リバース・チョコレート

池田蕉陽

第1話 リバース


 ホワイトデーが訪れた。人生で一度もチョコを渡したことがない私にとって、今日はいつもと変わらない日常。


 そう思っていた。


角田すみた


 放課後、学校を出ようと廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。男の声だった。私は珍しいなと思った。普段、女子からは憧れの存在という認識でよく話しかけられるが、男からは一切なかったからだ。


 私は振り向いた。冴えない男が立っていた。


「だれ」


 尖った口調で二文字を飛ばしてやった。しかし、男がたじろぐ様子はなかった。ただ目尻を落としていただけだ。


「だれってひでーな。俺だよ俺」


 男が親指を彼自身の平凡な顔に向ける。


「もしかして田中?」


「ちげーよ、誰だよそれ。眉村まゆむらだよ、眉村」


 眉村? 聞き覚えがあるようなないような。


 そんな私の様子を窺ってか、眉村という男が信じられないといった表情を私に向けた。


「まさか本気で覚えてないのか……? 幼稚園年少組から高校二年までずっと同じクラスだぞ!?」


「え、嘘でしょ?」


「いやマジなんですけど」


 衝撃的だった。今年で一番びっくりしている。こんな男とまさか約十五年間も一緒だったなんて信じられなかった。


「いや、絶対あんたみたいな男いなかったって」


「いたって! 結構喋ってるよ!?」


「それ多分私じゃないと思う」


「絶対角田だった。無視されたの覚えてるもん」


「なら喋ってないじゃん」


「ああ……」


 彼は悟ったようだった。


「私が覚えてるのは坊主頭で鼻水たらしたマユソンって男しか知らないよ」


「いやそれ俺! てかマユソンじゃなくて眉村! 普通『村』音読みする?」


「え、あんたマユソンなの!?」


「だから……ああ、もういいやめんどくせ」


 私は男の顔を凝視する。髪はボサボサだが、微かにマユソンの面影が残されてあった。どうやら本当にこの男と私は十五年間一緒だったらしい。だからといって、マユソンと話した記憶はほとんど残されていなかった。それは私が他人に興味を示さない性格だからだ。


「っで、マユソン何の用なの」


 するとマユソンは思い出したように「そうだそうだ」と人差し指をあげた。


「これ」


 マユソンが何かを差し出してきた。さっきから何か持っているなと思っていたが、どうやら私に渡すものだったらしい。


「なにこれ」


「なにこれってチョコレートだよ」


「チョコレート? なんでマユソンが」


「だって今日はホワイトデーだろ」


 おかしいなとなる。私は今年のバレンタインデーを思い出してみる。やはり私はマユソンにチョコレートを渡してなどいない。てか人生で一度もあげたことがない。


「人違いじゃない? 私誰にもチョコレートなんて渡してないよ」


「だからだよ」


「えっ?」


 私は思わず素っ頓狂とんきょうな声を上げてしまった。


「お前十五年間、てか多分人生で一度も誰にもチョコ渡さなかっただろ?」


 私は頷く。その後、どうしてそれを知っているのだろうと不思議に思った。


「っで、俺は人生で一度もチョコを貰ってない。母ちゃんにもだ」


 悲しすぎる。そんな男存在するのか、いや、ここにいるのか。私なんか毎年十個以上貰ってる。


「そ、それで?」


 私は先を促した。


「それで俺は閃いた」


「なにを?」


「一度もチョコを渡したことがないお前、一度もチョコを貰ったことがない俺、こんなシチュエーションを利用しない手はない」


「はあ……つまり何がいいたいわけ?」


 私がそう聞き直すと、マユソンは恥ずかしそうに私から目を逸らした。頬を赤くしてこめかみあたりをかいている。何を言うつもりだろう。


「と、とりあえずこのチョコを受け取ってくれないか?」


 再びマユソンがチョコを差し出してきた。私は「いいけど」と彼の掌からそれを取る。


「よし、受けってくれたな」


「なに、どういうこと?」


 マユソンはすぐにそれには答えず、大きく深呼吸をし始めた。鼻が大きく膨らんだり縮んだりする。そしてマユソンは意を決したように口を開けた。


「俺は十五年前からお前のことが好きだった。さっきのは俺の本命チョコだ。だから来年のバレンタインにさっきのお返しとしてチョコを俺にくれないか。お願いします」


 そういってマユソンは体を直角にして手を伸ばしてきた。


 そういうことかと私は得心した。


 ロマンチックな告白、彼はそれを閃いたのだ。マユソンはこれがロマンチックと思ってるみたいだ。


 彼はバレンタインデーとホワイトデーをひっくり返した。


 その上で彼は本命チョコを渡してきた。来年のバレンタインデーで返してほしいと言った。本命チョコを返せということだろう。


 そして彼はこう言いたいのだ。来年になって私が本命チョコをマユソンに渡す関係性、つまり恋人同士になってくれと。


 私は人生で初めて男子に告白をされた。女子には何度かされたが、全て振ってきた。


 この男は私を十五年間も思い続けてきたのだ。こんな私をだ。私の方はマユソンのこと忘れていたというのに。普通なら諦めるに違いない。それなのに他の女子の方に行かず、ずっと私だけを見てくれていた。


 こいつ私より変人だな。思わず笑みが零れた。



 来年のバレンタインが楽しみだ。私は初めてそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リバース・チョコレート 池田蕉陽 @haruya5370

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