若人に捧げる教訓

足袋旅

後悔の先の細やかな願い

 大学に進学が決まった。

 俺が受かったのは、すべり止めで受けた私立の四年制大学。

 国立大なんかに比べれば学費も高くなるが、親は喜んでくれていた。

 親元を離れ、賃貸アパートでの初めての一人暮らしは本当に楽しい。

 家賃と生活費も、親が払ってくれる。

 何不自由無い生活が送れるはずだった。


 けれど俺はすぐに金欠になった。

 何故かというと、答えは簡単。

 ゲームと漫画と小説にお金を使い過ぎただけである。

 高校生までは、お小遣いをもらって、親の目が届くところで遣り繰りしていた。

 だけど一人になると歯止めが効かなかった。

 欲しい物を買い、お金が足りなくなれば食費を削る。

 そんな生活。


 ゲームを買えば、当然クリアしたいし、漫画や小説を買えば最後まで読みたい。

 すると時間も足りなくなった。

 お金が無いなら、食費を削った。

 なら時間はどうするか。

 俺は学校に行く時間を削った。

 特に将来の夢も明確ではなかったので、大学の学部も無難だと思って経済学部を受けていた。

 特に興味の無い授業ばかり。

 学校を休んでも、高校までとは違って親に連絡が行くわけでもない。

 一日休めば、もう行く気はどんどん失われるばかり。

 友人が出来なかったわけではないので、偶には顔を出すが、本当に稀なことになってしまった。


「単位が後で足りなくなっても知らないよ」


 そんな言葉を冗談交じりに言われたこともあったけど、なんとかなるだろうと気にしなかった。

 馬鹿だった。


 四年生までの授業で何個も単位を落としていた俺は、最後の試験までに一つも授業を落とせないほど逼迫していた。

 朝から晩まで授業に出る根気なんて、失われていた。

 初めのうちは真面目に通ったが、続かない。

 結果留年が決まった。


 そこで出てくるのが親への連絡の必要性だ。

 もう一年通うのだとしたら、学費がいる。

 渋々連絡を取ると、母親にそれはもう怒られたし、泣かれた。


「大学の学費ってかなり高いのよ。分かる?あなたちゃんと通ってたの?」


 そんな言葉に、僕は「真面目には通ってた」と嘘を吐いた。


「仕方ないから、もう一年分はなんとか出してあげる。だけど本当に卒業してね。約束して」


「約束する」


 こんな会話があって一年後、また僕は単位が足りなかった。

 再度の親との連絡。


「どういうこと!?」


「真面目には通ったんだけど…」


「嘘でしょ。ちゃんと通ったんなら卒業できたはずでしょ。どうしてまた留年なんてことになるのか説明して」


 説明できなかった。

 無言の時間。


「もう大学は辞めなさい。どうせもう一年通っても無理でしょ。それとも自分で学費を稼いで通う」


「辞めるよ」


「好きにしなさい。生活費はこれから自分で稼いでね。もう仕送りはしないから」


 こんな遣り取りで、俺は大学を中退して社会人という名のフリーターになった。


 俺は本当に馬鹿だった。 

 フリーターになって、お金の大切さを改めて知った。

 好きな物を好きなだけ買ってたら、家賃だって払えない。

 それでも買いたいなら、それ以外を犠牲にするしかないのだ。

 食費や光熱費を削るような貧乏生活。


 そんな生活を続けていたある日、俺はインフルエンザにかかって寝込んだ。

 こうなるともう仕事にも出られない。

 すると翌月の給料が目減りするわけで、俺は家にある物を売ることにした。

 漫画や小説、ゲーム機、ゲームソフトを全て売り払った。

 全てと言っても、これまでにも飽きたら売っていたわけで、大した金額にもならなかった。

 ここまで来てやっと、俺は趣味に使うお金を削ることにした。


 朝起きて、バイトに行って、帰ってきたら暗い部屋で安く用意できるご飯を食べ、寝る。

 テレビも見ないし、漫画もない。

 なんの楽しみもない生活。

 俺の心はどんどん荒んでいった。


 ある日、暗い部屋の中で大学時代のノートを引っ張り出してきて、なんとなく見ていた。

 楽しかった自由な日々。

 戻りたい。戻ってやり直したい。

 気づけば涙が零れていた。

 泣きながらノートのページをめくっていると、自分の書いた絵が、板書を写した文字の横に描かれていた。


 自分が座る席から眺めた教室の絵。


 退屈な授業中だったから、手慰みに書いたものだろう。

 なんとなくペンを手に取り、余白に新しく落書きを始める。


 楽しかった。


 もっと絵を描きたくなり、安く済ませるためにコンビニでルーズリーフを買い、たくさん描いた。

 へたくそでも完成すれば嬉しい。

 自分の描いた絵に、何かが宿っている気がして、愛おしさすらある。

 こんな自分でも何かを生み出しているというのが、快感だった。

 俺は暇があると、紙とペンを手に取るようになった。


 ただ寝起きして、ご飯を食べるだけの暗い部屋に、何枚も何枚も絵が溢れた。

 その絵のモチーフは自分の手だったり、部屋の中の様子ばかり。

 絵を習ったのなんて、義務教育中の美術の授業くらいで独創性に溢れた絵を描くこともできず、模写ばかりだった。

 それでも数をこなせば上達している気になれた。

 自分で悪くない出来だと思うようになると、それを誰かに見てもらいたいという欲求が芽生える。

 だがそれは、もう友人なんて呼べる人との交流も無く、知人と呼べるだけの人付き合いしかしていない自分にはハードルが高い。


 そんな悩みも、ネットに上げれば解決すると気付いた。

 不特定多数の見ず知らずの人々になら、見られても恥ずかしくない。

 すぐにどこのサイトに投稿しようかと調べ始め、できるだけ多くの人に見てもらえるようにと、有名動画投稿サイトに自分が描いた絵を一枚一枚携帯のカメラで撮って繋ぎ合わせた動画を載せることにした。


 投稿してから数日間、一日に何度も視聴数とコメントの確認をしていた。

 でも結果は惨憺たるもので、確かに家で籠っているよりは見てもらえたが、コメントも『子供が描いた方がマシ』『黒歴史決定・乙』『なにこれ』と誹謗中傷が目立つ。

 中にはアドバイスを書いてくれた人もいたけれど、俺は現実に打ちのめされた。


 暗い部屋で一人静かに涙を流す。

 絵描きになろうなんて思っていたわけではない。

 ただ誰かに褒めて欲しかった。

 それだけだった。


 涙が止まると、近くにあった白紙のルーズリーフを手元に引き寄せ、別れの言葉を書き綴る。

 もう生きていても仕方がないと思えた。

 これまでの人生と後悔の言葉を羅列していく。



 数か月後、新聞に自殺した男の訃報がひっそりと載っていた。



 真面目に生きるか、努力をして何かを為さなければ、夢に溢れた青春時代はすぐに終わりを迎える。

 適当に人生を歩めば、誰にでもこんな未来が待っている。

 これはそんな教訓のお話。

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若人に捧げる教訓 足袋旅 @nisannko

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