まざる君とはぐるちゃん

ことみあ

まざる君とはぐるちゃん

 私は一人が好きだ。一人がいい。誰かとつるんで、常に行動を共にするのは好ましくない。一人でいい。一人がいいのだ。

 そんな私のことを、彼は「群れからはぐれた羊みたいだ」と笑った。そしてわたしをと呼んだ。いつしかそれが定着し、私はクラスメイトからはぐると呼ばれるようになった。

 ほっといて欲しい。静かにしていたい。それだけなのに……。それなのに、どうしてほっといてくれないのだろう。

 彼はどうして私と他人を絡ませようとするのだろう……。

 今日も私の机の周りには数人のクラスメイトが群がっている。私と話がしたいんじゃない。彼、まざるがいるからだ。彼ら彼女らは、私の周りで、私にとっては一ミリも興味が湧かない話題について話し込んでいる。私は彼が作るミステリーサークルの中で、時折振られる彼の言葉に、適当に相槌を打ちながら読書に耽っているのだけれど、こんな状態が約二か月前から続いている。それは折しも、彼が私をはぐると呼び始めた頃と合致しているのだった。

 時は夕刻。教室は閑散としている。ミステリーサークルは徐々に崩壊を始め、今ではまざるの隣に女生徒が一人、残るのみだ。女生徒はルイという名前なのは知っているが、苗字は知らない。それほど親しくもないし、スマホでの繋がりもないが、この構図も、二か月ほど前からの定番となっている。早くいなくなってくれないかな、と思いつつ、私は本に視線を落としていた。

「あ、そろそろ行かなきゃ。まざるはまだ帰らないの?」

「うん、俺はもうちょっとー、かな?」

「そっかー。んじゃ、また明日ね、はぐるちゃんもバイバイ」

 彼女は毎回律義にまざるだけでなく私にも挨拶をしてくれる。彼女に合わせて私は小さく手を振った。

「ねえ」

 私はスマホの画面を連打する彼に声をかけた。

「帰らないの?」

「はぐるは帰らないの?」

「もうちょっといるけど」

「じゃ、俺も」

「いや、帰ってほしいんだけど」

「何で?」

「私は一人で読書がしたいの。そこで暇を持て余しているなら帰って欲しい」

「邪魔?」

 彼は顔を上げて聞いた。

「邪魔です」

「えー、そんなぁ。一緒に帰ろうと思って待ってたのにー」

「頼んでない。それに私は一人で帰るから。道もわからない子供じゃないから」

「ねえ」

 今度は彼が私に聞いた。

「はぐるは、どうしてそんな一人でいたいの」

「……騒がしいのは嫌いだから、一人のほうが気楽で楽しい」

「じゃあさー、ずーっと一人でいるつもり?」

「出来れば」

「ダメだ!」

 突然の大声に私はびくっと体を震わせた。彼は何処かの政治家のように両手を広げ言葉を続けた。

「ダメ! 一人でいちゃダメ! さみしい! 悲しい!」

「だからそうは思わないって言ってんだろ」

「友達を作ろう!?」

「嫌です」

「一人は良くない! 体にも! 心にも!」

「どこの製薬会社だ」

 私は鞄を持ち、席を立った。このまま話していても堂々巡りだということは分かっている。幾度となく繰り返した会話だからだ。私は一人でも楽しめるけれど彼はそうじゃない、ただそれだけなのに彼は理解しようとしない。

「帰るの? じゃあ一緒に……」

「ふざけるな、私は一人で帰る!」

「そんなサスペンスで二番目に殺される人みたいなセリフ言わないで!」

「勝手に殺すなよ」

 そう言っても、彼は忠犬のように私の後ろをついてくる。校門を出ると横に並び、時折どうでもいいようなことを聞いてくる。私は春の香りが混ざる空気を感じながら、言葉少なに答えたり答えなかったりしていた。

「はぐるは、休みの日何してんの?」

「家にいる」

「わー、引きこもり?」

「引きこもりじゃない。家にいる、ただそれだけ」

「名言みたいに言ってもダメだから。じゃ、暇? 今度の日曜日どっか行こう」

「嫌だ!」

「そんなぁ。どっか行こうよー」

「あなたと行くと絶対、キャピキャピした奴がいっぱいいる所に連れていかれる」

「キャピキャピって久々に聞いたわー。じゃさ、はぐるが良いって所でいいから、それだったらオッケーでしょ?」

「私の……」

 私は歩を止めた。そして、すぐ横の建物を指さした。

「じゃ、ここ」




 彼女が指さしたのは、ぼろい一軒の店らしき建物だった。看板は見当たらず、入り口付近には統一感のない鉢植えが密集して置かれていて、扉が埋もれている、汚らしい建物だった。

「ここ?」

 俺は思わずそう言った。

「そ、ここ」俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は続けて「ここじゃなかったら行かない」と付け加えた。

