プロローグ・2
「グルォゥ……」
クロコクルスは、腹の底に響くような低い声で唸った。
マズい、とぼくは本能的に察する。
逃げなきゃ。いますぐ、全力で。
分かってる! 分かってるんだけど……
(体が……動かない……)
立ち並ぶ濃い緑のウロコが。
地面に食い込んでいる黄色いツメが。
凶暴さを感じさせる、なにかが付着した白いキバが。
敵意のこもった、うす暗い琥珀色の瞳が。
ぼくの身体の自由を、恐怖によって一瞬で奪い去ってしまった。
(これは、ゲーム、なのに……)
知識としては知っていた。
リアリティの高いVRでは、脳が目の前のものを現実だと間違えてしまうことがある……って。
まさか、って思ってたけど、情けない事に今のぼくがそうだ。
「グルァアッ!」
クロコクルスが、叫びながらぼくへ突進してきた。
喰われる! 出てきたばっかりなのに!
覚悟しながら、目をつぶった、その時だ……
「……っ、ニャゴァッ!」
だんっ!
ぼくの身体が、ちいさな何かに弾き飛ばされた。
「うわっ、と……!?」
倒れ、ヒザをついたぼくが振り返ると、そこには、一匹のネコのサイバクルスがいて……
「ニャグゥ!」
ネコのクルスは、クロコクルスの鼻先にかみついた。
クロコクルスはうなりを上げて頭をぶんぶん振り回す。
痛そうだけど、ダメージが入ってるって感じはしなかった。
サイズが違いすぎるんだ。力にも当然、差があるだろう。
「でも、なんで……」
あのサイバクルス、ぼくを助けてくれたのか?
不思議に思いながら立ち上がる。
「ニャガガ! ガガっ!」
と、ネコのクルスは振り回されながらも立ち上がったぼくを見て、何かを訴えるように叫ぶ。逃げろ、ってことかな。
「分かった。……ありがとう!」
「ニャグっ……!」
面白いこともあるもんだ。
野生のサイバクルスがプレイヤーを助けるなんて、あんまり聞いたことがない。
でもこれからどうしよう。あんなに強いのが出てくるなら、やっぱりぼくもサイバクルスを捕まえないとかな……
考えながら、ぼくは来た道を戻ろうと一歩、踏み出して。
「………、………。」
あれ。と思った。
今ぼくが逃げ出したら、あのネコのサイバクルスはどうなるんだろう?
クロコクルスはなんか凶暴な雰囲気だった。
そもそも、あんな強いクルスがこの区画に出てくること自体おかしいんだけど……いや、そうじゃなくて。そうじゃなくて。
どくどくと心臓が鳴る。
これはゲームだ。難しい要素があったら
だから今は、逃げて……
――ばぎゃんっ!
考えている内に、背後から鈍い音が聞こえてきた。
思わず振り返る。……あのネコのサイバクルスが、木に叩きつけられていた。
やっぱり、パワーが違うんだ。
ぽとりと地面に落ちたネコのクルスが、よろよろと立ち上がる。
クロコクルスは勝ち誇ったように鼻を鳴らして、一歩、二歩とネコのクルスに近付いていく。
ついさっきまで、ぼくに向かってきていたみたいに。
大きな口を、開けて……
「っ……!」
気付けば、ぼくは駆け出していた。
来た道にじゃない。ネコのクルスにむかって。
だん、だん、だんっ! 地面を蹴る感覚は、校庭の砂よりも少し柔らかくて、走りにくい。
前髪が、風を受けて跳ね上がる。森の中だからか、どことなく湿ったひんやりした風。
手を伸ばす。ネコのクルスが、目を丸くしてぼくを見る。
「ニャ、ガ、っ……」
かすれた声でまた何かを言いかけて。
多分、来るなとかそういうことだろうなぁ、って思いながら。
ぼくは、そいつの身体を抱き上げた。
「にげるよ!」
ネコクルスの毛皮は、泥にまみれてごわごわしていた。
その奥に、ぼくよりちょっと高い体温を感じる。
まるで本物の猫みたいだ。
作り物の、データ上のモンスターのハズなのに、ぼくはそんな風に感じてしまう。
このまま
「……っ、後ろニャゴ!」
「えっ」
ガチンっ!!
音と振動がして、ぼくの足の感覚が、片方消えて無くなった。
『部位
視界の端に、赤い文字でアラートが表示される。
え、と思って下を見ると、ぼくの右足の先は、クロコクルスの牙に引きちぎられていて……
「あっ、ああっ……!?」
ずざぁっ! そのままぼくはバランスを崩して、思いっきり地面に倒れ込む。
(喰われた! 足! あいつに!)
もちろん痛みはない。その代りに、頭にじわっと煙が広がったみたいな、妙な感覚がした。
あるはずのものが、無い。
頭の中にはまだ右足が残っているのに、反応がまるで無い。
驚きと戸惑いを感じながらも、でもぼくは安心していた。
「今のうちに、逃げて」
抱えていたネコのクルスを解放する。
クロコクルスは、ぼくの右足を
「ぼくは……まぁ、こうなっちゃったけど、リタイアしたら戻って来れるからさ」
せっかく助けてくれたのに、逃げなくてごめんね。
ぼくはそう言って、ネコのクルスの頭を
「また、どっかで会えるといいね。他のネコクルスと見分ける自信、ないけど……」
たとえば、この子がぼくのサイバクルスになってくれたら、心強いのかもしれないなぁ。
そう思いながら、ぼくは視界端のアラートに目をやる。
『緊急離脱まで、あと15秒。14……13……』
「……グルルェップ……」
背後から、クロコクルスのげっぷが聞こえた。
多分、ぼくの足を食べ終えたんだ。次はぼくか。離脱って、食われてからも出来るよね?
少し不安に思いながら、息を吐く。まぁ、ゲームだし。死んで覚えることもあるよね。
「……。あれ、どうしたの。いかないの?」
ネコのクルスは、まだそこにいた。
じっと考え込むように、ぼくの事を見おろして。
「早くにげないとダメだよ。食べられちゃう」
もう一度押しやろうとするぼくの手を、ネコのクルスはすっと避けた。
それから、ネコクルスはすんすんとぼくの頭の匂いを嗅いで……
「残念ニャゴけど、おまえはもう戻れないニャゴよ」
「……え?」
今、このサイバクルス、しゃべ……
『7……6……――エラー! エラー! エラー! エラー!
緊急離脱システムに異常を感知しました 修正までお待ちください
残り時間、00000000000000000000000000000000000000000000000000――』
「は、え、なに、なにこれ!?」
「おまえのデータ、アイツに喰われたニャゴからね。逃げる力はもう使えないニャゴよ」
「はぁっ!?」
「せっかくニャゴが助けてやったニャゴに、カッコつけたせいニャゴ……」
「っ、ごめ、分かんない! 状況がぜんっぜん分かんない!!」
サイバクルスがしゃべった!
ぼくのアバターにエラーが出た!
その上なに、戻れない!? どういうこと!?
「つまりニャゴね。
あのワニぶったおさないと、ニャゴもお前もおしまい、ってことニャゴ」
【続く】
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