紙とペンと母
ゆきにむ
第1話 紙とペンと母
思い返せば、いつも食卓には母の手料理が並んでいた。
考えるだけでお腹がなるような、一流シェフの料理はたべたことないが、きっと母も一流シェフのような腕前だったのであろう。
そんな私の母は何事にも抜かりなく、料理・洗濯・掃除すべてを完ぺきにこなす人だ。口癖は「自分がやられて嫌なことは人様にしないこと」であった。
そんな母も今年で還暦。白髪も増えシワも増え歳を重ねた証が何層にも積み重なっている。
母が歩んできた人生という名の物語のなかで私はキレイに積み重なることはできただろうか。
深く回想の波に揺られている。
小学生の時にもっとこうすればよかった。
中学生の時にもっとこうすればよかった。
高校生の時にもっとこうすればよかった。
楽しい思い出もたくさんあるが、思い返すとなぜか後悔することが目立ってしまうのはマイナス思考だからなのか。
ふと、目をやると机の上には携帯電話が置いてある。久々に連絡してみよう。そう思ってそれを手にとった。
パスワードを入力してロックを解除し、メールのアプリケーションを開いた。
宛先に母のメールアドレスを入力し、件名を入れて。
フリック入力で文字を打っていく。
ひたすら打っていく。
しかし、妙にしっくりこない。
自動変換で簡単に入力できる言葉たち。
まるで言葉という記号をただただつなげているだけのような、そんな感覚に陥った。
久々に手紙でも書いてみようか。
近年は年賀状もプリンタでラクラク済ませる時代。
仕事もパソコンでカタカタ入力できる時代。
連絡方法も携帯からサラサラ入力できる時代。
自分の腕、手、指をつかってペンを持ち、文字を書くという行為を最近あまりしてないような。
気がつけば私は時代の流れに身を任せて、同時に流れてくるごちゃごちゃした物事にむしろ利用されている気がした。私は自分の意志で物事を利用していると思っていたのだけど。
私は記憶の波に揺られながら、紙とペンを使って手紙が書きたいのだ。
そう考え早速手紙を書き始めようとしたが。
あれ、漢字がわからない。
あれ、なんだっけ?
そして字も汚い。
そして字の大きさもバラバラだ。
すらすらと、途中で小さな石ころにつまづきながらもなんとかペンを走らせたが、なんだか昔と比べて少しも字が上達してない。むしろひどくなっているような。
一通り書き終わって全体を見直す。やっぱり汚い。
ペンのインクが書いている途中に手に擦れて滲んでいるし、ちゃんと読めるかな。
そんなこんなで久々に書いた手紙。手紙を書いたこと自体は久々だが、思えば母に書いた手紙は初めてだ。改めて考えると少し照れくさいが、あとは手紙を封筒に入れて送るだけ。
翌日にポストに投函した
翌週に母から返事の手紙が来た。
翌月に実家に帰り母の手料理を食べた。
翌年に母は他界した。
私は実家で母の荷物を整理していた。
机の引き出しの中に懐かしいカンカラ、子供の時に買ったおもちゃの空箱があった。母はこういうものも「何かに使える」と言っていつも捨てずに持っていた。だから荷物がいっぱいだ。
カラカラ音がするのでゆっくり開けてみた。
中に入っていたのは去年私が送った手紙だった。
封筒を開けてみると、少し懐かしい香りが鼻孔をくすぐった。
母は私が送った、すごく汚くて、すごく読みづらくて、すごく子供の落書きのような手紙を大切にしまっていた。
改めて見ても、やっぱり汚い。
よくよく自分で書いた文字を眺めていると私が書いたときより、たくさんの文字が滲んでいた。
あれ、こんなに滲んでいたっけな。
気がつくと目からぽたぽたと涙がこぼれていた。
また少し文字が滲んだ気がした。
手紙を書く時に頑張って万年筆で書いたおかげとでもいえようか。水性のインクだったので涙で滲みやすかったようだ。
ほんの少しだけ、手紙の上で母と会話している気分になった。
紙とペンと母 ゆきにむ @higeway
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます