【KAC4】紙とペンと悪魔

五三六P・二四三・渡

第1話

 一人の作家がいた。

 いや、この者、厳密にいうと作家ではない。小説を書いて新人賞に投稿をしてはいるものの、一次予選すら通ったことはない。小説自体にもそこまでやる気がなく、文章はたまに思い立ったように書くのだが、数か月ほどで一冊分の話を終えると、ふと飽きが来て物語を作るのをやめてしまう。

 他の仕事も長続きせず、何事にも本気になれぬ性格をしていた。

 

「死のうか」

 

 そう思ったのはつい先日のこと。以前自分で書いた小説を読んだところ、体調を崩すほどつまらなく、実際三日三晩寝込むこととなった。熱病でうなされる中、自身の糞便のような物語が、悪夢となって脳内を攻撃した。

 こんなしょうもない話を書いたものは生きているべきではない。それに加え仕事を満足にこなせないのならば、生きていても仕方がない。そう結論付けたのは、無理もない出来の小説であった。

 なのでこの者作家とは呼ぶべきではないのかもしれないが、多少違和感を感じても、便宜上「作家」と呼ばせていただきたい。


 さてこの作家、古来の文豪の模倣をして、旅に出で死に場所を選ぶというはた迷惑な行動に出た。とは言っても所詮は作家志望の、決まった職を持たぬ元労働者、大した金を持っているわけではなく、近場の温泉街の旅館に宿をとることにしたのだった。

 海の幸を堪能し、温泉にも入り、神社仏閣を眺め、さあ! もうこの世に悔いはない! とばかりに宿の欄間に縄をかけ、首を入れる輪を作った。


「待った」


 すると部屋には作家一人しかいないはずだというのに、突然誰かが声をかけてきたのだった。

 作家は「せっかく死のうとしてたのに、それを止めるのは誰だ。さては仲井がノックもせずに勝手に入ってきたのだな。なんて慎みのない宿なんだ」などと思いながら、振り向くとそこには悪魔が立っていた。


「このんな場所で死んでは、旅館の人に迷惑だ」悪魔は真顔で言った。

「何だ悪魔か」作家は顔を歪めた。「悪魔なら悪魔らしく私がここで死ぬのを、にやにや笑いながら見ていればいいんだよ。そこに茶菓子と玉露がある。好きなだけ食べていいので、止めないでくれ」

「何だとは何だい。僕はせっかく人が死ぬのを助けようとしたんだ。褒められこそすれ、責められるいわれはないね」


 悪魔は心底心外だという顔をした。

 そう言いつつも茶菓子は気になるようで、茶を入れるためにポットの湯を沸かし始めた。


「何が助けにきた、だ。盗人猛々しい。こういうところへ悪魔が来てやることと言えば、何か裏のある一見美味い話を持ちかけ、後で死ぬより恐ろしい目にあわされるって、相場が決まってる」

「まあ、わかっているのなら話が速い。取引を持ち掛けに来たんだ。とはいっても『一見美味い話』ではなく『実際美味い話』だ。そちらにとっても得るものはあると思うよ」

「騙されるもんか」

「聞くだけ聞いてもらってもいいじゃないか。気に入らないなら、そのまま死ねばいい。そして冥途の土産話として、『悪魔を退けた』と自慢でもすればいい」


 それもそうか、と作家は思った。あの世と言うものがどんなものかは知らないが、そのようなことを自慢する場所としては悪くないように思えた。

 欄間にかけた縄をそのままにして、作家は座布団に腰を下ろし、悪魔が沸かした湯で茶を入れた。


「それで何を取引しようっていうだ?」

「君は作家志望だったね。ならばこういうのがいいんじゃないかな」


 そう言いながら悪魔は万年筆と紙束を取り出した。


「一見普通の万年筆と紙束だが」作家はまじまじとそれを眺めた「さては面白い小説が書けるようになる悪魔の万年筆だね。あーだめだ。私は今まで生きた経験生かして作った『私の』脳内の世界を出力して小説を書きたいんだよ。そんな外付けの道具に頼っては、ペンが書いているのか、私が書いているのかわかったもんじゃないよ」

「すぐに飽きて小説を書くのを止めるくせに、一丁前のことを言うね……。いやいや、話は最後まで聞いてくれたまえよ。この万年筆と紙は頭の中の物語をちゃんとした形で文字として出力するための道具だよ。つまり君の言う通り脳内の世界を出力して小説として形作ることが出来るんだ」

「む、しかし結局のところ……」

「道具頼りかい?しかし、君たち人間はこれと似た道具を、そう遠くない未来に作り出すことが出来ると思うよ。脳内の情報を言語化する機械をね。そうなると、その機械を使って小説を書くことが一般化するかもしれない。世の小説かはペンからワープロへ道具を持ち替えたけど、今そのことを咎める人はそこまで多くないよね」

「むう……」

「君は実を言うと、小説がつまらないのは、自分の飽きっぽい性格が出力の邪魔をしている。数をもっとこなせば、小慣れてきて、ちゃんと書くことが出来るはずだって。でも、自分の性格上、一生それができないと確信した。だから死のうとした。だから君にはこの万年筆と紙束のセットがピッタリなんだ。このペン何とね。一時間に四千字も書けるんだよ。書いている途中は飽きずにずっと、そのことに集中できるんだ」


