心部を中心に交通網に大混乱が生じ、各所で事故が相次いだ。

 

 その日のうちに調査が行なわれたが、謎の空洞に入っていった職員はそのまま帰ってこなかった。 

 行方不明者の捜索のために消防庁と防衛省に出動命令が下されたが、その捜索隊もまた帰ってこなかった。

 

 三日後には空洞は百箇所を超え、関係者を戦慄させた。

 その情報がマスメディアに漏れ、一千万人を超える都民を戦慄させた。

 今、我々の足下でなにが起こっているのか、と。

 

 ――メトロが氾濫している。

 

 そう形容したのは、昼のワイドショーに出演していた俳優上がりの司会者だった。

 

 そして、最初の異変から一週間後。

 日本中の不安と恐怖と好奇が注がれる中で。

 東京という日本最大の、世界屈指の大都市の終わりが始まった。



「カビやキノコといった菌類は、食物連鎖における分解者です。生産者である植物質――落ち葉や枯れ木を分解し、無機物に戻して生態系を循環させる掃除屋の役割を持っています。消費者である動物質の分解も行ないますが、そちらはもっぱら細菌類のほうの仕事で、菌類と細菌類は名前が似ていてもまったく異なる存在です」

「どう違うの?」

「菌類は真核細胞、細菌類は原核細胞です。菌類は菌糸という細胞の連なりでできていて、胞子で増える。細菌類は単細胞生物で、分裂で増える。キノコはおいしいけど、細菌は食べられないしお腹にも溜まりません」

「ノアはものしりりす」

「ボクも聞きかじりの知識ですけどね。百年前――地下に氾濫したメトロから溢れ出た〝超菌類〟に東京は呑み込まれた。街を、人を、文明を根こそぎ分解して、菌糸植物の楽園を築いた。その後数十年をかけて新たに再生されたのが、今ボクたちのいるこのシン・トーキョーです」

「百年かあ……」

「ひいじいがおやすみの前に聞かせてくれた、大昔の日本という国、平成という時代……シュウさんはそこに生きてたんですね」

「そうだね……あんまり実感ないんだけど。ずっと寝てたからね、百年も――」

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