紙とペンと牛タン泥棒

明石竜 

第1話

「やられた! 泥棒に入られた」

 3月のある日の朝、とある料理店の調理場冷蔵庫前で女店長、春恵さんの嘆き声

が響き渡った。

「よりによって一番大事な食材を一切れ残さず奪っていくなんて。こんなこと今ま

で二十年近くこの店やってきて初めてだよ……あら?」

 ため息交じりに呟いて冷蔵庫から視線を移した時、あることに気が付く。

 俎板の上にこんな書置きが残されていたのだ。

 

 牛タンは預かった。取り戻したくば次の暗号文を解読し、俺の居場所を見つけた

まえ。早く見つけないと俺は当然そこから消え牛タンを食す。

『めいたんてい』は『111,12,100,202,1,112,202,12,100』俺は『11,1,202,12,111,1,201,1,111,210,112,12,102,100,2,1,222,120,210』の側で待つ。

 怪盗AOBA(あおば)より。

 

「この泥棒、うちの店名にちなんでこんなことをしたのかしら?」

 黒ペンで手書きされたその文書を眺め、春恵さんは顔を顰めた。


 ここは、仙台市内某所に佇む定食屋さん、その名も『芽衣タン亭』。

 ご当地の名物として名高い牛タン定食が看板メニューだ。

「ママ、どうしたの?」

 春恵さんの娘で、つい先日東北大学に合格が決まったばかりの高校三年生の芽衣

が調理場へ駆け寄ってくる。

「あっ、芽衣。泥棒に入られちゃったのよ」

 春恵さんは深刻そうに伝えた。

 芽衣タン亭という店名は、娘の名にちなんで春恵さんが名付けたのだ。

「芽衣タン亭の牛タンが美味しいからって盗むなんて許せない! ママ、あた

しがこの暗号解いて犯人を探し出してみるよ」

 芽衣は真顔で言い張る。

「芽衣ったら、名探偵ごっこ?」

 春恵さんはにこっと笑った。

「うん!」

 芽衣は嬉しそうに答えると黒ペンを手に取り、メモ用紙に何かを記述し始めた。


 二分ほどのち、

「謎が解けたよ。怪盗AOBAは伊達政宗騎馬像の所にいるわ」

 芽衣は自信満々に伝える。

「芽衣、どうしてこんな答になるの?」

 春恵さんは芽衣に感心すると共に不思議がる。

「この暗号文の数字は0,1,2の3通りしか使ってないから三進数のはず。そ

れでね、めいたんていと、だてまさむねきばぞうをローマ字に直して対応させて

みたらぴったり一致したの」

 芽衣は楽しそうに説明する。メモ用紙にはA~Zまでのアルファベットの大文

字とそれに対応させるように1、2、10……222という三進数が小さい方か

ら順に二六個書かれてあった。

「よく分からないけど芽衣、凄い推理力ね。まさに“芽衣探偵”ね」

「いやぁ、それほどでもないかな。パパが昔買ってくれたパズル本の問題でも使わ

れてた手法だから」

 大いに褒められ、芽衣はちょっぴり照れた。

 こうして春恵さんは入口横に『本日の開店は諸事業によりいつもより遅れるか

もしれません。』と断りの張り紙を出し、娘の芽衣と共に青葉山公園にある伊達

政宗騎馬像の側へと向かっていった。

「怪盗AOBAはどこだ?」

「もう消えちゃったのかしら?」

 二人が周囲をきょろきょろ見渡していると、

「ふふふ、きっと見つけてくれると思ったよ」

 騎馬像台座の裏側から男性の声が聞こえた。ほどなく怪盗AOBAは二人の目

の前に姿を現す。

「あっ、あんた……」

「……パッ、パパ!」

 二人は目を大きく見開いた。怪盗AOBAの正体は、春恵さんの旦那さん芽衣

のお父さんだったのだ。

「ただいま芽衣、春恵」

 彼は陽気な声で挨拶する。

「帰って来て、くれたんだね」

「パパ、おかえり」

 二人は嬉しさのあまり、ぽろりと涙を流す。

「春恵、芽衣。じつは俺、芽衣タン亭って店名にちなんで芽衣に名探偵ごっこを

やらせたいと店始めた頃からずっと思ってたんだ。それで、芽衣の10歳の誕生日

、つまり生誕10周年祝にやろうと密かに計画してたのさ」

 彼は照れ笑いしながら打ち明ける。

「そうだったんだ。パパ、あたしがちっちゃい頃、クリスマスにプレゼントしてくれたパズル本の問題全部解けたら誕生日にもっと素敵な物をあげるって言ってたけど、そういうことだったんだね?」

 芽衣は驚く。

「正解。芽衣、見事な推理だったぞ。約束通り牛タンを返すよ。芽衣、春恵、これからも芽衣タン亭をよろしく頼んだぞ」

 彼は優しく微笑みながらそう伝えて、袋に包まれた牛タンの塊を地面に置くと

霧のようにスッと姿を消した。


「パパに八年振りに会えて、凄く嬉しかった♪」

「あんなことを考えてたなんて、あの人らしいねぇ」

 牛タンを両手に抱え、二人は楽しげに芽衣タン亭へ帰っていく。


「おばちゃん、タン塩定食」

「はいよっ!」

 こうして芽衣タン亭は本日も正午の通常時刻で無事開店。

 月曜日ではあったけれども、いつもより多くのお客さんで賑わった。


 この日の14時46分、芽衣と春恵さん、お客さんも一緒に黙祷を捧げた。 

 2011年3月3日のひな祭りで記念に撮った家族写真に向かって。

 その写真はあの日以来、春恵さんと芽衣の掛け替えのない宝物となっている。


 翌日3月12日は、芽衣の18歳の誕生日だ。

 

 


 

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紙とペンと牛タン泥棒 明石竜  @Akashiryu

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