第六話 影の者

 陽は既に落ち、明り取りは月の光を部屋の奥へと運んでいる。

 青白く照らされた寝台の横には緋色のローブが掛けられていた。

 燭台にも火を灯さず、テーブルに片肘をつきながら男は目を閉じて座っている。

 その端正な横顔にはまるで生気が感じられず、蝋の人形を思わせた。


 モスタディアの北門からほど近いところに、その建物はあった。

 石造りの立派な二階建ての館だったが、いつの頃からそこにあるのか、誰が住んでいるのかを知る者はほとんどいない。

 いや、覚えていないと言った方が良いのか。

 闘技会の数日前には、その二階の部屋から明かりが漏れるようになっていた。



 どれほどの時が経ったのだろう。

 部屋の片隅に闇が集まり、固まっていく。

 それは、ほどなく人の形をした黒い影となった。

 気配を感じたのか、男がうっすらと目を開ける。

 いぶかしむように影を見やると、再び目を閉じた。

「お疲れですかな」

 影からうやうやしげな言葉が聞こえてくる。

を保つには魔力を消耗するからな。今は仮死のときに入っているのだ」

 億劫そうに目も開けず、ゆっくりと男は答えた。

 影もまた、ゆっくりと頭を下げたかのように動く。


「何か、用か」

 途切れ途切れに言葉を絞り出している。

 既に意識は深い底に沈んでいるのかもしれない。

「あのお方の復活も近い。しかし、まだまだ魔導士の血が足りませぬ」

 ふんっ、と軽く鼻を鳴らしただけで男は黙ったまま。

 影は続ける。

「あなた様にも一層のお力添えを頂くようにと、ハザメから言付かってまいりました」

 うっすらと眼を開け、顔だけを影に向けた。

「今日は仕留めそこなったからな。あのような場ではなかなか上手くはいかぬ。俺も心しておくとハザメに伝えよ」

「御意」

 黒く固まっていた影の輪郭が段々とぼやけていく。

 そして闇は薄れ、何事もなかったかのように青白い光が射し込んでいる。

「俺は貴様らのために動いているのではない」

 男がつぶやいた。


      *


「なぜですか? 我らの持つ力を知らしめる必要があるはずです」

 納得がいかず、魔道の師である司祭長に食い下がった。


「何度も言ってきたであろう、ギャラナよ。私たちの教えは民を救い、護るもの。聖職者たる我々が魔力を誇示する必要などない」

「それでは何のための修得なのですか」

 激情を押し殺したような低い声で師に迫る。

「強い魔力を持つことで、尊敬され、崇拝につながり、より多くの信徒を得ることが出来るはずです」

「確かに強い力は多くの人を護ることにもなり、感謝の念も集めるであろう。だが、それを使うのは有事の際のみでよいのだ」

「そんな場面がいつ起こるのですか!?」

「何も起こらぬのならば、それに越したことはない。そうであろう!」

 師弟の問答は次第に熱を帯び、叩きつけるような言葉の応酬となった。

 互いに引かぬ中、ギャラナは憮然とした表情で部屋を後にした。



 その日も夜が更けた頃、教堂にある司祭室からギャラナが出てきた。

 辺りを窺うように中庭へと進む。

「どこへ行くつもりだ」

 背中越しに司祭長の声を聴いた。

 立ち止まり、振り返る。

「その手にあるのは、秘伝の書だな」

 師が彼の左手に目をやる。

「お前にはまだ早いと伝えたはずだ」

「あなたが持っていても何の役にも立たない」

 二人の視線が交錯した。

「それを置いて、ここを出てゆくがよい。お前を破門とする」

 静かな、そして厳しい声だった。

「断ったなら?」

「本意ではないが、力ずくでも置いて行ってもらう」

 その言葉にギャラナは片笑みを見せた。

「これで大義名分が出来た。先に攻撃されたんだとな!」

 そう叫ぶと、懐から魔道杖を取り出した。


 二人が対峙してから、わずかな時間であっけなく勝負はついた。

 横たわる師の隣に立ち、見下ろしている。

「あ……の、魔道、いつ……の、間に……」

 最後は聞き取れぬような声だった。


 ギャラナは魔道の師と父を同時に葬り去った。


      *


「あの日、俺は人であることを捨てたのだ。すべては魔道王となるためにな」

 ひとりごちると、再び男は目を閉じる。

 青白い月の光が端正な横顔を照らしていた。




               ― つづく ―

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