文官勇者

狗須木

紙とペンとエクスカリバー

 ――――今なお息づく勇者の家系ブレイブ・ルーツ



 その昔、人の世は悪しき者により闇に包まれようとしていた。

 悪が蔓延り、絶望の声が響き渡っていた。


 ある時、一人の勇気ある若者が闇を払うべく立ち上がる。


 若者は神から聖なる剣を授かり、悪しき者を封印した。

 長い暗黒の時を経て、人の世は光を取り戻したのである。


 しかし、封印は永遠ではない。


 勇者は来たるべきその時に備え、歴史から名を消した。

 彼の行方を、誰も知らない。



 その血が脈々と受け継がれていることも――――……




 ***




 マティアス・ベルジュラックはしがない文官である。


 爵位は伯爵で、歴史の長さだけが取り柄の平々凡々な貴族だ。マティアスは次男で、代々領地運営ばかりしていたベルジュラック家には珍しく、中央で文官として勤めている。


 何か野心があるわけではない。


 次男なのでよっぽどのことが無ければ家を継ぐことはないし、当主となる兄の傍らでその業務を支えようにも、驚くほど安定した伯爵領ではマティアスにまで仕事が回ってこない。

 そして家族がマティアスに何かを強いることもない。陰謀渦巻く中央や血生臭い辺境へ行くぐらいなら、何を為さずとも平和な伯爵領で健やかに過ごしてほしいとは思うものの、表だってそれを言うことはなかった。


 かつてこの国を揺らした政変を経てもなお崩れることのなかった盤石な地位を持つが故に、ベルジュラック家は貴族らしからぬ穏やかな気性を持ち合わせていた。


 マティアスは家族の想いを知ってか知らずか、その自由な身を活かして好奇心の赴くままに勉学に励んだ。好きこそ物の上手なれとの言葉通り、気づけば文官試験に一発合格していた。


 才能を活かせる場所があるなら活かしてみよう。その程度のふんわりとした動機で、マティアスは文官となった。





「アラン、出る準備できたかー」

「はい。あと僕はマティアスです」

「おー、んじゃ行くかー」


 上司に呼ばれ、席を立つ。


 アランとはマティアスのあだ名である。共に文官として登城した幼馴染が口にしたのを同僚に聞かれてから、一部の文官達からこのように呼ばれている。

 マティアスはこのあだ名が好きではないのだが、既に広まってしまったものは仕方ない。それに悲しいかな、呼ばれ慣れているので何の問題も無く反応できてしまうのだ。


 もはやアラン呼びを正すことなど諦めている。返事をし、マティアスだと修正するところまでが挨拶のようなものだった。



 上司とともに馬車に乗り込み、冒険者ギルドへと向かう。



 先日、第二騎士団が冒険者と合同で辺境の森へと遠征に出た。その準備や見送り、帰還の受け入れで慌ただしい日々を過ごし、ようやく戻ってきたかと思えば厄介な問題を抱えていた。その後処理のために文官達は相変わらず駆け回っている。


 今日も今日とてその後処理の一環だ。


 騎士からの聞き取りによれば、森の探索が一羽のフクロウによって中止されたらしい。それもただのフクロウでなく、人間よりもはるかに大きな体を持ち、流暢に人間の言葉を喋り、さらには威圧プレッシャーでその場に居合わせた者の大半を行動不能に貶めるほどの力を持っていたというのだ。


 威圧プレッシャーという魔法は、両者に比較できないほどの実力差があり、かつ不意打ちで使うからこそ効果がある。

 真正面から大多数に向けて放ったところで成功するようなものではない。


 いったいどんな魔物を誘き出してしまったのかと怖気づいたが、どうやら普通の魔物とは違うらしい。ある一人の冒険者と言葉を交わすうち、森の不可侵条約とも呼べるものを提案してきたそうだ。

 もちろんその場にいる者で合意できるわけもなく、一度国へと戻り協議する必要性を説けば、納得して森へ帰ったのだという。


 果たして魔物にそれほどの知性があるだろうか?


 とにかく、威圧プレッシャーの影響か、騎士達の証言はどこか要領を得なかった。そこで、当事者たる冒険者の話を聞くこととなったのだ。

 主に話を進めるのは上司であり、マティアスはただの書記だ。気楽なものである。上司と他愛もない話をするうちに馬車は平民街へと進み、聞き慣れない雑踏が辺り一帯に広がる。


 紙とペンを握る手に、無意識に力が入った。




「久しぶり、ヤン」

「こちらこそご無沙汰しております、ランベール卿」

「面倒だ。堅苦しいのはよせ」

「おお、じゃあさっさと話進めろ」

「少しは敬意を残せ、俺は貴族だぞ」

「うるせえ、俺は冒険者だ。礼儀なんぞ知らん」


 ギルド長の笑みが引き攣るのをものともせず、目の前で貴族である上司と遠慮なく言い合う冒険者の姿を観察する。年齢は三十一と決して若くはないが、引き締まった体に老いは見られない。鼻筋を横切る大きな傷跡が印象的だ。


 ヤン・ベルニエ。彼の名は有名だ。

 とある領地を悩ませていた野盗集団を捕まえたことから始まり、王都で密やかに進められていたテロ計画を未然に防ぎ、各地で発生していた魔物の巣を小さい内に全て殲滅し、唐突に勃発した他国との紛争に巻き込まれた平民を救出し…………と、依頼でもないのに人を救い続ける変わり者。


