勿忘草

ぶらっくまる。

未来の私へ

 目を開けると、見知らぬクロス張りの天井がぼんやりと視界に入った。


「ここは……どこ」


 すると、突然の音に反射的に身体がビクッとなった。


 まだ半分夢の中にいたわたしを、けたたましいアラーム音が、強制的に揺さぶりを掛けてきた。


 眠気眼を擦りながら右にゴロンと体勢を変え、その原因の方へ視線を向ける。


「あんなところに……」


 どうやら、無垢の木で組み上げられた机の上から聞こえてくるようだった。


「はいはい、わたしは起きてますよー」


 のそりと起き上がったわたしは、薄手の毛布から足を出し、そのまま指先からフローリングに下ろした。


「冷たっ」


 アラーム音と床の冷たさで、わたしは完全に覚醒した。


「っと、それより」


 その机まで爪先立ちのままわたしは近寄り、スマートフォンを手に取り、画面をフリックしてアプリを閉じた。


 画面の表示は、四時三〇分。


「なんでこんな早いのよ。もうちょっと……うん、もうちょっとだけいいよね」


 なんの根拠もない言い訳をしながら、スマートフォンを机の上に、そっと置いた。


「なによ、これ……」


 机の上に今しがた置いたスマートフォンの他に、紙とペンが置いてあることに気付いた。


 その紙には、何やら意味不明なことが書いてあった。


 丸みを帯びた癖字で、


『わたしの名前は、希咲。嘘だと思うなら苗字は?』


 などと、横書きでA4用紙の八割を使用してまでデカデカと書かれていた。


「わたしは、希咲? だから、なによこれ……苗字は、わたしの苗字は……いやっ、わたし、わたし……なにも覚えてない……」


 覚えていないのではい――


 何も……何も思い出せなかった。


 そのことに驚愕したわたしは、慌ててスマートフォンを掴み上げた。


「これは……誰?」


 ホーム画面に、肩先まで伸ばした黒髪の高校生くらいの女の子が写っていた。


 そして、その女の子を守るように右腕を肩に回した高身長の男の子と、女の子より少し背が低い男の子がその二人から気持ち距離を置いて佇んでいる姿が写っていた。


「え……」


 何故かその背が低い男の子を目にしてわたしは、ドキドキした。


 高身長の男の子の方が快活な笑顔でイケメンだった。

 

