移民申請

@yumeto-ri

第1話

移民申請

              桃梨 夢大

            



ジョギングの最後の100メートル、スズミは全力を振り絞って走る。

頭の中を真っ白にするのだ。

ゴールの電柱のそばを駆け抜ける瞬間は全身に力が入る。

急いで速度をゆるめ、スマホを取り出しランニング用アプリを止める。

タイムは自分のいつものタイムより少し遅かった。

もともと、アスリートでもなんでもないので、自己ベストの記録も大したことは無かったが、ちょっとがっかりした。


週に二日、夕方に30分ほどジョギングすることが習慣になったことで、以前より体調が良くなった気がする。

ただ、それでも時々便秘になって苦しむ事があった。

便秘に伴う肌荒れにも、悩まされた。


はあっはあっ、と言っている自分の息が頭の中まで一杯になり、うるさい。


頭の中にたくさんあった,からまった余計な物のかたりが随分減った。

ストレスは軽減した、と思う。

仕事を失ったばかりで、じっとしているとその事ばかり考えてしまう。

大丈夫大丈夫、と頭の中で繰り返す。

大丈夫、貯金もあるし失業給付金も申請するから、じっくり次の仕事を選べばいい。

大体、パワハラをするほうが悪いのだ。

なぜ私がクビにならなきゃいけない?

イシコも悪い。

友達だと思っていたから、ハゲ猿部長のパワハラから守ろうとしたのに、いざとなったら逃げ腰になって。

自分はなんとも思ってないのに、私が勝手にハゲ猿部長を怒鳴りつけたみたいに言いやがって。

ハゲ猿の奴、自分に都合のいい事ばかり上に報告したもんだから、私が訳の分からん事ばかり言っていつも怒っている鬼女みたいに・・・・。


ダメだダメだ。


また余計な事を考えてしまう。

済んだ事。

もう終わった事。

考えない考えない。


スズミは息を整えると、自分のアパートに向かった。

玄関を開けると、スズミは固まった。

はっと息を大きく飲んだ。

「きゃあ!」

小さなネズミが、口から少し血を流して横たわってた。

「スキピオ!」

スズミの飼い猫、スキピオが得意気に上がり框に陣取り、スズミを見上げていた。


「あー、もう!

またネズミ殺しちゃったの?

これは褒めるべき?

怒るべき?」


「ニャア!」


もちろん褒めるべき、とでもいうようにスキピオは返事をした。


「わかったわかった。

すごいすごい。

でも私は食べられないから、片づけるね。」


ティッシュでネズミの死体をくるんで拾いあげると、アパートの敷地内の土のあるところに、小さな穴を掘って埋めた。


「もー、これで5匹めだよ。」


少し大きめの石を墓標として置く。

近くには4つ、同じような墓があった。

部屋に戻るとスキピオは少し不満そうだったが、すぐに興味を失ったらしくいつもの本棚の上に陣取ってこちらを見下ろした。


さっとシャワーを浴びた。

髪を拭きながらPCを立ち上げる。

転職サイトや各企業の従業員募集をチェックする。

時々湧き上がる怒りを何度もなだめた。

気を付けていないと、すぐにネガティブな感情に支配されそうだ。

ストレスを溜めない、身体に不調があったらすぐに対処する、といったことには人一倍気を使っているつもりだった。

ただ、理不尽な状況に陥ると、見つからない理由探しや、無駄な対応策探しに考えが迷い込んでしまい、結局どうにもならないことをクヨクヨ思い悩んでしまう。

考えることは必要だが、悩むことは健康に良くない。

健康はまず心から、だ。



突然、頭の中がブン、という音のあと館内放送のように雑多な音で満たされた。

大勢がガヤガヤ言っている。

スズミは辺りを見回したがいつもと変わらない。

不思議なことに、耳に聞こえているのではなかった。

明らかに頭の中に響いている。



「移住させてください!」



今度ははっきりと聞こえた。


「は?」


天井を見上げたが何も無い。


「移住させてください!」

「あ、あー、えー」

「聞こえてんのか?」

「うるさいな」

「おい静かにしろ。」

「翻訳できてんのか?

大丈夫か?」

「静かにしろって。」

「移住させてください!」

「いたたた」

「そこなにやってんだ」

「君たちやめたまえ」


大勢の意識がいっぺんに頭の中で鳴り響いている。

巨大な会議室で大勢がわいわい言っているようだ。

スズミは声に集中しようとした。


「ではいいな?

始めるぞ。」


「巨大生物に告ぐ、巨大生物に告ぐ。」


「あー、我々名誉あるホビタン族を代表して移住を申請したい。」


「私はホビタン代表評議会総代表、コラス。

巨大生物、コンドウ スズミよ、聞こえていますか?」


一人の声・・・直接的で鮮明な意識がはっきりと頭に伝わって来た。


「移住させてください!」



相手の声は切羽詰まった様子だ。

だが意味がわからない。

スズミは声に出してつぶやいた。


「なにこれ?」


「移住の申請です!

移住させてください!」


「ど、どういうこと?」


「我々を移住させてほしいのです。」


「移住って、どこに?

いや、なんのこと?

移住ならもっと・・・

政治家とか権力がある人に頼んだ方が・・・

それに入国管理局とかに申請すべきだよ?」


「あなたの許可が必要なんです。」


「私?なんで?

