第五話 守るべき理由

 ブリディフが帰ると、待ちきれずに戸口までヤーフムが駆け寄ってきた。

「カリナのお父さん、目を覚ましたって!」

「そうか! それは良かった」

 道すがらずっと浮かんでいた憂いの色も消え、この時ばかりは喜びをあらわにした。

「カリナが来たのか?」

「ううん。闘技場のお医者さんが帰りに寄ってくれたんだ。もう安心だろうって」

 彼の廻りを小躍りしながら、この少年は何かをねだるように見上げている。

「それじゃ、食事が終わったらお見舞いに行ってみよう」

「お前はカリナに会いたいだけなんだろ」

 苦笑交じりにミロウがたしなめる声も、両手を上げて飛び跳ねるヤーフムの耳には入らない。


 トニーゾにはブリディフから理由わけを話した。

 昨夜、ここで談笑した相手が大きな怪我を負ったと聞き、彼も驚いている。

「今夜は特別だからな。ブリディフ様に迷惑をかけるんじゃないぞ」

 そう言って二人を送り出してくれた。



 夜のとばりが下りた後も市場通りルドゥマは賑わいを見せていた。

 昼間に数多く並んでいた露店は片付けられ、代わって酒場や食事処から明かりと笑い声が漏れてくる。

 ヤーフムはブリディフの左手をしっかりと握り、見たことのない夜の街を歩いていく。

 観客もいない闘技場は、あの歓声も興奮の余韻も消し去り静かに佇んでいた。

 夜警の官吏へブリディフが声を掛ける。

 彼が強者たちベスト8に残ったことを知っていたのか、丁寧な対応ですぐに医務室へと案内をしてくれた。


 気配を察したのか、声を掛ける前にカリナが気付いて立ち上がった。

「ブリディフ様……」

 目には涙を一杯浮かべ、言葉が続かない。

 腰を下ろすようにカリナを促し、寝台の脇に立った。

「ブリディフ殿か」

 ヴァリダンが目を開け、かすれた声を出した。

「話をして大丈夫なのですか。ご無理をなさらずに」

「あなたのおかげでこうしていられるのだ。ありがとう」

 それだけ言うと、再び目を閉じる。

「お医者様も言ってました。すぐに治癒の魔道を掛けたのがよかったのだろうって」

 カリナが父の言葉を継ぎ、深々と頭を下げた。

「私に出来るのはあれくらいで。お顔を拝見して安堵しました」

 彼女が運んできてくれた椅子に、二人も腰を下ろす。


「わざわざヤーフムも来てくれて。ありがとう」

 カリナにそう言われて、嬉しくないはずがない。

 思い出したかのように、興奮気味にしゃべり始めた。

「とにかく、あいつが悪いんだよ。カリナのお父さんが参ったって言っているのに攻撃を止めないんだもの。あんなやつ、いくら強くたって魔導士として好きになれないよ」

「そうね。わたしもお父様から魔道を教わるとき、初めに言われたわ。『魔道は相手を攻撃するためのものではない』って」

 ブリディフも話に加わる。

「その通りだ。そもそも、魔道は人々を守るために生まれた力なのだ」


 土砂崩れや洪水、山火事に竜巻など、自然の猛威から人々を守り、被害を抑えるために魔道が発達してきた。

 戦に用いられるようになったのも、個々の命を奪うためではなく、大勢を決するための手段として取り入れられた。

 だから、我々魔導士は敵を必要以上に傷つけないことを規範としているのだ。

 そう語ったブリディフにヤーフムが尋ねた。

「規範ってなぁに?」


「うーむ。約束事、かな」

 思わず苦笑してから、話を続ける。

「夕食が終わってからは出歩かない、というのがヤーフムとトニーゾ様とが決めた約束事であろう」

「うん。ダメだって言われてるよ」

「それを破ったら?」

「怒られる」

 ブリディフが微笑む。

「夜の街では揉め事に巻き込まれることも多くなる。酒を呑んでいる者が多いからな。ヤーフムは自分を守る力と知恵がまだ足りない。だから危険を避けるために、トニーゾ様は約束事を決めたのだよ」

「ふーん。そっかぁ」

「約束事には、守るべき理由があるってことかしら」

 カリナの言葉に黙ってうなづいた。

「彼も魔道を修めた者ならば、そのことを分かっているはずなのだが」


「じゃぁ、何であいつは守らなかったの?」

 ヤーフムの問いかけに誰も答えない。

 沈黙の間に堪えられず、彼がもう一度何かを言おうとしたときにブリディフが顔を上げた。

「相手を傷つけようというのではなく、何か……己の力を誇示しようとしているように感じるな」

「あの男は危険だ」

 目を閉じたまま、ヴァリダンはそっと呟いた。



 再び訪れた沈黙を破ったのも、やはりヤーフムだった。

「僕ね、おじさんから魔道を教わることにしたんだよ」

「へぇー、そうなの? すごいじゃない!」

「ヤーフムはカリナを守り――」

「うわー! あー!」

 ブリディフの言葉を遮るように彼が大声を上げて暴れ出した。

「何? 急に騒いで」

「ううん、何でもないよ」

 怪訝そうなカリナに笑顔を向ける。


「それじゃ、来年の闘技会で会うまでに、何か一つ、魔道を覚えておいてね」

「うん、わかった! 僕とカリナの約束事だね」

 体中から喜びを溢れさせているヤーフムだった。




               ― つづく ―

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