他愛のない会話をしながら昼食のサンドイッチを食べ終わり、二人は温室を出た。

 古びた温室の周りにはやはり人はいない。

「そういえばさ、神子候補って姉さん含めて三人って話だったけど、リーンと姉さんと、他誰なの? 姉さんの話にも出てこないし、ちょっと気になってたんだよね」

 それでも辺りに気を遣うような囁き声で、ギルバートはそう聞いてきた。

 講堂でのチュートリアル戦闘の後、国から遣わされた使者は改めて神子候補を生徒全員に尋ねた。

 本来ならそこでセシリアが手を上げるはずだったのだが、もちろん今の彼女が手を上げるはずもなく、女生徒の身体検査に場は移った。花の模様の痣を探すためである。

 しかし、誰一人として花の模様の痣を持つ者は見つからず、選定の儀はリーンの対抗馬がいない状態で執り行われることとなった。

 その日休んでいる生徒もいる上に、女性としてきわどい所に痣があればそこまでは見られない。使者たちは『神子候補は重大な責務に耐えきれず名乗り出られない』と判断したようだった。

 セシリアは彼の疑問に難しい顔で首を捻る。

「うーん。それがね、私にもわからないんだよね」

「どういうこと?」

「この時点で、もう一人の神子候補は死んでるはずなの」

「は?」

 ギルバートは素っ頓狂な声を出す。

 ゲームの中でアザレアの花の痣を持つ神子候補は確かに存在した。しかし、彼女はプロローグ序盤で死んでいるのだ。


 ヴルーヘル学院に転入する一週間ほど前、リーンはある殺人事件の記事を目にする。その女性の肩にはアザレアを模したような花の痣があったというのだ。

 最初はその痣が何を示すものかわからなかったが、学院に来て自分が神子候補だとわかった瞬間、彼女の痣の意味に気付くのである。

 国の方もそのことには気づいており、リーンとセシリアを呼びつけ『神子候補を狙った可能性もあるので、十分注意するように』と注意を促すのだ。

 後にゲームの中で、アザレアの神子を殺した者の犯行だと思われる事件がいくつか起こる。そして、彼だか彼女だかわからないその犯人のことを皆『キラー』と呼ぶようになるのだ。

 ちなみに、『キラー』は殺人者という意味の『Killer』から来ている。


「だけど、そんな話少しも聞かないじゃない? 私も注意して新聞とか見てたけど、そんな記事どこにもなかったし……」

「ちょ、ちょっと待って。後出しジャンケン過ぎない……」

 明らかに狼狽えた様子のギルバートにセシリアは首を捻った。

「このまま行くと姉さんが死ぬかもしれないって話、俺はさっき聞いたばかりなんだけど」

「そうだね。私もさっき言ったから」

「なのに、この状況で『もしかして殺人鬼に狙われてるかもしれない』って話する!?」

「え、しない方がよかった?」

「話をするのが、遅すぎるって言ってんの!!」

 今までに見たことがない剣幕で怒鳴られ、セシリアは目を瞬かせた。

 ゲームの中でのセシリアの死因は、大きく分けて二種類だ。

 一つはリーンを虐めたり、誰かを害した嫌疑をかけられ処罰される――断罪系。

 もう一つは、キラー含め何者かに殺される――殺人系、である。

 断罪系の死因とは違い、殺人系の死因は謎が多い。

 リーンが襲われた翌日に、胸にナイフが刺さった状態で発見されたり、川で浮いてたり、山で首をつっていたりする。

 どの場合でも犯人はキラーだと目されており、その理由は『神子候補だから』と考えられていた。

 それを裏付けるようにリーンも何度かキラーとみられる正体不明の者に殺されかける。しかし、こちらは大体生き残るのが大きな違いだ。リーンが殺されるバッドルートもあるのだが、その場合はキラーではなくセシリアが犯人だとされ、斬首刑となる。とりあえず、リーンが殺されればセシリアは死ぬ運命だ。

「なんで今まで黙ってたの?」

「いやだって、聞かれなかったし……」

「聞かれなくても普通は話すでしょ! 何のために協力してると思ってるの!」

 耳を劈く怒声にセシリアは両耳を塞いだ。

 別に、隠していたわけではない。言うきっかけがなかっただけなのだ。

「まぁ、いいや。悪気があったわけじゃないんだろうし……。で、結局その『ゲーム』の中で、キラーの正体はわかるの?」

「トゥルールートではわかるらしいんだけど……」

「だけど?」

「私、じつはそこまでクリアしてなくて……」

 ギルバートはあからさまに落胆したような溜息をついた。

「し、仕方ないでしょ! クリアする前に死んじゃったみたいなんだから!」

「でも、正体がわからないと対策の立てようもないじゃん。もしかしたら、相手は姉さんを狙ってるかもしれないんだよね?」

「そうだけど。でも、私はもう神子候補じゃないんだし、そこまで……」

「『そこまで警戒しなくても』ってこと? 甘すぎるでしょ。殺された神子候補の名前はわからないの?」

「それは、ゲームの中で一切出てきてない情報で……」

 また、ギルバートは長い溜息を吐く。

「これは本当の本当に仕方ないことじゃない!」

「そうだけど、特徴とかないの? 痣以外で」

「えっと……」

 記憶を呼び起こす。ゲームでは記事以外に国の使者から殺された少女の生前の写真を見せられたのだが、すりガラスのようなモザイクがかかっていて、ゲーム画面からはよく見えなかった。

 それでも必死に記憶をたどっていると、人が多い通りに出た。

 瞬間、「セシル様!」という黄色い声が至る所から上がる。

「あっ、やば……」

 声におののくようにセシリアは踏鞴を踏んだ。そうしている間に、彼女の周りには女生徒の人垣ができてしまう。

 そう『学園の王子様』は更に『誉れ高き騎士』の称号を手にしたのである。これを王子様の熱に浮かされていた彼女たちが、放っておくはずがない。

「どこにおられたのですか? 一緒にお昼を食べたいと思っていたのに……」

「セシル様のためにお弁当を作ってきたのです! 今日は残念でしたが、また今度にでも!」

「貴女達! 抜け駆けは禁止と約束したじゃありませんか! セシル様と昼食を食べるのなら、全員一緒ですわよ!」

「あの、食後の珈琲はご一緒できませんか?」

「貴女まで!」

 口々にそう言われセシリアは困ったように笑った。

 彼女たちはまるで、餌を運んできた親鳥に群がる雛たちのようである。

 毎回こうやって集まられるのは正直困りものだが、だからといってここで彼女たちをぞんざいに扱うわけにはいかない。なぜならセシリアは、誰よりも『男らしく』あらなければならないのだから……

 彼女たちの話題は昼食の話から、講堂でのセシリアがどれだけ素敵だったかほめそやすものへと変わり、さらにいろんな話題へと飛び火していく。

 セシリアは、一方的に話しかけてくる彼女たちを手で制すると、艶美な王子様スマイルを浮かべた。そのまま長い指先で目の前に居た女生徒の顎のラインを撫でる。

「そんなにさえずらないで小鳥ちゃん。かわいい歌声は一人一人ちゃんと聞きたいな」

(訳:一人一人話して、聞き取れない)

 セシリアの甘い声に、人垣はいっせいに黄色い声を上げた。

 その人垣の外で、やっぱりギルバートは冷めた目をしている。

「そういうことをするから、よけい面倒くさくなるんじゃないの?」

「え、なに? ごめん、ギル聞き取れなかった」

「……なんでもない」

 女生徒に囲まれるセシリアを置いて、彼は一人、教室に戻っていった。

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