紙とペンと、僕

あき @COS部/カレー☆らぼらとり

紙とペンと、僕

たかしへ




おかえりなさい。今日も学校おつかれさま。

手洗いとうがいが済んだら、冷蔵庫にプリンがあるから食べてね。

ただし、1日1個、おぼえているよね?

それから、クロにもミルクをあげてね。

たかしが飼うって決めたんだから、ちゃんと責任を持つこと。


ごめんね。

今日、おかあさんは帰れそうにないです。

お父さんも帰りが遅いとおもうから、鍵と戸締りをして、先に寝ててね。

宿題と明日の準備も忘れずにやること。


本当は、今日たかしに大切な話があるからって早く帰ってきてもらったんだけれども、やっぱりやめました。おてがみにします。



もうお父さんから聞いているとおもうけれど、おかあさんはちょっと身体の調子が良くないです。

しばらく病院に入院することになりました。

でも、心配しないでね。すごいお医者さんがおかあさんの病気を治してくれるから大丈夫です。


久しぶりにおうちでたかしと会えるとおもったんだけれど、残念。

おやすみの日になったら、またお父さんとお見舞いにきてくれるとうれしいです。


あと、お父さんの言うことをちゃんときくこと。

おかあさんとの約束だからね。

たかしなら守れるよね?


だいすきだよ。

ずっとずっと、あいしてる。



おかあさんより。





それから数日後、母は病院で息を引き取った。末期ガンだったそうだ。食卓に置かれていたこの二枚の置き手紙が、母の最期のメッセージとなった。


小学校高学年だった僕は幼いながら、母の体調が悪いということは気がついていた。突然痛みを訴えうずくまることが、日に日に増えていったからだ。それでも、その度に大丈夫だといって、笑顔をつくってみせていた。


置き手紙は所々水玉状に黒ずんでいた。一文字一文字丁寧に書かれたそれは、結びに近づくごとに震えていった。それは身体的な痛みゆえだったのか、精神的な痛みゆえだったのか、僕にはわからなかった。いつも気丈に振る舞っていた母だったが、文面上とはいえ、はじめて僕に弱音を見せたようにおもえた。


母はどこかで覚悟はしていたのだろう。

もう、僕に会えないかもしれないと。

でなければ、こんな置き手紙を残したりはしない。



ここに、ペンと紙があるのなら、僕にはなにができるだろうか?

母がやったように、自分の気持ちを誰かに残すことができるだろうか?

あれからずっと、考えるようになった。





15年後、僕は脚本家になった。なった、といっても、まだ自称で、小さな劇団のお芝居を細々と書いている程度にすぎない。

さすがに時代の流れもあって紙とペンは使わなくなってしまったけれど、母の死は僕の今につながっている。

書斎の引き出しには、あの置き手紙をいまも大事に保管している。仕事に行き詰まった時には時折、机の引き出しから取り出してはあれを読み返している。



父はあいかわらず元気だそうだ。クロもだいぶ歳をとったが、まだ生きているという。メールが苦手な父は、年に二、三回、僕に電話をよこしてくる。五年前再婚し、新しい家族とも円満に暮らしているらしい。紹介がてらだろうか、ここ最近はよく、盆暮れ正月くらいは帰ってこい、と言うようになった。

僕は守れない約束はしたくないから、仕事が忙しいからね、と真っ白な手帳を見ながら答えるのだが、その度に父は、そうか、忙しいんだな、とどことなく落胆したような返事を返してくる。じゃあ、またな、といって電話を切る父だったが、さびしい余韻がいまも受話器から流れているように毎度感じていた。





今度、手紙でも送ろうか。

そうおもった。

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