 速いには速いが、森博嗣の全盛期よりは遅いので、悪魔の力と言う割にはそこは常識的な速さだな、と作家は少し思った。


「悪魔め」作家は熱いお茶を、火傷するのを厭わずに飲み干した「何が狙いだ」

「しいて言うのなら君の魂が料金代わりかな」

「ほら来なすった。それ、よく聞くが具体的にどういうことだ?」

「君は一年後に死ぬことになる。それに加え君の魂は地獄で働くことになる」

「ひええ。結局そうなるのか。冗談じゃない。小説を書く見返りが地獄で苦しむことなんて、割に合わない」

「落ち着きなよ。地獄で罰を受けるんじゃなくて、地獄で職員として働くということだよ。割と悪くない職場環境だよ」

「休日は年何日だ?」

「百日」

「あと二十、いや十日はほしいなあ」

「贅沢言ってら。大体残業時間も月二十時間ほどで、一日九時間労働だよ。まあ料金分引かれるので、給料は雀の涙だけど、何が不満だっていうんだい」

「ううん」


 作家は小説家以外として一生働くなら給料は少なくていいので休日は年百二十日あって一日八時間労働で残業がない仕事がいいなと考えていた。その条件で作家の出来る正社員の仕事は見つからなかったが。

 そこで作家は万年筆と紙束がセットということは、小説を出力できるのは有限であることに気が付いた。

 しかし、あと一年で傑作を書き、惜しまれつつもこの世を去る。その後地獄で働くというのは悪くない生き方(死に方)だと思えた。だが何か、一つ。

 何か一つ決め手が欲しい。


「しかし言葉でいくら説明されてもいまいちピンとかないな。こう何か、サンプルのようなものがないと」

「例えば?」

「その万年筆と紙束がどういう風に使われるのかが見たい」


 すると悪魔は突然笑い出した。ついに本性を現したのかと、作家は目を丸くする。


「それは駄目だよ」悪魔の笑い声は止まらない「駄目駄目。確かに古今東西人が悪魔を騙す話は多い。それの真似を君はしようとしたんだね。例えば持ち逃げをするだとか」


 作家は変な疑いをかけられたとわかり、不機嫌になった。


「失礼な。本心からサンプルが欲しいと思ったんだよ。疑うのなら、心を読める悪魔でも連れてこればいい」

「そういうわけにはいかない」

「そんなに疑うのなら君がペンを使えばいい。私は使っているところが見たいんだ」

「うーんまあ、そこまで言うのなら」


 と悪魔は万年筆を手に取り、紙に書き始めた。

 二時間後、一万文字ほどの短編小説が完成していた。

 作家はどれどれと、紙束を受け取る。

 これ幸いとメタクソに悪魔の小説を貶そうと思った。一文一文、文法や言い回しを指摘して、恥を書かせてやろうと。

 しかし、文章を一つ読んだだけで作家は物語の世界に取り込まれた。百文字読んだころには悲しい場面でもないのにあまりの面白さに涙を流し、千文字読んだころには息をするのを止めた。そして一万文字読み終えるとすぐに最初に戻ろうとしたが、悪魔に止められ、そこでようやく呼吸を再開したのだった。


「け、傑作だ! 笑いあり、涙あり、アクションあり、哲学あり、ロマンスあり、と盛りだくさんにもかかわらず、ごちゃごちゃせずにまとまっている!短編であるにも関わらず長編を読み終えたような読後感! この万年筆を使えば皆これをかけるのか!」

「い、いやあくまで脳内の小説を出力するだけだから、人それぞれじゃないかな。そんな嘘でほめても何も出ないよ」

「そうか……そういえばいわばお前は物語によくいる『芸術の才能を売りに来た悪魔』だったな。その悪魔が才能を持っているのは当たり前か」


 作家は腕を組み頷く。


「いや、ベルゼブブ自体が大食いでないのと同じように、『芸術の才能を売りに来た悪魔』が皆が才能を持っているわけではないよ。僕はしがない営業」

「つまりこの小説はお前自身の才能で書かれた……?」


 作家は紙束を眺めた後決心した。


「買う! 買うぞこの万年筆と紙束!」

「ま、まいど」

「その代わりこれをお前にやる! 私のために毎日小説を書いて、いち早く私に読ませてくれ!」

「ええええええええええええ?!」


 ◆ ◆ ◆


 その十年後。

 作家は九年前に死に、地獄で働くことになった。

 一方で悪魔は小説を書く楽しみに目覚めベストラ―作家となり〆切に追われる日々を過ごしている。紙束は尽きたが、もともと才能があったため、今も小説を書き続けていた。


「帰ったぞ」

「お帰り。次の話は今日中にできそう」

「それは楽しみだ。今日は私が夕食作るからな」

「お願い」


 書いた小説をいち早く読むという約束を守るため、効率を考え一緒に住むこととなった。二人は作家が……いや、元作家が万年筆と紙束の料金分を払い終わり、輪廻転生するまで、仲良く暮らしたとさ。


おしまい


(この話から教訓を得るとしたら『小説は書くのではなく読むのが一番』ということだな)

(いや、それは同意しかねるよ)

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【KAC4】紙とペンと悪魔 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa

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