秘書官の憂鬱
七荻マコト
秘書官の憂鬱
大きな体躯、ビシッと伸びた背筋。
軍人とはかくもこうあるべきなのだろう、威風堂々としたラウル大佐は指令室の大きな窓ガラスから外を眺めていた。
「ラウル大佐、この書類に目を通してサインして下さい」
その後ろ、豪奢な机の横に、若い秘書官の女性が立っていた。金色のブロンドヘアは頭の後ろに綺麗に纏められており、それでも彫刻の様に整った顔を美しく引き立てるのに十分だった。軍人らしく姿勢もよく、スカートから伸びるしなやかな足と、くびれた腰は快活さを感じさせた。
「うむ」
返事を返すが、ドサッと置かれた書類の山にウンザリする。
「ときに、レイン秘書官殿」
「はい、ラウル大佐」
「今日はいい天気じゃないかね?」
「ええ、とっても」
「こんな日に、だね。部屋に閉じ籠っているのはどうかと思うのだよ」
「そうですねぇ」
「この書類…まけて貰えな…」
「まけられませんね」
項垂れるラウル大佐。
「差し出がましいようですが、ラウル大佐。大佐が今まで伸ばしに伸ばした結果がこれなのですよ」
「そ、それは分かってい…」
「いーえ、分かってません!」
バン!と机を叩くレイン秘書官。
「何時も、やれ調査だ、やれ視察だと、あれこれ理由をつけて書類仕事をサボっているツケを払う時が来たのです」
(まぁ、急ぎではない書類も混ぜて嵩増ししているのですが…)
「むう、仕方ない。今日は書類仕事に徹するとしようか」
「そう願います」
(やった、今日は大佐と一日一緒に居られる。勝負はこれからよ)
腰を据えたことで秘書官の機嫌がよくなったと思った大佐は、まぁこんな日があってもいいのだろうと観念した。
「そういえば、他の秘書官から貰った良い茶葉があるのですが、作業効率も上がると思うので、ご用意してよろしいですか?」
「お、ではそれを楽しみに頑張るか」
「はい、お待ちください」
(よーし、やった!第一関門突破!)
横の給湯室で紅茶を用意しながら、レインはラウル大佐を盗み見た。
傍目で見たら、大佐がサボらないように見張っている秘書官に見えなくもないが、中身は全く違っていた。
(大佐ぁ、今日も素敵です。その逞しい腕に抱かれて眠りたい)
ただの大佐大好き女子だったのだ。
先の魔族が大量に攻め込んできた大戦で、命を救われたのがきっかけだった。
元々、軍人一家に生まれ、戦うことでしか存在を証明できない境遇で育ったために、感情の起伏が少なく、学生時代から鉄面皮やロボットと揶揄されることもあった。
レインは卓越した戦闘技術を身につけ、家柄も後押しして軍部のエリートコースに乗っていた。それが嫌だったわけではなく、そういう生き方しか知らずに育った。
そしていざ戦場。
何千、何万の悪魔が押し寄せる波に、レインは余りにちっぽけだった。
戦いは凄惨を極めて、理想とは全くかけ離れた現実を突き付けられたのだ。
何処にでも死が溢れており、鳴りやまぬ剣戟、飛び交う弾丸、荒れ狂う悲鳴、降り注ぐ血飛沫、そこはもはや地獄だった。
もう何十匹、何百匹の魔物を駆逐したか分からなく、手足の感覚も希薄になり、持っていた刀も折れ、護身用の銃も弾が尽き、未だ目の前で舌なめずりをしながら近づいてくる異形の魔物の群れに、力なく膝をついた。
そう、生き延びることが叶わぬと、絶望した瞬間に彼は現れたのだ。
大きな体躯に見合った大剣を一振りすると、一瞬でレインに迫っていた魔物の群れが消し飛んだ。
目の前の雄大な背中が徐に振り向くと、呆然と見ているしかできなかったレインに向かって、
『よく頑張ったな。お前がここで踏ん張ったおかげで俺たちが間に合った。誇るがいい』
そう言ってゴツゴツの大きな手でレインの頭を労わる様に撫でた。
その後は、大佐の独壇場。我が国でも数人の人間にしか使えない極大魔法を連発。雷神の化身と噂される力は、魔族全てを一瞬で塵へと還した。
朝日が差す焼野原に、ただ一人、大剣を携えて立ち尽くす、彼の姿はまるで絵画を切り取ったような雄麗な光景であり、レインを虜にするのには十分だった。
その後、あの手この手、軍人の身内の手も借りて、紆余曲折の末に念願の秘書官になった。
『む、お前さんは、先の大戦で頑張っていた奴じゃないか、といっても俺のことは覚えてないか。これからよろしくな』
(いいえ、いいえ、覚えています。忘れようがありません。私は貴方だけを目指してここまできたのです)
自分を覚えていてくれたことに、叫びだしたいくらい、泣きたいくらい嬉しかった。
それから、秘書官として近くで接する内に、気さくで人当たりも良く、武骨で不器用ながらも優しさの塊のような彼にどんどん惹かれていった。
ただ一つ、彼の欠点を述べるとすると、かなりの朴念仁だった。どうやら今まで浮いた話が無かったのも、モテているのに気づかない本人の鈍感さが原因だった。そのおかげで未だに独り身なのは僥倖だったのだが、レインがあれやこれやと誘惑しても全く気づきもしなかった。