 一方、その男の子は、野暮ったい癖っ毛で少し暗そうな印象で、あまり好きになれないタイプだった。


 それなのに、わたしの心臓は、その暗そうな男の子に反応するように鼓動が激しく、大きくなった。


「か、鏡はどこ!」


 首を巡らすと、扉のすぐ脇に姿見鏡があった。


 わたしは、踊り込むようにしてその鏡を覗き込んだ。


「やっぱり、この子はわたしだ」


 肩先まで伸ばした黒髪に、一際大きな瞳。


 間違いなかった。


「ほ、他に何か」


 机の前まで戻り、先ほどのA4用紙を手に取り、隅々まで見渡した。


 デカデカと書かれた文字の下側にも何やら書かれているのに気付いた。


『ダイアリーアプリを開いて、一番はじめと一番最後から読むこと』


 これまた丸みを帯びた癖字で読み辛かった。


 その指令書のような置き手紙のとおりアプリを開き、一番上の、「私の記憶」の欄をタップした。


「えっと、なになに……」


 その文は、こう切り出していた。


『未来の私へ、戸惑っているかもしれないけど、これを読んで、先ずは落ち着くこと。ここに書かれていることは、悲しいことだけど真実だから、気を強く持って!』


 どうやら、わたしは未知の記憶障害で、記憶の保持ができないらしかった。


 先ず、わたしの名前は、海崎希咲かいざききさき、高校二年生の一七歳。


 そして、ホーム画面のことにも触れていた。


 二人は、わたしの幼馴染だった。


 わたしに腕を回しているイケメンは、向井直人むかいなおと、同じく高校二年生。


 そして、わたしがドキドキした方は、上江友哉かみえゆうや、同じく高校二年生。


 そして、写真を撮影したのは、去年の一二月二五日のクリスマス。


「え! そっちなの?」


 どうやら、わたしは幼馴染の気を引くために計画を実行したらしい。


 あらかた事情を把握して、心なしか大分落ち着いてきた。


 そして、最後のページを読んで叫んでしまった。


「えー! わたしが生徒会長なの! で、明日は卒業式……ん? 昨日の明日って、今日じゃない!」


――――――


「はあ、どうしよー」


 ため息を吐きながら通学路をトボトボと歩いていた。


 記憶はないが、妙に懐かしい雰囲気がするのと、心強い連れが一緒なおかげで迷うことなく登校できそうだ。


「どうしたんだよ、希咲。もしかして、緊張してるのか?」

「当たり前でしょっ。在校生代表とか無理だし」


 生徒会長として、今日の卒業式で挨拶を行うらしかった。


「しょうがないだろー。生徒会長なんだから」

「そ、そりゃあ、そうだけど……」


 玄関を開けたら、幼馴染の友哉が待っていたのだ。


 まあ、他の日の日記も読んでわかっていたけど、本当だったとは……


 ただ、写真から受けた印象と違って、かなりさっぱりした性格なようで安心した。


「まあ、なるようになるっしょ。それに、希咲ならやれるって俺は信じてるし」

「そ、そう、何かありがとう」

「おうよ」


 人は見掛けに依らないというが、ここまで体現できるのは逆に凄いと思った。


 それに、友哉のおかげで、大分リラックスできた。


――――――


 だめだった。


 在校生代表の挨拶で、制御できない色々な感情が溢れ出し、全校生の前で泣いてしまった。


 ただ、それが良かったのか、よくも知らない前生徒会長に抱きしめられ、また泣いてしまった。


 それは、ただ記憶にないだけで、ダイアリーによると実はとてもお世話になった人らしかった。


 他に重要なことを忘れていないかダイアリーを読み漁っていたら、友哉が声を掛けてきた。


「希咲っ、帰るぞ」

「え? あ、うん」


 そう誘われるがまま、わたしは友哉と並んで帰路についた。


 下校中もダイアリーが気になり、続きを読んだ。


 そこで、気になる一文を見つけた。


『橘先輩に要注意。どうやら、ダーリンに好意を寄せている模様』


「ねえ、友哉!」

「ん、どうした?」

「直人と三人で帰らない?」

「えっ、いや、それは――」

「ちょっと待ってて、わたし呼んでくる」

「え! おい、ちょっと待てって」


 友哉は呆気に取られた様子だったが、わたしはそれを無視して学校へ戻り、勘違いだったことに安心した。


 何と、その橘先輩は、直人に告白している最中だったのだ。


 嬉しくなったわたしは、その場から足早で校門へと向かった。


 その後を友哉が追っかけてきたが、ずっと無言を通していた。


 それが何故か鬱陶しく感じ、わたしは歩みを止めた。


「何でついてくるの?」

「え?」

「だから……何でついてくるのよ!」

「何でって……」


 そのはっきりしない態度から完全に勘違いされていることに腹が立った。


 そのせいで、思ってもいない言葉を発してしまう。


「用がないなら放っておいてよ!」

「希咲……」

「だから……な、何よ……」


 訳もわからず涙が溢れ出した。


 気付いてもらえてないことに悔しくなった。


「直人のこと、好きなんだろ?」


 その言葉がより心の奥底に突き刺さった。

 キューっと、心臓が締め付けられるように息苦しかった。


 違う! と、叫びたかった。


 でも、言えなかった。


「やっぱり、友哉は気付いてたんだね」

「そ、そりゃあ、まあな。あからさまだったから……」


 あからさまだったのは友哉の方でしょ、とは、口が裂けても言えなかった。


「そうだよねー。なのに、直人は全然気付いてくれないし……」

「あいつは……ほらっ、ゆーて鈍感だから」

「それな」

「ああ」


 鈍感なのは友哉の方でしょ! と内心突っ込みを入れる。


 このコントはいつまで続くの? と思いながらも、


「でもね。わたしじゃダメなんだと思う……」


 呆れて肩を落とすと、その拍子で肩に掛けていた鞄が落ちてしまった。


 無言を通す友哉にしびれを切らし、攻めることにした。


「ねえ、わたしは、どうしたらいいかな?」


 振り返り、友哉の瞳を見つめた。


「え?」


 驚いたように目を見開いた友哉は、次第に困ったように眉根を顰めた。


「どうって……」


 覚悟を決めたわたしは、友哉に歩み寄る。


「じゃあ、友哉はどうしたい?」

「は?」


 流石にここまで言えば友哉だって気付くわよね。


「いいよ、わたし。友哉だったら……」


 変なプライドが邪魔をして、大分上から言ってしまった。


「そうきたか」

「何よ、それ……」


 確かにわたしも否定はできなかった。


「あのな、もし、もしだぞ。直人が橘先輩に告白して、振られた直ぐ後で希咲に告白したら引くだろ」

「ううん。わたしは、嬉しいよ」


 ムキになったわたしは、売り言葉に買い言葉みたいな返事をしてしまう。


 あー、わたしのバカバカバカと自分を責める。


「てか、わたしはまだ直人に振られてないんだけど!」


 更に変な意地をはったら、友哉に笑われてしまった。


「な、何笑ってんのよー!」

「いや、その通りなんだよ」

「え?」


 ごめん、何がその通りなのか全くわからないんだけど……


「これから戻って直人に告白して来いよ。それでダメだったら俺が相手してやるよ」

「な、何よそれー! わたしが言うのもあれだけど、友哉はそれでいいの?」


 まさかそんな返しが来るとは思わなかった。


 やはり、友哉は底抜けの鈍い男だった。


「うーん、よくは無いけど、いいんじゃないか?」

「全然わかんない」


 ここまでくると、流石にわたしも呆れてしまった。


「だろうな。俺もわからん。ただ……」

「ただ?」


 また変なこと言わないわよね、と勘繰ってしまう。


「辛いことや悩み事があったら、そのときは、一緒に悩んでやるから遠慮すんなよ」


 その心配は無用だった。


 やっぱりわたしが好きになったのは、友哉で間違いなかった。


「友哉……ありがとう」


 その言葉が嬉しくて、さっきまでの馬鹿馬鹿しいやり取りがどうでもよくなった。


 こうなったら自分のセリフに責任を取ってもらうべく、わたしは校門の方へ駆け出した。


 そして、直人に振られたことにして、友哉に告白する!


 変なはじまりだが、あの鈍感にはこれくらいが丁度いいのよ。


 わたしは、ダイアリーに今日の出来事を書き記す。


 そして、どんな内容を紙にあのペンで書き残そうかと考えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勿忘草 ぶらっくまる。 @black-maru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