前世の恋人が今世では(実の)娘です!

武蔵-弁慶

第1話

「ねぇ、〇〇」

彼女の目から涙が溢れる。俺はそれをそっとぬぐってやった。

「あぁ、もちろん」

俺はそう言った。彼女は涙を流しながら、それでも嬉しそうに笑った。

「次も、その次の世でも、絶対」

どんな姿になろうとも、どんな関係になろうとも。

「一緒にいよう」

最後の口づけはやはり甘くて。

俺はひっそりと死を味わった。


「ただいま……」

夜の8時、残業を終えて俺はクタクタの体に鞭打ってマンションに帰ってきた。新築の、一人で住むにしてはやけに大きい部屋。俺がこの部屋を買ったのには理由があった。

「おっかえり〜!!」

「ぐぇっ」

パタパタという軽い足音が近づいてきたかと思うと、玄関で革靴を脱ぐ俺の背に、暖かい塊が飛びついてきた。ギュッと俺を抱きしめ背中に顔を擦り付けてくる。

「コラコラ」

俺はそれに注意をして、半身を捩り、その頭に手を伸ばした。背中の中ほどまである髪はサラサラと俺の指から零れる。

「ふふふ。お疲れ様!」

そう言ったそれは、まるで太陽のように笑った。

今年で9歳になる、可愛い可愛い俺の娘。

「お風呂にする? ご飯にする? それとも……」

わ・た・し?

俺は無言で彼女のつるりとした額に

「てぁっ!」

「ひゃっ!?」

デコピンをかました。


俺は善施望夫ぜんせ もちお。前世の記憶を持った、高給取りのビジネスマンだ。

前世では、俺は地球とは別の世界にいた。それは、地球で言う異世界というもので、魔法が存在する世界だった。そこで、俺は運命の人に出会った。氷のような銀髪に雪のような白い肌、深夜を思わせる深い青の目を持つ彼女に、俺は一目惚れしたのだ。そして、それは『氷雨ひょううの魔女』とも呼ばれる彼女にしても同じことだった。まるで、昔からそうなるように決まっていたように、俺達は惹かれあった。俺は彼女を求め、彼女も俺を求めた。互いがそばにいる、それだけで世界は幸せの色に満ちていた。だが、そんな幸せも長くは続かなかった。魔族との戦争が始まったからだ。

当時、俺はそれなりに名の知られた魔法使いだったし、『二つ名持ち』の彼女は言わずと知れた優秀な魔女だった。そんな俺たちを世間は放ってはくれない。俺達は戦いの最前線に立つことになり、そして、死んだ。呆気なく死んだ。その時、俺達は約束を交わした。

次の世も共にあろう、と。例え、どんな姿になろうとも、共にあろう、と。


そして、今、最愛の彼女と俺はこの地球で再開を果たした。

最愛の娘と最愛の父として、だ。

「てっきり、私を選んでくれると思ったのに」

俺の足の上で、拗ねたようにその子は言った。そして、湯船に口まで浸かりブクブクと泡を作り始めた。拗ねているというアピールだ。

「望子、それは仕方ないだろ」

俺は最愛の娘こと、善施望子ぜんせ もちこに対してこう答えた。

「俺はお前の実の父親で、お前は俺の実の娘だ。新婚さんみたいな質問を、毎回投げかけるのは止めろ」

望子は泡を作るのをやめて、顔を上げた。ふくふくとしたほっぺたを膨らませ、俺をジトッと睨んでくる。だが、そんな仕草も愛娘フィルターをかけると、あっという間に子供の甘えに変わる。

「確かに、前世では恋人だったけどな」

「……だったら」

「けど、今は親子だ。娘をそんな風に見れない。それともあれか? 親子っていう関係は不満か?」

俺は湯船に深く浸かり、目線を合わせてやった。値段に見合った広い湯船が、こういう時はありがたい。

「……『特別な関係』っていう所は不満じゃない。私の母親に対して、特別な感情を持っていた訳じゃないっていうのもわかってる」

「なら」

そう言いかけた俺に、望子はその小さな手を伸ばした。

「でも、だからって、私のことを娘としか見てくれないのは不満!!」

そう言い、望子は俺の両頬を両手で力一杯抓ってきた。

「大切に思ってくれるのは嬉しいけど、私はあなたとまた!」

恋人になりたいの!

望子の、いや、彼女の叫び声が浴室いっぱいに反響した。

「けど、今はまだ、そんな風に見てくれないっていうのはわかってる……」

チラリと自らの体を見下ろし、彼女はポツリとそう言った。そして、俺の上から退き、彼女は湯船を後にした。

「八……いや、九年後を楽しみにしてなさい!」

無い胸を張り、彼女は仁王立ちで言った。

「絶対にまた、惚れさせてやるんだから!」

ビシリと俺を指差し、彼女は不敵に笑った。それが、前世に重なって見えて、俺は。

「それまで、首を洗って待っててね。パパ」

くるりと踵を返し、彼女は、いや、望子は浴室から出て行った。

そんな彼女を見て、今度は俺が湯船に沈んだ。

「……ずるくね?」

そんなことを俺に言うなんて! 俺、父親なのに!

「あ、忘れてた。パパ、湯冷めしないようにゆっくりつかってね」

ガラリと浴室のドアを開けて、望子が顔を覗かせた。太陽のような笑顔を見せる望子に、俺は。

「……はい」

と返すしかなかった。


どんな姿になろうとも、どんな関係になろうとも、一緒にいよう。


今世の俺の受難はこれかららしい。

今はともかく、来たる九年後に備えて、俺も男を磨かねば。

惚れさせてもらうんだ。当然、俺も彼女を惚れさせなければならないだろう。

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前世の恋人が今世では(実の)娘です! 武蔵-弁慶 @musashibo-benkei

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