次の駅は、スノードロップ

あるくくるま

第1話

仕事が終わり、僕は帰りの電車に乗っていた。

疲れのせいか、うとうとしてしまい、気が付いたら眠ってしまっていたようだ。

目が覚めると、周囲の異様な変化に対して、徐々に意識が追い付いてきた。

一つ一つがたいしたことのない変化でも、それぞれが相乗して絶妙な気味の悪さを醸し出している。

空の色。

僕が電車に乗ったのは仕事終わりの夜。

だとしたら外は真っ暗でなければいけない。しかし、僕の見ている外の景色は紫がかった夕焼けだ。

次に吊り革が無いこと。

まるで立って乗車する人間を想定していないようだ。

他にも細かい違和感は沢山あるものの一番気になっていることは、僕以外の乗客が全員眠っていることだ。うたた寝のようなうとうととした睡眠ではなく、全員がピクリとも動かない。死んでいると言われても疑わないだろう。

まだ寝ぼけているのかな、とさっきまでは思っていた。しかし日常が蝕まれ、すでに取り返しはつかないのだと僕の本能が僕自身に嘆きかける。

一刻も早く日常を取り戻すために、ポケットのスマホを取り出す。

『23時59分』

時計はこの時刻から動かず、電波も繋がらない。

僕の足場がどんどん削られ、深い沼に下半身から呑まれていくような感覚。

ドアの上の電光掲示板には、

『次は スノードロップ』と書かれていた。

そんな駅名聞いたことがない。

僕は運転手と話をするために先頭車両へ向かうことにした。

元々居た車両から次の車両へと移動をした。自分が何両目にいたかが分からないため、どのくらい移動をすればよいか分からないが、じっとしているよりはましだ。僕は、さらに次の車両へと移動しようと歩を進めた。

「どこへ行くの?」

後ろから女の子の声がした。

彼女は大体、中学生くらいだろうか、セーラー服に白い花の髪飾りを着けていた。

「今から車掌に会いに行くところだよ」

「何のために?」

「この電車はどこかおかしい。吊り革が無いし、それはいいとして乗客が全員眠っている上に、見たことも聞いたこともない駅へと向かっている。何かの事件に巻き込まれているかもしれない。電波だって繋がらないから今から車掌に直接確認を取りに行く」

「だったら、わざわざ向こうの方へなんか行かなくったっていいよ」

「どうしてだ?」

「だって……」

彼女はぶかぶかの車掌用の帽子を、目に被らないように器用に頭に乗せる。

「私がこの電車の車掌だから」

僕は冗談に付き合っている暇はないと、彼女に背を向け運転席のある先頭車両へと向かった。

早足で歩く。

一つ、二つと眠っている乗客達を横目にドアを通り過ぎる。

三つ目のドアを開けたとき、さっきの彼女は目の前にいた。

「だから、どこに行くのって」


僕はこの瞬間、理解した。

今、僕は「理不尽」の中に身を置いている。

喚いたってどうにもならない。

理屈で動いたってしょうがない、そんな場所。

「理不尽」の中では「抗う」ではなく、「従う」という選択肢の方が賢いことを僕は知っている。

「ここから出たい、出してくれ」

駄目元で聞いてみる。彼女は目に掛かりかけた帽子をクイッと少し持ち上げた。

「いいよ、別に。その代わりいくつか質問していい?」

「ああ、いいよ」

すんなりとオーケーが出たことに、少し驚いた。

まあ、勝手に乗せられた電車から降りるのに条件が必要だということに疑問と怒りを感じなくはないが、この際こんな気味の悪いところから出られるならなんだっていい。

「じゃあ、一つ目。あなたは誰?」

彼女の期待通りの答えかは分からないが、一通りのプロフィールを答えた。

「長いよ、一言で言って」

「それじゃあ、ただのサラリーマンかな」

ふーん、と頷くと、彼女は帽子のつばをまた持ち上げる。

「あなたは、自分を紹介するとき、一番伝えたいのは名前じゃなくって肩書なんだね」

何が言いたいのか計りかねるが、どうやら次の質問へ進めるようだ。

「で、降りた後は何をするの?」

「何って、家に帰って寝るよ」

「その後は?」

「仕事だな」

「はは、サラリーマンだもんね。で、帰ってまた寝て仕事行っての繰り返し」

「何が言いたいんだ」

「それってさあ……」

彼女はゆっくりと近づいてくる

「ここにずっといるのと何が違うの?」

「それは色々違うだろ。例えば飯食ったり、テレビ見たり」

「不正解。ここにいたらお腹空かないし、テレビだって見たいなら出してあげるよ」

「もう質問ごっこはいい。とにかく、ここから出たいんだ」

彼女はまた一歩、僕に近づいた。

「正解は、あなたは、日々同じことの繰り返し。でも、この列車はスノードロップという目的地へと向かっている。どこにも行こうとしないあなたは、この電車と一緒にスノードロップに行く方がいいんじゃない?」

「だから何なんだよ、スノードロップって、いいから出してくれ」

歩み寄ってきた分の歩数だけ、彼女は残念そうな表情をしながら後ろ歩きで遠ざかっていった。

「はぁ、私そんなに気が長い方じゃないから、次がラストチャンスね」

彼女は斜めった帽子を正しい位置に直す。


「あなたは、どうして降りたいの?この答えが決まったら呼んで。あっちの方居るから」


彼女は少し離れた座席に座り、窓の外を眺めていた。

僕も近くの座席に座り、外を眺める。

外は紫がかった、夜に一番近い時の夕方。

全く見慣れない景色だが、どこか胸を締め付けるような印象を受ける。

何で降りたいのか。

言われてみれば、確かにこのまま何も考えずこの景色を眺め続けるのも悪くない気がしてきた。

頭がだんだんぼーっとしてきた。

僕の人生、振り返ってみても大したことはない。

これからも、良いことなんてないだろう。

じゃあ、このままスノードロップとやらへ向かうのも悪くないのかな。

強烈な眠気が僕を襲う。

このまま眠ったら二度と起きることはないだろう、と何となく予感がした。



僕は最後に、僕の人生の悔いについて思考を巡らすことにした。


------


「あれ?あのまま眠っちゃうと思ってたよ。」

「それも悪くないと思ったよ。でも、やっぱり僕はこの電車を降りるよ」

「じゃあ聞かせてもらおうかな。どうしてあなたは、この電車を降りたいの?」


「僕は…………」


彼女はずり下がってきた帽子を正しい位置まで戻し、にっこりと笑った。


「ご乗車ありがとうございました。降りる際には足元には十分にお気を付けください」


電車はゆっくりと停車し、外を見るとそこは自宅の最寄り駅だった。

気が付くと車内はいつも通りの風景に戻り、彼女の姿はそこにはなかった。



帰り道、僕は締めていたネクタイを公園のゴミ箱に投げ捨てた。

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