さて、軍人としてのレインは、目的の為なら合理的で手段を選ばない傾向にあった。
淹れたての紅茶のカップに、とある薬をサラサラっと混ぜた。
(ふっふっふ、この惚れ薬で今日こそ大佐を私のものに…)
この日の為に用意した特製の惚れ薬だった。
もう一度言おう。
レインは目的のためには手段を選ばない、怖い女性だった。
「ラウル大佐、紅茶が入りましたよ」
「お、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
「はい、冷めないうちにどうぞ」
(は、早く飲んで~)
レインはドキドキ胸を高鳴らせて、ラウル大佐を見つめる。紅茶と大佐を交互に見つめる。
「あの、大佐、紅茶入ってますよ」
「ん?ああ、分かっている。ちょっと作業ペースが乗ってるからキリのいいところで…」
「冷めたら、美味しくないですよ」
(もう、早く飲んでほしいのに…)
「いや、レイン秘書官の入れる紅茶は冷めても美味いさ」
(くう、天然でそんな嬉しいことを言ってくれるなんて…って、頑張れ私!ここで負けるな)
「ほーら、美味しいクッキーも付けちゃいますよ」
「ん、それは魅力的だな…」
と返しながらも手を止めないラウル大佐。
「そろそろ、目も疲れてきたのではありませんか?適度な休憩を挟むのも作業効率アップに繋がりますよ」
「ん、そうだなぁ、もうちょっと…」
生返事のラウル大佐。
「ほらほら、早くしないと私が食べてしまいますよ。折角の美味しい紅茶が無くなっちゃいますよ」
「ああ、先に飲んでくれていいぞ」
(ああ~、書類仕事を押し付けすぎた私のバカバカ!でもこうでもしないと直ぐに現場に出たがる行動派だから、中々二人きりになれないんだもの、くぅ~)
「大佐ぁ…」
思わずしょぼんと落ち込んだ声を漏らしてしまう。その様子にラウル大佐は顔を上げ、
「ん、ああ、喉も乾いてたな、そういえば。折角用意してくれたんだ。頂くとしよう」と、ようやく作業を止める。
パァアアっとレインの顔に花が咲く。
(大佐、気を使ってくれたのかな、優しいな。素敵です)
レインの罠とも知れずに紅茶のカップに手を伸ばすラウル大佐。
(早く飲んで、そして私を見て下い。私はいつでも貴方の虜なのですよ、ウェルカム大佐ぁぁ)
ドキドキと胸を高鳴らせて息を飲むレイン。
あと少しで大佐が紅茶に口を付ける…。
バァァァァァン!!!
突然指令室のドアが開け放たれる。
「よぉ、ラウル!元気か?」
現れたのはラウル大佐の親友であるロッド中将だ。
「むう、ロッドか。ノックも無しに来るなんて相変わらず礼儀知らずというか」
「固いこと言うんじゃねぇよ。俺とお前の仲だろぉ?」
(んぁぁっぁああああぁあぁぁあああぁああぁ!!!!!なに邪魔しくさってんのこのハゲは!!)
レインは心の中心でハゲ(ロッド中将)に叫んだ。
「ってか相当酔ってんなロッド」
「ああ、今ちょっとした接待から帰ってきたところよ。あれだな、役人の付き合いも大変だよな~」
「とても嫌そうには見えないのだが」
そこでロッド中将はラウル大佐の手に持っている紅茶を見て、
「酔い覚ましにいいな、貰うぜぇ」
こともあろうに、紅茶を奪い取ると一気に飲み干した。
「あああぁぁああああああぁぁあああ!」
突然叫びだしたレインに驚くラウル大佐。
「ど、どうしたレイン秘書官!?」
(しまった、心の声が思わず表に出ちゃった)
「い、いえ、その…、あの…、」
レインはトラブルに弱かった。
(このハゲぇぇ!いつかあんたの飲み物に毒を混ぜてやるぅぅ)
混乱しながらも物騒なことを誓うレイン恐ろしや。
「んあ?ラウル…お前、そんなに男前だったっけ?」
言い訳を考えて慌てるレインをよそに、目がトロンとしているロッド。
「ん?どうしたロッド」
「なんか、ラウルって恰好いいよな。なぁ、キスしていいか?」
ラウル大佐の顔が青ざめる。
「じょ、冗談だよな…ロッド…?」
「いや、俺は真面目だ!お前ほどいい漢はいないと常々思っていたんだ。そうかこれは…恋だったんだ」
「ちょ、ちょっと待て、酔ってるからだよな?う、嘘だと言ってくれ」
魔物の大群にも恐れないラウル大佐が恐怖に震える。
「ら~う~るぅ~~~」
むちゅ~っとキスを迫るロッド。
「うわぁぁ~~~~。レインならともかく、おっさんのあんたにキスされたくな~い」
逃げるように指令室を飛び出したラウル大佐をロッドが追いかけていく。
「まて~~~~逃げるなぁ、らうる~~~♡」
事態の収拾がつかないままレインの作戦は失敗に終わった。
実は最後、何気にラウル大佐が本音を溢していたのだがレインは聞き逃していた。
レイン秘書官の飽くなき戦いはこれからも続いていく。
秘書官の憂鬱 七荻マコト @nana-mako
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