「やってんの、ここ」

 どう見ても閉店した空き店舗にしか見えなかった。

「失礼な、ちゃんとやってます。今からでも……」

 扉を開けようとする彼女を制して、俺は言った。

「今日、金持ってきてないし」

 これじゃまるで小学生じゃん。頭を抱えたくなる衝動を何とか抑え、今度の日曜日、店の前で落ち合う約束をした。

 彼女のことを知ったのは、高校に入って割とすぐの頃だった。入学時のオリエンテーションで誰ともなれ合うことなく、一人でいる彼女が目についた。でも愛想が悪いわけじゃない。話しかけられればきちんと答えていたし、時々笑顔も見せていた。それでも彼女は、高校生という群れから一歩、二歩、それ以上に離れたボッチだったように思う。自分からボッチを選択する姿勢に、俺は「変な奴がいるな」くらいにしか思っていなかったが、二年になって同じクラスになると彼女の変人さが目についた。常に一人なんだ。移動教室の時も、体育の時も、グループで行動しなければいけない場合にはそつなくグループに混ざるが、一人でもいい場面では常に一人でいる。休み時間に何をしているかといえば、読書したり勉強したり、時間いっぱい空を眺めていた時には、死んでいるんじゃないかと焦った。焦って声をかけて、「群れからはぐれた羊みたいだよね」と口走ってしまった。彼女は怒るでも悲しむでもなく、ただ「そう」と一言つぶやいただけだった。すました彼女の表情に、不覚にも心が鳴ったのと同時に、彼女を群れの中に無理矢理引きこんだらどうなるんだろう、なんて考えてしまった。こうなる、なんていうビジョンがあったわけじゃない。単純に疑問に思ったんだ。俺だったら、ボッチなんて極力なりたくないから。

 その疑問が、こうなるとは思いもしなかったけど……。

 俺はぼろい店らしい建物を見上げながら呟いた。

「ごめん、遅れた」

「いや、今来たとこ」

 デートの常套句を交わしたことにちょっとどきりとした。しかし、彼女のダボっとしたジーパンに灰色のパーカー、という高校生の男女が休日に行動を共にするデートと言っても過言ではない状況を一欠けらも意識していない格好に気落ちした。そんな俺を意に介すことなく彼女は意気揚々と店のドアを開け、俺を招いた。中はオレンジ色のライトが点々と灯り、大きなプロペラがゆっくりと回転する陰気な喫茶店だった。

 ドアベルの音にカウンターに座る二人のおじさんがこちらを一瞥したが、すぐに視線をそらして自分の世界に戻っていった。マスターとでも言うのだろうか、カウンター内にいるこちらも年配のおじさんが小さく「いらっしゃい」と言って奥のテーブル席を指さした。

 彼女がずんずん進んでぼけたえんじ色のソファーに座ったので、俺も習って彼女の向かいに腰かけた。外もそうだが、中も結構ぼろい。俺には縁遠い感じの、子汚く古臭い店としか思えなかった。

「コーヒー飲める?」

「の、飲める」

「ジュースね」

「はい」

 程なくしてコーヒーとオレンジジュースが運ばれた。彼女はコーヒーにミルクだけを入れ、一口飲んだ。俺は氷をカラカラいわせながらオレンジジュースを。

「なにこれ、うまい」

「ここ生絞りだからね、マスターお手製」

「へえ」おじさんのあの手で絞られたかと思うとちょっとあれだけど、うまい。「それで、どうしてここなの?」

「ここなら静かだから」

「それだけかい」

「うん」小さく頷きながら彼女は鞄から本を取り出した。「学生だからってうるさくも言われないしね」

 確かにこの店は静かだ。客同士の会話もないし、マスターも最低限の事しか喋らないし、BGMもかすかに聞こえるくらいの音量だ。でも、俺にとっては静かすぎて耳が痛くなる。

「……なんで本?」

「え? なんでって、喫茶店では本を読むものでしょう?」

 そんな、こっちが非常識みたいな言い方されても。

「ほかに何をするって言うの?」

「いや俺、本なんて持ってきてないし」

「そんなこともあろうかと二冊持ってきました」

「準備ばんたーんって違くて」

「気になってたんだけど」

 ふいに彼女がそう言った。

「どうして私にかまうの? 好きで一人でいるのに」

好きという単語に、ちょっと心臓が弾んだ。

「それは、その……」

改めて聞かれるとなんと答えたらいいか分からなかった。最初はちょっとした好奇心で始めたことだ。彼女もグループに入れば、楽しいんじゃないかと思ったのだ。でも今は、どうしてなんだろう。この数か月、彼女は何も変わらない。グループに馴染む気配はまるでないし、一人でいるのが寂しいわけでもないのは俺もわかっている。いつも彼女の隣にいて、それが楽しかったから、のような気がする。いつか彼女が受け入れてくれたら、なんて淡い期待を持っていた。

 でもそれを素直に言えるわけないじゃん!

「はぐるがいつか孤独死しちゃうからだよ!」

「だから殺すなって」

「俺ははぐるに一人でいてほしくないの」

「一人じゃないでしょ」

「え?」

「ここ最近、ずっと引っ付いてくるやつがいるでしょ?」

 彼女は人差し指を突き出して、俺を指さした。顔が熱くなっていくのが分かる。ジュースを飲んで、ごまかした。ごまかしたはずだ。

「邪魔だけどね、ちょっと」

「邪魔!?」

 彼女はいたずらっぽく笑った。彼女の言葉の「ちょっと」という部分に、ちょっとだけ期待しても良いのかなと思えた。


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まざる君とはぐるちゃん ことみあ @kotomia55

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