召喚
TARO
笑うひまわり
ああ、嫌だ、なんて嫌な笑いだろう。
私は目の高さにまで育った一本のひまわりに対峙している。太陽に背を向けているせいか、シルエットは恐ろしく暗い。ただ、そいつは笑っている。薄ら笑いを浮かべてこっちを見ているのだ。
ひまわりの花は通常、太陽に正対している。だから、日中、陽に背を向けて咲くことはありえないのだ。じりじりと熱い、真夏の昼下がり、そいつは花床の部分を三日月形に開けている。まるで黒いひまわりが笑って佇んでいるかのようだった。
いや、それは違う。逆光で黒く見えるのではない。こいつは確かに黒いのだ。緑の部分も黄色の部分も茶色の部分もすべて暗黒におおわれているのだ。
漆黒のひまわり。語感は良いが、いざ対峙してみると、その異様さに圧倒されてしまう。ただただ、嫌な感情だけが立て続けに湧き起ってくる。すぐこの場を離れたい。走り去ってしまいたかったが、なぜか足が硬直してしまっている。
やがて、風が吹いて、天気が急変した。たちまち空は曇り、あたりは暗くなった。予感をするまでもなく、雨が降り出し、次第に勢いを強めていく。
土砂降り。叩き付ける雨の中、なおも黒いそいつは笑ってこっちを見ていた。ずぶ濡れになりながら、私は声をしゃくりあげながら泣いていた。
最悪の気分で目を覚ます。目が覚めても、黒いひまわりのイメージが頭から離れなかった。妻はとっくに起きて、朝食の準備を始めている。日常。いつもの日常が始まっていた。
電車に揺られて、眠りが浅かったのか、吊り革につかまりながらうつらうつらしてしまった。私は軽く頭を振って、鞄からオイルクロス張りの大き目のノートを取り出した。お気に入りのノートにお気に入りの筆記具でメモを付けるのが好きだ。仕事であるにかかわらず思いついたことはすぐに書き留める。本日の予定の傍らに、妙な図とともにアイデアが添えられていたりするが、本人が解ればそれでよいのだ。
ページをめくっていると、自分の物ではない絵が紛れていたりする。それは私の目を盗んで私の万年筆で書かれた息子の落書きなのだ。私は気づかぬふりをして、それを楽しんでいた。
そういえば、と私は思い立った。息子が書いているひまわりの絵があった筈である。それが見たくなった。探すとそれはあった。
ただ、それは真っ黒に塗りつぶされたひまわりになっていた。まるで昨日の夢のようだった。夢のひまわりと同様、花の中央の花床の部分に三日月型のくりぬきがある。つまり、笑っているのだ。私はおぞましいものを感じてノートを閉じた。
こんな日に限って仕事は忙しく、ミスのできない局面が続いた。わたしはぼんやりする頭で対応せざるを得ないので、神経を余分に擦り減らした。午後、やっとひと段落して、気づくと、ノートをパラパラとめくっていた。
例のひまわりの絵の他にも、犬か猫か、四つ足の何かの動物、電信柱と太陽と雲、飛行機などが描かれていた。
「わあ、主任なんですそれ」
アルバイトの女子大生が話しかけてきた。
「ああ、子供だよ。知らないうちに落書きしちゃうんだ」
「かわいいですねー。隣のはお化けの絵かしら?」
「ハハハ…多分ね」
実際それは私も初見だった。かなり乱暴に描かれていて、口から火のようなものを吐いてるようにさえ見えるが、おそらく、それは、去年他界した息子のおばあちゃん、つまり私のお袋の絵に思えた。癖っ毛が誇張されているから髪がボウボウになっている。料理を作っていた印象が強いのか、手に包丁を持っているのだろう。確かに雑に描いたナマハゲに見えなくもない。私はノートを閉じて、女の子に別の仕事の指示をした。
以来、毎晩夢の中に息子の絵が現れるようになった。
ある日の夜は、私は唸り声を上げる得体の知れない動物に睨まれ続けた。次の日は、電信柱一本と、空に浮かぶ雲、そして照りつける太陽のみの殺風景な場所に目が覚めるまでその場に居続けた。その次の日は、足は動いてくれたが、遠くの空の飛行機が旋回してこちらに向かって次第に大きくなってくるので、ずっと逃げ続けねばならなかった。
あの黒いひまわりの夢を見てから、私は悪夢に悩まされるようになった。そういえば、と私は思い出すことがあった。少し前に息子を散々叱ったことがあったのだ。息子の放置した人形の頭の部分を思い切り踏ん付けてしまい、足の裏に激痛が走った。私は痛みのあまり、怒りに任せて怒鳴り散らしてしまい、人形をゴミ箱の中にぶん投げた。
おそらくその後で、息子は私のノートに以前に描いたひまわりの絵を黒く塗り潰したのだろう。それから夢の中に息子の絵が具現化されて現れるようになった。復讐なのか? それとも腹いせにやったことがたまたま作用したのか? そもそも私の息子を叱った、という罪悪感が原因で見ているだけかもしれない。
問題は、と私の脳裏にあの新たに追加された絵が蘇った。
あの絵が、私の想像通りなら、夢の中で私はお袋に再会するだけだが、問題なのは、息子が私を始末しようとしてあの絵を書き送ったかもしれないということである。
ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……
召喚 TARO @taro2791
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