 そしてこの度、フクロウと交渉し、一人の犠牲も出さずに王都への帰還を果たした張本人だ。


 英雄、ひいては勇者という存在は、自分のような人間ではなく、こういった人間のことを差すのだろう…………マティアスは彼とその仲間達を眺めながら、ぼんやりと思った。



 マティアスのあだ名であるアランとは、かつてこの世を救ったとされる勇者の名だ。幼少の頃、屋敷の図書室でベルジュラック家が勇者の末裔であることを口伝するよう書かれた書物を見つけ、それを幼馴染に話したことがきっかけでこのあだ名を付けられた。


 初めは勇者と呼ばれていたが、それを聞いた周囲の大人達から注がれる生温かい視線に耐え切れずに泣いて嫌がって以来、アランに改められた。

 正直、アランも嫌なのだが…………おかげで、勇者っぽいという理由だけで武に通ずるものを避けた結果、文官への道を歩んでしまった、というのが誰にも言えない真実である。


 今でも苦い記憶としてあの書物のことをはっきりと思い出せる。


 なぜ口伝するものを書き残しているのか、なぜ勇者の末裔などという世迷い事を子孫に伝えようと思ったのか……何より、なぜ現当主たる父がその書物の存在や内容を知らなかったのか……とにかく、疑問がつきなかった。

 しかも、その書物には一部古い言葉が使われており、マティアスの知識欲を刺激した。マティアスが勉学に励む理由に、憎き書物の正体を解き明かしたかったことが含まれるのは言うまでもない。


 そしてついに、その書物に呪文が書かれていることを突き止めた。興奮のあまりその場で解読したものを詠唱したが…………特に、何も起こらなかった。

 その身に聖剣を有する資格を与える、という文言があったのに、だ。


 自分が勇者の末裔かもしれない、という淡い期待はこの時儚くも崩れ去った。やはりこの書物は己の人生を狂わす諸悪の根源だ、などと腸が煮えくり返るほどに憤るのも仕方がないというものだ。



 そのような過去があるマティアスにとって、目の前の冒険者達はどこか羨ましかった。素直に憧れることのできなかった勇者という存在に近い彼等を見ていると、もやもやするものがある。


「――――つーわけで、俺は頭が悪いからお偉いさんに丸投げするまで大人しく森で待ってろ、っつって帰ってきた」

「なるほど…………よく威圧プレッシャーに耐えてそこまで交渉したな」

威圧プレッシャー? あー、まあ、それはあれよ。よ、慣れ」


 慣れと一言で片づけてしまうが、それこそが彼等の実力である。

 この世界の人間は戦えば戦うほど強くなる。純粋な技術や筋力、経験や体力ではない。実戦を重ねることで、訓練だけでは得られない、化け物じみた力を得ることができる。


 その力は皮膚を鋼が如く硬度へと至らしめ、知覚を鋭敏に引き延ばし、膨大なエネルギーで四肢を動かし、生物が持つ寿命の枠を外れ、体内に際限なく魔力を溜め込むことを可能とする。


 武に生きる者にのみ至れる境地だ。紙とペンにばかり向き合ってきたマティアスには無縁の話である。

 今更憧れたところで、もう遅い。自分が勇者になることはない。


「で、王サンにこれもらった。やるよ」

「これは…………羽根?」

道標みちしるべになるらしい。持ってれば王サンに会えるってことだろ」

「なるほど…………アラン、重要なものだ。厳重に保管しろ」

「はい。あと僕はマティアスです」


 上司から真っ白な羽根を手渡される。さすが、巨大なフクロウの羽根だ。両手の平に収まらないほどに大きい羽根を丁寧に受け取る。見た目に反し、重さは全く感じない。


 まるで、雪のようだ――――そうマティアスが思うと同時に、本当に雪のように、白い羽根が溶けて消えた。


「あ」

「え」

「は?」


 三者三様に驚きの声を上げる。その場にいた全員がマティアスの手を見ていた。その手には塵一つ残っていない。

 一番に正気に戻ったのはヤンだった。


「クソッ! まだ終わってなかったか、二番目が……ッ!!」


 唸るような怒声に顔を跳ね上げ、ひゅっと息を飲む。ヤンの瞳が燃え滾る炎のように揺らめいている。その瞳は真っ直ぐにマティアスを射抜いていた。


「コイツを森へ連れていく! どけッ!」

「ッ……馬を手配しろ! このままヤンを走らせたらあの文官が死ぬぞ!」


 気づけばマティアスはヤンに担ぎ上げられていた。

 手に持っていた紙とペンが部屋に散らばる。


「ヤ、ヤンさんっ!?」

「黙ってろ! 舌噛むぞッ!」




 そうして森へと連れていかれたマティアスは、一人でその最奥地へと足を踏み入れることとなる。




 戻ってきた彼が手にしていたのは、闇を滅する伝説の聖剣エクスカリバー――――という名の、光り輝くペンだった。


「見てください! これ、インクの色もペン先の太さも自由に変えれるんです!」


 マティアスは喜色満面の笑みとともに宙に字を書いて見せ、偶然近くにいた魔物を人知れず浄化した。

 勇者の存在が再び人間の歴史に記された瞬間である。

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