いやまさか、いきなりこの部屋にってこと?

無理無理無理!」


「無理ではありません。

あなたの許可さえあれば。」


「な、なんなのこれ?

移住って急に言われても・・・

いや、これはテレパシーなの?

あなた宇宙人なの?」


「その表現は正確ではない。

どこをもって宇宙と表現するかによります。

だいたい、我々から見ればあなたこそ巨大生物宇宙人ですよ、コンドウ スズミ。」


「なんかその言い方イヤ。

『近藤さん』とかにして。」


「それでは、コンドウサン。

我々の移住を許可してください。」


「我々?や、いったい何人いるの?

この部屋だと2~3人が限度だよ。」


「我々名誉あるホビタン族は約10兆人います。」


「はあ?」

「じゅっちょう・・・?」


いよいよわからない。

この宇宙人っぽい声は、10兆人もの移住の許可をなぜ自分なんかに求めているのか。

自分なんかに、そんな権限があるわけないではないか。

しかしスズミは、あえて地球を代表する気分で言った。


「ホビタンさん、いいですか。

この地球に生きる人類、ヒューマンの人数が、もうすぐ80億人になるぐらいです。

それでも貧富の差が激しくて食糧の足りない地域が多いのです。

このうえ更に10兆人もの人が移住可能なスペースはありませんよ。」


地球の周囲を巨大宇宙船が取り囲む様子を想像して、スズミはゾっとした。

その宇宙船には十兆ものホビタン人がひしめいていて、押し合いへし合いしている。

地球を征服するために戦争を仕掛ける気なのか?

でも、それならなぜ自分を交渉相手にえらんだのかが、やはりわからない。

自分が地球を救う役目を任された気がして、真剣に話しかけた。


「私の個体名称は『コラス』です。

え?なに?」


急にヒソヒソ声が入った。

何か話し合っているようだ。


「あ、あー。

私はコラスです。

カ、カイ、・・・なんだっけ?」


ひそひそひそひそ。


「それで喜ぶはずですよ。」

「そうそう。」

「わかったわかった。

カ、カワイイ コンドウさんお願いです。

どうか私の話を聞いてもらえませんか?」


急に取ってつけたようにかわいいと言われてもうれしくもなんともないのはもちろん、向う側で大勢が自分の事を低能な生物だと思っているような気がしてムッとした。

しかし、なにやら大変な事を言っているこの状況で、下手なおせじを言ってても交渉しようとしていることが気になって、スズミは少し話を聞く気になった。


「コラスさん、ちゃんとわかるように説明してください。」


こちらの真剣さも伝わったのか、また向うでガヤガヤと打ち合わせをしている気配がした。


「では、事情を説明します。」

「はい、どうぞ。」


「我々が住んでいた環境が、怪物によって破壊されてしまい、機能停止に追い込まれました。

我々はやむなく次の居住地を探さなければならならくなりました。

どうしてこんなことになったのか、調査したところ、我々の居住環境を破壊した怪物は、あなた、『コンドウスズミ』さんに管理責任があることが判明しました。」


「えーっと。

つまり・・・私に責任がある怪物って・・・・スキピオのこと?

スキピオが何かやったので、私が責任をとらないといけないって事かしら。」


「そのとおりです。」


「猫のスキピオがそんな大それたことするかなー?」


「実際にそれは実行されました。

えーっと、ん?ああ、そうだ。

『ネズミ』とあなたは呼んでいた。」


「ネズミ?」


スズミは思い返した。

確かにスキピオはネズミを殺していた・・・。

しかし、そのネズミに10兆人も住んでいたということは・・・・。


「あんたたち、小さいの?」

素っ頓狂な大声が出た。


「寄生虫みたいにネズミの身体に住んでたってこと?」


ネズミに巣くう寄生虫のイメージが頭をよぎり、嫌悪感が声音に出てしまった。

こたえが返って来るまで少し間があった。

おもむろに、かなり抑えた感じで返答が来た。


「侮辱の意味で使われる名詞は発音を控えていただきたいと伝えます。

小さいかと問われると、相対的に見れば、あなかからはそうとも言えるでしょう。

多くの場合、我々はそこまで自分達のサイズを気にせず暮らしていますが。」


「どれぐらい小さいの?」


「小さいか、という質問は間違っています。

我々は自分達を小さいなどと考えていない。

よって小ささとして表すことは不可能。」


面倒くさいな、と思いながらスズミは言い直した。


「それは失礼しました。

では・・・、あなた達はどれぐらいの大きさ・・・サイズなんでしょうか?」


「あなた達の単位を調べたところ、長さを計る器物の目盛り自体が巨大な幅があり不正確なため参考になりませんね。」


「えー?」


物差しの目盛りが幅がありすぎて誤差が大きいと言っているようだ。

かれらは微生物より小さいサイズなのかもしれない。

それが10兆人だと、どれくらい場所をとるのだろう。

一円玉ぐらい?米粒ぐらいか?

だが、そのぐらいのサイズなら、自分にもなんとかなりそうだ。

スキピオを見ると、いつもの場所、本棚の上の座布団にいつもの丸まった姿勢で気持ちよさそうに眠っている。

お前のせいで変な事に巻き込まれてるっていうのに・・

スズミは少しスキピオを恨んだ。

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