男と女
いとうみこと
第1話
そんなに怒るもんじゃないわよ、美和ちゃん。男なんてね、大概は浮気するもんよ。そりゃあ、一途な人もいるだろうけどね、そんなのほんの少しよ、きっと。
さあ、もういい加減泣くのはやめなさい。ほら、ティシュ。鼻をかんで。可愛い顔が台無しよ。あんたはあたしに似て綺麗な顔をしているんだから。あら、お世辞じゃないし自慢じゃないわよ。あたし、若い頃に、今で言うミス何とかに選ばれたこともあるんだから。ほんとよ。
そうそう、よしよし。それでいいわ。少しは落ち着いた?あら、お茶が冷めちゃった。まあひと口飲みなさいな。
あんたの気持ちはよーくわかるわよ。あたしにもあんたみたいな頃があったからね。そうよ、お爺さん。今はあんな風だけど昔からもててねえ。もちろんあたしだってもてたわよ。十代の頃から縁談がひっきりなしでね。断るのが大変だったんだから。
でもね、小さい頃から結婚するならこの人って決めてたのよ。祭りの法被姿がそりゃあもう素敵でね。大きくなったら絶対この人のお嫁さんになるってみーんなに言いふらしてた。お爺さんにも会うたんびに頼んでたのよ、お嫁さんにしてくださいってね。
そうしたら、あたしが22の年に本当に貰いに来てくれたのよ。丁度祭りの晩に、あたしが大好きな法被姿でね。凛々しかったわよ。惚れ惚れしたわ。今でも人生でいちばん嬉しかった日よ。
ただね、それが地獄の始まり。ううん、大袈裟じゃないわ、大変だったのよ。あたしはお爺さんひとすじだったから、男と女のことなんて何も知らなくてね。いざ結婚してみたら、お爺さんたら、あっちにもこっちにもいい人がいたのよ。その時、あたしが気付いただけで3人もいたんだから。
やだ、あんた、お茶を吹かないでよ。そんなにむせて、大丈夫?そりゃ驚くでしょうよ。あたしだって驚いたもの。ほら、もう一度鼻をかんで。そう、それでいいわ。あら、どこまで話したかしらね。
ああ、そうそう、3人も愛人がいてね。ご丁寧にあたしに教えてくれる人がいるのよ。あたしが振った人もわざわざ言いに来たわ。一度や二度じゃないのよ。つい最近までずっとよ。親切なんだか、嫌がらせなんだかわかりゃしないわ。
まあいいわ。あたしはすぐにあんたのお父さんを身籠ってね、大きなお腹でその女たちの居場所を突き止めて乗り込んでやったのよ。ふたりは大人しく身を引いてくれたんだけど、残りのひとりが頑固でね。奥さんがいたってあたしゃ構いません、なんせ、あんたなんかよりあたしの方が付き合いが長いんだからねって開き直ったのよ。
そりゃあもうあんた、情けないやら悔しいやら。だから表に出て泣きながら大声で喚いてやったの。この女はあたしの夫を寝取りました。あたしのお腹には子どもがいるのに、別れてくれと頼んでも別れてくれませんってね。そうしたらどうなったと思う?近所のおかみさんたちがあたしの味方をしてくれてね、面白いようにどんどん人が集まって、とうとう女も諦めてくれたのよ。可笑しいでしょ?
武勇伝って、美和ちゃん、これでもあたしは必死だったのよ。お腹の子を守るためにはこうするしかなかったの。
でもね、何十年も経ってからわかったことなんだけど、あの当時お爺さんは、女同士のいがみ合いにすっかり疲れてね、身を固めたら引き下がってくれるんじゃないかと思ってあたしを貰いに来たのよ。そうとも知らず喜んじゃって、哀れなもんよね。
それでもね、そのまま女遊びをやめてくれたら良かったんだけど、そんなことで根っからの女好きが治るはずもなかったのよね。美和ちゃんのお父さんが歩き出す頃には、もう別の女がいたみたい。ほんと、どうしようもないわよねえ。
え?お父さん?ああ、あんたのお父さんは大丈夫よ。あたしが見る限り、あんまり浮気はしてないわ。相手は素人さんじゃないみたいだし。あら、それでも嫌なの?随分潔癖なのねえ。そんなことじゃ誰とも結婚できないわよ。
ねえ、美和ちゃん。浮気が男の甲斐性だなんて言わないよ。でもね、オスなんだから、ある程度は仕方ないのよ。ほんの出来心だったら見逃してあげなさいな。それとも彼と別れてもいいの?それなら思い切りビンタして罵って別れたらいいじゃない。
ほらごらんなさい。まだ好きなんでしょ?彼だって謝ってくれてるんでしょう?だったらこう言うのよ。私はあなたが浮気して心から傷付きました。でもあなたを愛しています。もしあなたが私を愛しているならもうこれっきりにしてください。約束してくれるならやり直してもいいですってね。
まだ納得いかない顔ね。いいわ、ゆっくり考えなさい。ただね、一度手放したらもう戻らないかもしれないよ。それは覚悟しなさいね。
あたしもね、何度も別れようと思ったわよ。もちろん大好きな気持ちに変わりはなかったけど、あまりにも次々と女を作るからそれが辛くてね。でもね、お爺さんはどんなに遅くなっても必ず家に帰って来たのよ。子どもたちの誕生日も参観会も、それから結婚記念日も、一度だって忘れたことがなかったの。ほんとにいいお父さんだったのよ。まんまと騙されてた気もするけどね。
ああ、はいはい、今行きますよ。お爺さんが呼んでるわ。そろそろおむつ替えなきゃいけない時間ね。
ふふふ。あたしがそばにいないと機嫌が悪いの。あんなに好き勝手してたけど、今じゃあたしの言いなりよ。気に入らないことがあったらお尻をつねってやるの。あ、これはお父さんには内緒ね。
はいはい、今行きますって。ちょっとだけ待ってくださいな。大変?そうね、大変には違いないけど、こう見えて今凄く幸せなのよ。だってやっとお爺さんを独り占めできるんだもの。
そんな不思議そうな顔しなさんな。男と女なんてね、通り一辺倒にはいかないの。それぞれでいいのよ。死ぬ時に笑ったもん勝ち。長い目で見て、あんたの幸せを見つけなさい。
はいはいはい、わかりました、今行きますよ。
男と女 いとうみこと @Ito-Mikoto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます