過去と未来と現在と
有木 としもと
第1話 トランプ大統領について 〜英雄の条件~
チキンレースにおける最善手、というものがある。
例えば「お互い正面からまっすぐ衝突コースを進んで行き、怖くなってハンドルを切った方が負け」というルールだとしよう。
このゲームにおける最善手は、「決してハンドルを切らない」だ。
向こうが避けてくれればこっちの勝ち。
相手がイカれているか、あるいは同様にゲーム理論を理解していて最後までまっすぐ進んだ場合は、クラッシュにより引き分けに持ち込める。
つまり、負けることがあり得ない。
だからアクセルを踏み込み、まっすぐ走り続けるべきなのだ。
この結論に隙は無い。完璧と言える理論である。
ただし、三秒ほど考えれば明らかなように、現実世界において実際にこの方針を採用する者は少ない。
常用する者は、マトモではないと言われるだろう。
理由は単純。
車が正面衝突したら良くて怪我、悪ければ死んでしまうのだから。
要するに、チキンレースの必勝法は人生の必勝法ではないのだ。
よって、狭い範囲の最善手を振りかざす者は往々にして視野に欠ける愚か者と呼ばれることになる。
だがここでおかしなことが起きる。
頭が良く理性的な人間と愚か者が直接戦うとどうなるか。
常識人は死にたくないからどこかで勝負を降りる。すると。
そう。勝つのはいつも愚か者の側なのだ。
ここで、ふと疑問を抱かざるを得ない。
負けた側が「頭が良い」と評価されるのは変ではないかと。
そりゃあそうだ。
戦えば必ず負ける手を繰り返し使う者は、どう考えても馬鹿に決まっている。
果たして、本当に愚かなのはどちらか。
トランプを大統領に選んだアメリカ人の慧眼と現実対応能力の高さには、正直なところ敬服の念を抱かざるを得ない。
ここ二十年近く。
ロシアや中国といった国々は、このチキンレース理論を活用して勢力を伸ばしてきたように思える。
オバマ時代などでは、衝突の際に引き下がるのは常に欧米の側だった。
それは、本気で正面衝突を起こし、巨大な被害を受けるよりは良いという非常に賢明で合理的な選択であった。だがそれを常態にしてしまった結果、前述の必勝法を使う相手に限定的な敗北を繰り返す事態を招いてしまったのだ。
政治指導者は時として無分別な馬鹿である必要がある。
衝突の影響を現実的に考えれば、アメリカは頑丈なピックアップトラックのような存在であり、生半可な相手にぶつかったぐらいで致命傷にはなりづらい。
本来逃げ回るべきなのはロシアや中国の側だ。事故などさして恐れるべきでは無いという理屈も、それはそれで正しい。
ゲーム理論的には、マトモでない指導者がアメリカに現れるのは必然だったとも言える。それゆえにトランプは時代に応じた存在であり、その功績は最終的にプラスのものとして記憶される可能性が高いのではなかろうか。
あえて視野の狭い愚か者を指導者とし、リスクの高い行動をテストする柔軟性と、それを許容するだけの国力。それでいて、決定的な暴走を抑止するために全体としての支持率を決して高くはしないバランス感覚。
いやはや、アメリカが自らを世界一の国と自称するのも無理はない。
時代は時として不思議なパラドクスを生み出す。
愚かで近視眼的な行動こそが効果的である。というような。
現代という、そんな風変わりな時代について。
そんな感じの考察をちょっと進めてみたい。
ところで皆さんは、ドナルド・レーガンなる大統領をご存じだろうか。
知らなければWikiでもちょっと覗いてみて欲しいのだが。
現代の評価では冷戦を終結させる切っ掛けとなった、先見の明のある大統領といった評価になっている。
彼はあえてソ連、今で言うロシアとの対決姿勢を強め、軍拡路線に舵を切った。
経済的に劣るソ連は対抗しようと軍事費を増やしたが、やがてそれは国の運営そのものが困難になるほどの負担となった。
やがて根を上げたソ連は融和策に転じ、それが冷戦の終結を呼んだとされる。
軍事費を増やしながらもそれは直接の戦争を意図したものではなかった。
狙いはあくまでも経済的な破綻。
相手はまんまとその策に引っかかってしまった。
素晴らしい。
まるで諸葛孔明みたいな鋭い知謀じゃないですか。
ところが、である。
この人、在職中の評価はかなり低かった。
無謀な軍拡に大金をつぎ込んでアメリカの経済力を低下させたとか、ソ連を「悪の帝国」と呼んで無意味に国際間の緊張を煽った。
そんな批判が渦巻いていたのだ。
これらの批判は、それなりに正当だ。
特にそのスターウォーズ構想。レーザー装備衛星等による防衛網でソ連のICBMを撃ち落とす案なんて、当時の技術的に夢のまた夢。ちなみに現在だって無理と言われるレベルだ。そんなものに金をつぎ込むぐらいなら、もう少しマシな分野で軍拡の振りだけした方が効率的だっただろうと思わずにはいられない。
相手が律儀にそれに付き合って軍事費を増やす保証も無いし、決定的に劣勢になる前に先に核戦争を始めよう、と考える可能性だって低くは無かった。
だがまあ。最終的に戦争は起きず。冷戦は終結した。
運が良かったとも言えるし、基本的な読みが正しかったのだとも言える。
やる前は無謀な行為とされたことであっても。成功すれば全てが正当化される。
そして、彼は英雄になったのだ。
一つ言えることは、人間の評価なんてものはえらく自己中心的で無責任に変化していくものであり。数十年後にどう変化するかなんて、まるっきり分からないのである。
さて翻って現代社会を眺めた場合。
トランプ大統領というのは誠にもって英雄の資格を色濃く持った人物だのではあるまいか。
無謀と無理解。狂気の沙汰とも言われる独善的な一国主義と中国に対する対決姿勢は、意外な脆さを見せる中国経済を背景に、むしろアメリカの存在感を高めているように見える。
おそらくこの文章を読む日本の皆さんも。
理屈の外にある肌感覚では、こんな風に感じたことはないだろうか。
「なんだか、中国の姿勢が変化している」
「彼らの勢力拡大を防ぐという点では、むしろトランプ大統領は有能だ」と。
多分、だが。アメリカ人の多くもそう感じているだろう。
そして、自らの国が持つ覇権を守るという意識の点で、彼らの持つ切迫感は我々日本人の比ではない。
だからポリティカルコレクトを基調とした、「頭が良く理性的な人々」の批判に一応は頷いて見せながら。いざ本当に選挙となった場合はトランプ大統領を選ぶ。今後もそんな状況が続く可能性は無視できないと思っている。
筆者の見るはトランプ大統領のイメージ。
それに一番近いのは、織田信長だ。
オイオイ、信長さんをディスるんじゃねーよという突っ込みが来そうではあるが、ちょっと落ち着いて考えて欲しい。
信長の実像も案外そんなものだったかも知れないぞ、と。
忠告を聞かず、他人からは狂ったとしか思われないような「天才的アイディア」を実行しては成功と失敗を繰り返し、執念深く復讐心に溢れ、根強い支持者と広範な敵意に囲まれて、味方の首を切りまくって、内部からの裏切りも続出して。
そしておそらく最後には。
彼を魔王と信じる者達によって、火あぶりにされる運命が待っている。
ほら、そっくりでしょ?
魔王が滅び、新たな被害が生じる恐れが無くなった後。
少し落ち着きを取り戻した人々は、過去の人物として彼を再評価し。
「冷静に見ると、意外と悪くなかったんじゃね?」
「無茶苦茶な奴だったが、プラス面もあった」
などと偉そうに論評しながら墓碑銘を書き換える作業に勤しむのだろう。
リベラルは行動することの危険を説いて回るが、行動しないことによる損失については口をつぐむ傾向がある。だが、それはどちらもリスクなのだ。
ソ連を倒したのがレーガン大統領なら。
中国の野望を阻止したのはトランプ大統領、となるのかも知れなくて。
正面衝突で大怪我をした彼らがチキンレースを控えるようになったとき初めて。
再び融和的なリベラルの出番がくるのだろう。
英雄とは、基本的に博打に勝ったギャンブラーに対して与えられる称号である。
そして周辺の反対にも負けず、自らの信念によって何かを成し遂げた、なんて一見良さげな評価を受けるということは。
要するに他人の話を聞かず、リスクを無視して好き勝手やった人間であることの裏返しなのだ。
だからこそ、トランプ大統領には英雄となる素質があるんじゃないかなあ、と。
全財産とは言わないが、ちょっとした金額ぐらいなら。
その大穴に賭けても良いと思っている。
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