ラウンド・サークル
青木ヤギ
第1話 おつかいの報酬
膨らんだコンビニ袋を提げながら閑静な住宅街を歩く。
「なんでこんなに不便な所にある大学を選んだんだろう」
そして現状に対して悪態をつく。
入学式から一ヶ月が経ち、ぽかぽかと暖かい日が続いている。その「ぽかぽか」の中を一〇分も歩けば自然と汗ばんでくる。
入学初日から言い続けた悪態は、今日で何度目かわからない。大学の行きと帰りにそれぞれ一回ずつ言ったとして、登校日が週五日つまり月二〇日あるから、二〇
今年というか今日まで一ヶ月も通った大学は、最寄り駅から一五分ほど歩いた所にある。そして、現在向かっている場所すなわち「行き先」は大学から一〇分ほど、最寄り駅から五分ほど歩いたところにある。つまり、駅からは「行き先」の方が近いのだ。
「行き先」の駐輪場に愛用の自転車を止めているので、普段の登校は駅から徒歩で「行き先」へ行き、そして自転車で大学へ向かう。
図式化すると、駅→(徒歩)→行き先→(自転車)→大学、となるだろう。
しかし、生憎と今朝になって愛車のパンクを見つけてしまい、徒歩で大学へ向かうこととなった。明日にでも修理に出そう。
先ほどから現在の行き先を「行き先」と表現していて、これは間違っていないんだけれど、具体性の欠ける言葉である。そのため、話のイメージが掴みづらいだろう。別に「行き先」が表現しづらいものではない。
歩みを止めて正面に経つマンションを見上げる。
行き先はここ。このマンションの最上階である。
問題は最上階に暮らす住人と、その人と僕との関係が表現しづらいのだ。
最上階の住人から渡されたカードキーでエントランスをくぐる。ロビーには革張りのソファが設置され、高級感を演出している。ここはいわゆる高級マンションなのだ。
待機していたエレベーターに乗り込み、一度カードキーを操作盤にかざしてから、最上階と記されたボタンを押す。音もなく鉄の扉が閉まった。
ことあるごとにカードキーをスキャンさせるところから、この建物のセキュリティの高さがうかがえる。さすが高級マンション。
最上階には一戸しかない。正確には、最上階とその一階下を合わせて一戸である。中で二つの階は階段で繋がっているのだ。
僕が会いに来た住人は高い確率で自室のある最上階にいる。つまり、住人に会いたければ最上階まで直行すればいいのだ。ベルの音と合わせて鉄の箱は停止する。そして扉が静かに開く。エレベーターを降りると人感式センサーが反応してロビーのライトが点灯する。
ここは無味乾燥としている。
この部屋に訪れる人々は基本的に最上階まで上がらず、一階下の玄関から入る。このマンションの設計者にとって最上階にあるエレベーターホールは裏口的な扱いなのだろう。
住人から貰った鍵をドアに差し込んでひねる。ガチッと音がする。これだけではまだ開かない。ドア横に据え付けられた白い機械にカードキーをかざす。機械のランプが赤から緑に変わり、もう一度ガチッと音がする。
ドアを引き開ける。
以前は鍵とカードキーの順序を逆にして開錠していたが、ある時、鍵を差し込むのにもたついてしまい、折角カードキーで開錠していたのにまたロックがかかってしまった、というハプニングがあった。それ以来、先に鍵から差し込むようにしている。
この話を住人にしたら、
「なーくんはホテルのオートロックが苦手な人なんだね」と言われた。
「ホテルに泊まったことあるのか?」と聞くと、
「ないよ。そんな経験したことがない」と返された。
「入るぞ、
室内に踏み入る。
「おー、いらっしゃい、なーくん」
部屋の奥からここの住人の声が聞こえてくる。
靴からスリッパに履き替えて、ずかずかと奥へ進む。
「なーくんの分もあるよ」
