紙とペンと野良ゾンビ

ぽてゆき

紙とペンと野良ゾンビ

 そいつを見つけたのは仕事の帰り。

 オレが住んでるマンションのすぐ前の道端でフラフラ歩いてるのを捕まえて、急いで部屋に連れ込んだ。


「ウガァァァァ、ウガァァァァ」


 リビングのソファに座るオレに向かって、そいつは立ったままずっとそう叫び続けていた。

 両手を前に向かって伸ばし、体は常にフラフラと揺れている。

 灰色の顔、血なまぐさい匂い……間違い無い。こいつはゾンビだ。

 いやしかし驚いた。

 確かに、最近この辺りでゾンビが徘徊しているという目撃情報が相次いでいたのだが、まさかそれが本当だったとは。

 まあ昔から、冬はドラキュラ春先ゾンビ、なんて言葉もあるぐらいだし、4月半ばに遭遇したことはある意味必然だったのかも知れない。


「とりあえず座れば?」


 缶ビールを開けながら声をかけてみた。

 しかし、ゾンビはウガウガ言いながらフラフラ揺れるだけ。

 なるほど……これは困った。

 子供の頃からずっとゾンビの居る生活に憧れてたのもあって、テンション上がって連れてきたものの、どうして良いのかさっぱり分からない。


 こんなことなら、大学でゾンビ学の講義をまともに受けておけば良かった、なんて後悔しても後の祭り。

 ゾンビの腕はなぜ前に伸びてるのか? それは、過去を振り返ること無く前へ前へと進み続けるためだ……という誰かの名言を思い出しつつ、オレはスマホを手に取った。


 検索サイトを開いて『ゾンビ 連れ込んだ後』と入力。

 すると、自分もゾンビになってしまいました的なページばかり出てきたので急いで閉じた。

 大丈夫。オレは大丈夫。

 だって、このゾンビはどこからどう見ても人を襲う感じには見えな──。


「ウガァァァァ!!」

「ひぃぃ!!」


 突然、ゾンビが一歩、二歩とこっちに向かって歩み寄ってきた。


「ちょ、ちょっと待って待って! オレ、まだシャワー浴びてないから汗でしょっぱいし、最近忙しくてろくなもの食べてないから、食べても絶対美味しくないに決まって──」

「ウガァァァァ!」


 悲しみの“自分美味しくないですアピール”は全く通じず、ゾンビは両手の先がオレの体に当たりそうなほど近づいて来ていた。

 ソファから立ち上がろうとしても、腰が抜けて全く力が入らない。

 そんな俺を嘲笑うかのように、ゾンビはウガウガ言いながら少し前かがみになり、だらりと伸ばした両腕を俺の胸に押しつけてきた。


 あー、終わった終わった~。

 人間生活終わった~。

 父さん母さん、今日から息子はゾンビになります。

 灰色です。色んな意味で灰色です。

 お先まっ暗……いや、お先まっ灰です。

 いや、まっ灰ってなんかめちゃくちゃ言い辛いな。

 素直にまっ暗で良いか。

 いやいや、せっかく身も心も灰色になるんだから、やっぱりまっ灰の方が……。


「ウガァァァァ!」

「ひぃぃ! も、もう、やるなら早くして! お願いだから焦らさないで!!」


 そう言うと、ゾンビの右手が俺の左胸の辺りをモゾモゾとしだした。

 ……ちょいちょいちょい!

 まさかこいつ、前戯を大切にする系ゾンビ!?

 まあ紳士……ちゃうわ!!

 生前、そうすればモテる的な情報を小耳に挟んだんだろうけど、そんな優しさ要らないから!

 もう、ひと思いにガブッといっちゃって──。


「ウガッ」


 ゾンビは短く吠えながら、右手をスッと上に上げた。


「……えっ?」


 視線を上に向けると、ゾンビの指先に長い棒。

 それは、ジャケットの胸ポケットに入れていたボールペンだった。


「……ん? それが欲しかったのか……??」


 上目遣いのまま囁くと、ゾンビは左腕も上げて右腕と同じ位置に揃えた。

 そして、両腕をそれぞれ外側に向かって動かした。

 次に、両腕を同時に下げたところで内側にスライドさせ、また上げて元の位置に戻ってきた。

 外側、下げ、内側、上げ……この動作をひたすら繰り返す。


「な、なに?? 四角……? って、扉とか……いや。ボールペンを持ってるってことは……紙! そうだ、紙! 紙を用意しろって?」

「ウガウガウガ!!」


 ゾンビは腐った首がもげそうなぐらい、頭を思いきり上下に振った。


「オッケー! ちょっと待ってて!」


 ソファから立ち上がり、テレビの横に置いてある棚に駆け寄る。

 仕事で使う本や雑誌の間から、ほとんど使っていないまっさらなノートを取り出し、体を反転させてゾンビに見せる。


「これだよな?」


 そう言うと、ゾンビは「ウガウガ」と嬉しそうに頷いた。


「そっか、そりゃ良かった。って、紙とペン? も、もしかして……」


 オレはソワソワしながらゆっくりゾンビの元へ歩み寄り、ノートを差し出した。


「ウガァァ~」


 ゾンビは嬉しそうにそれを受け取ると、腐った手で器用にページをめくっていく。

 そして、開いたノートを左手に構えると、右手に持ったボールペンを静かに走らせた。


「お、おい、まさか……口ではウガウガしか言え無いけど、筆談なら出来るってこと!? それは知らなかった……っていうか、ゾンビ史上初じゃないそれ!?」


 オレはゾンビと向かい合うように立ったまま、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 サササササ……と、ペンで何かを書き進めるゾンビ。