声の主のいる部屋に入ると、チーズとトマトソースと脂と、要するにピザの香りを浴びた。ここの唯一の住人である海来がいたのは、ベッドルームとサーバールームを足して二で割ったような部屋である。
「おっ、ミイの要望にちゃんと答えている」
二〇畳、いやそれよりもっとあるかもしれない。それくらい大きな部屋に大きなベッドが置かれている。キングサイズと呼ばれる種類のベッドだろう。といっても、これほどの大きさのベッドはここでしか見たことがないので確かなことはわからない。そのベッドの周りにはラックやテーブルが並べられ、その上にモニターやキーボード、パソコン本体が所狭しに置かれている。
これでベッドルームとサーバールームを足して二で割ったような部屋ができあがる。
「どれどれ、飲むヨーグルトにバームクーヘン、それにお茶・・・」
ミライはこのベッドの上でパソコンに向かいながら一日の大半を過ごす。海来の両親は彼女の
「んむ?」
髪の毛と同じ灰色の瞳に見つめられる。
「あっ、いや、なんでもない」
「うむ?それより、なーくん、立ち竦んでないで一緒に食べようよ」
どうやら僕はピザと海来の部屋の香りを嗅ぐと同時に立ち止まってしまったらしい。手に持っていたコンビニ袋はいつの間にか海来の手に渡っている。彼女はその中をガサゴソとあさっている。
「・・・ピザ」
「そうだよ、ピザだよ。おいしいよ」
ベッドの足下にはローテーブルが置かれている。その上に宅配ピザの箱が積まれている。
「さー、はやく、二枚目に行こう」
「もう一枚食べたのかよ」
「だって、なーくん来るのが遅いんだもん。買い物ありがとうね」
海来は飲むヨーグルトのパックにストローをつきさす。
急かす海来をなだめながら、ピザの箱を開ける。とろとろのチーズの上に三角形に切られたパイナップルが散りばめられている。トロピカルピザだ。
「そういえばさ、海来」
「なに?なーくん」
「なんでピザなの?」
海来はピザを一切れ掴む。びよーん、とチーズが伸びる。
「その問いは、『なんでピザがここにあるの?』という現状と現実を確認する問いなのか、『なんでミイはピザが食べたくなったのか?』というミイ様との親睦を深めるための問いなのか、『なんで俺ピザを食っているんだ?』という自らの人生を疑問視する問いなのか、どれなの?」
「・・・その全部かな。特に最後の問いはぜひ海来と議論したいね」
「なーちゃんの人生がピザと共にあるとは知らなかったよ。
一問目の答えは『ミイ様が食べたくなったから』だね、二問目の問いは『そういう気分だから』、そして最後の問いは『そもそもなーちゃんはここに来て一度もピザを食べていないから、この問いは成立しない』だね」
言われてみれば、僕はこの部屋に入ってから未だにピザを手にしていない。僕は、ピザの匂いを嗅ぎ、ピザの箱を開け、ピザを海来がとりやすいように並べただけだ。
「そういえば、なーちゃんはトロピカルピザが嫌いなんだっけ。他にもいろんなピザを買ったからどんどん開けていいよ」
海来は二切れ目に取りかかろうとする。
「んじゃ、お言葉に甘えて」
「遠慮しなくていいよ。友情の証だと思ってくれればいいよ」
「ずいぶん安い友情の証だな」
「言われてみるとそうだね。なーちゃんとはもっと深い関係にいたいから、ふふ、ふふふ」
「なんだ、その不気味な笑いは。不快だぞ」
「
「そんなにおもしろいんだったら、もうちょっとおもしろそうに言えよな」
「ミイとなーちゃんの関係はピザでは語りきれない。
そうだ、このピザはミイ様からの報酬としよう。労働ホーシューです!」
僕は三十分ほど前に海来から頼まれごとを引き受けた。頼まれごとと大層に言っても、単なるおつかいだった。
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