 その顔からはさっきまで溢れていた野性味が影を潜め、まるで物書きを生業としているかの如き知性を醸しだしていた。

 そしてペンを休ませると、じっとノートを見つめ、満足げにコクリと頷いた。

 ひょっとして……いや確実に、いまオレは歴史的瞬間のまっただ中に居る。

 ウガウガとしか言わないでお馴染みのゾンビと、文字を使ったコミュニケーションを図ろうとしているのだ。

 場合によっては、ノーベル賞から国民栄誉賞コースすらあり得る。

 となると、いまゾンビが胸に抱えているノートに書かれた文字は、『地球は青かった』や『この一歩は小さいが人類にとってなんちゃらかんちゃら』に匹敵するほどの名言となって、後世に語り継がれる可能性が非常に高い。

 事の重大さに手が震える。汗が滲む。鼓動が早くなる。

 このままじゃ、ゾンビに噛まれなくても緊張感で死んじゃいそうだ。


「お、おう、それじゃ、見せて貰おうか……!」


 渇いた口から、絞り出すように言葉を吐き出した。


「ウガウガ」


 ゾンビは、オレの緊張感なんて無視するかのように、サッとノートを反転させてこっちに向けた。

 来た……!

 ゾンビ史上初、ペンで紙に書いた言葉とは……。


 <ウガウガ>

 

 ……えっ?

 右手で目をこすってから、もう一度ノートを凝視する。


 <ウガウガ>


 ……間違い無い。

 そこに書かれているのは、ウガウガの四文字。


「えっと……どういう事??」


 狐につままれたような……いや、ゾンビにかじられたような気分とはこのことか。

 人間とゾンビが初めてコミュニケーションを取った文字がウガウガだって?

 それはもう、今後何百年と語り継がれる名言……なわけあるかい!!

 そもぞもずっとウガウガ言ってんのに、紙に書いたウガウガが後世に残るわけあるかっつーの!!


「ちょっと! オレがゾンビにびびってると思ってからかってんだろ? マジで凄く緊張したのに! ドキドキ返してドキドキ!!」

「ウガァ……」


 ゾンビは弱々しく吠えると、肩を落としてシュンとなった。

 ストレスでも感じてるのか、右手でお腹の辺りをさすったりしている。

 ……そっか。

 ゾンビだって元は普通の人間。

 本当だったら、普通に喋って会話したいのにウガウガしか言え無いし、紙とペンならいけるかと思ったのに、結局ウガウガとしか書けなかったことに落ち込んでんのかもな。


「ごめん……な。そうだよな。喋れなくて一番苦しんでるのはお前自身なんだよな」


 オレがそう囁くと、ゾンビはまたノートを構え直してサササッとペンを走らせ始めた。

 ……悲しいな。

 言いたいことは山ほどあるのに、結局出てくる言葉はウガウガだけ──。


 <うそーん>


 ……ねっ。

 やっぱり、どんだけ頑張ってもウガウガとしか書け……なくない!?

 えっ、えっ!?


 ゾンビはこっちに向かってニヤっと笑うと、また何か書き始めた。

 そして、ノートをオレに向かって見せた。


 <ヤバい、腹減った。生肉ある? できたら豚が良いんだけど>


 ……はあっ!?

 めちゃくちゃしっかり文字書いてるんですけど!?

 っていうか、けっこう美文字なんですけど!?

 ゾンビは堰を切ったように、サササとペンで何やら書き込むと、すぐさまこっちに向けた。

 <マジで腹減ってイライラしてきた。豚肉が無いなら、人肉でも……>


 ひぃぃぃっ!!

 オレは思わず悲鳴を上げ、大きく見開いた目でノートの文字とゾンビの顔を交互に見ながら、震える足をなんとか動かして後ずさりしようとした。

 すると、またゾンビがなにか書いて見せた。


 <うそうそ! 確かに、ゾンビになった当初は先入観で人肉を求めたりなんかしたけど、よくよく考えたらそんなに食べたく無いんだよね。代わりに生肉にも挑戦しようとしたけど寄生虫があるとか考えると口に入れる事なんてできやしないって。結局、米だよ米。日本人なら米でしょ。ゾンビになってもそれは同じ!>


 へー、そうなんだ。

 そりゃ良かった……って、長文!

 そしてめちゃくちゃフランク!

 なんかもうオレ、凄くホッとして肩の力が──。


「ウガァァァ!!」

「えっ!?


 ゾンビは怒ったように吠えながら次のページを開き、慣れた手つきでペンを走らせた。


 <マジで空腹ぱないから急いで米炊いて! 塩だけあれば良いから! 炊きたてご飯に塩こそ至高だから!>


「はっ、はい!! 仰せのままに!!」


 オレは急いでキッチンに向かい、しばらく使って無かった炊飯器を引っ張り出した。

 確かに、ここんとこずっとカップラーメンばかりで米なんか全然食べてなかったっけ。

 炊きたてご飯の美味しい香りを想像しながら、僅かに残っていた米をザザザと釜の中に落とし入れる。

 こうして、オレとゾンビの奇妙な同居生活が始まった。


(終わり)

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