第4話 「…留守か…」

「…留守か…」


 月曜日なのに、そのちゃんが迎えに来なかった。

 あたしは思い切って、そのちゃんの家に。

 インターホンを鳴らしても、何の反応もなくて。

 帰ろうと思ったら…そのちゃんが眠そうな顔で出てきた。



「ごめんごめん…夕べ遅かったから…今まで寝ちゃってた。」


 あくびをしながら、そのちゃんがスリッパ出してくれた。


おと、何か飲む?」


「あ、うーん。何でもいいよ。」


「じゃ、俺日本茶飲みたいから、それでもいい?」


「うん。」


 さすが茶道名家の孫。

 個展の時も、ロビーの片隅に『ご自由にお飲みください』って置いてあったのは、特別な名前みたいなお茶だった。

 普通、コーヒーのような気がするけど…。



「誰もいないの?」


「うん。明後日まで俺一人。」


「ご飯とか大丈夫?」


「あ、心配?なら、おとが作って。」


「し…心配なんてしてないよ。それに、あたし料理できないもん。」


「あはは、残念。」


 …そっか…

 こんなシチュエーション、あたしー…料理できなきゃダメだよね。


「…何か買って来て、チンして並べるぐらいなら出来る。」


「いいよ。俺作るから。」


そのちゃん、料理できるの?」


「うん。」


「……」


 女として…これは…

 ああ、あたし、何かそのちゃんにしてあげられる事って…

 肩叩き…

 いや、おじいちゃんかって。


 …うーん…

 癒しになるような…?



 …そうだ。


そのちゃん。」


「ん?」


「個展…お疲れ様。」


 あたし、そのちゃんに近付いて。

 そのちゃんの首に腕を回して…抱きついた。


「えっ…おと…?」


 あたしと言えば。

 甘え上手?

 それで、いい気分になれる。

 今までの彼氏には、そう言われてきた。

 ま、それも冷めると手の平返しまくっちゃうけど。



「個展…気分使ったでしょ…?」


「そ…それは…そうだけど…」



 キスしようと、顔を近付けると…

 グイッ。


「…え?」


 腕を引き離された。


「…ダメだよ。こんな事…女の子から…」


「……」


「…座ってて。」


「……」


 …何よ、それ。


「…あたし達、許嫁でしょ?」


「そうだけど…」


「キスぐらい、いいじゃない。」


「…そういうの、結婚するまでは…」


「…………はあ?」


「結婚するまで、しない。」


「……」


 も…

 もしかして…


「…そのちゃん…」


「ん?」


「…もしかして、そのちゃん…キスもした事ない?」


「……」


「じゃ、じゃあ、セックスもないの?」


「女の子が堂々と言う事じゃないよ。」


「……」


 ポカーン。

 そのちゃん…

 19歳だよね…

 見た目こんなにカッコいいのに…

 童貞…

 どころか…

 キスの経験もない…とか…



「…帰る…」


「え?おと?」


 ダメだ。

 あたし、経験ない男となんて、無理。

 て言うか、この年まで何もしてないって、気持ち悪いっ!!

 こんなの、こんなの…

 コノに言えないー!



おと、何か気に入らな…」


 あたしの腕を掴んだそのちゃんの手。


「触んないでっ!」


 思い切り、はねよけてしまった。


「…おと…」


 そのちゃんはあたしの目を見て。


「…経験ない男が、そんなに嫌?」


 暗い顔をして言った。


「…本当に、結婚までしないつもり?」


「そのつもりだけど。」


 体が、わなわなと震えた。

 結婚するまで守るとか…

 明治大正の女かー!



「あ…あたしは、もう全部済ませちゃってるから!」


「……」


「キスだってセックスだって、色んな人と何回もやっちゃってるから!」


 そのちゃんは眉間にしわを寄せて。


「そ…そんな告白、要らない…」


 頭を抱えた。


「男だったらさあ、女の体に興味湧いて、年から年中したいばっかりじゃないの⁉︎」


「なっ何言って…」


「何よ!そのちゃんなんて、ムッツリスケベなだけじゃない!」


「ちっ…違うし!」


「絵ばっか描いて、女の裸とか興味なかったの!?普通じゃないわよ!」


「それは、俺にはおとがいるから…」


「嘘ばっか!そのちゃんいくつよ!どうせ、痛い恋でもして臆病になっちゃってるんじゃないの!?」


「っ…」


「……」


「……」


 …どうやら、図星だったようで。

 そのちゃんはがっくりと肩を落とすと。


「…ごめん。」


 そう言って、あたしに背中を向けた。


「な…何よ。キスを拒まれたあたしの気にもなってよ!」


「……」


 そのちゃんが、恨めしそうに顔だけ振り返る。


「あたしは、キスを拒まれても…男を嫌になんかなんないわよ!また、とっかえひっかえ彼氏作って、やりまくっ…」


 突然。

 突然、そのちゃんが。

 あたしの体を引き寄せて…

 強引に…

 キスした!


「んっ…んんん…」


 もがいてみるものの…そのちゃんは、意外と力があった。

 や…やだ。

 そのちゃん…

 キスした事ないって言ったのに…

 何これ…


 ……………上手い!



「…あっ…」


 唇が少し離れた隙に、声が出てしまった。

 するとそのちゃんは…


「えっ…」


 あたしを…抱きかかえたー!

 えー!

 あたし、170もあるから、なかなかそんな事してもらえなかったのに!

 そのちゃん、なんて力持ち…


 誰もいないから、部屋まで行く必要はないと思ったのか。

 そのちゃんはリビングのシックなソファーの上にあたしをおろすと…

 また、あのとろけるようなキスを…

 ああ…あー、マジでヤバいって…


「はっ…」


 突然、現実に戻る。

 あたし…

 今日…

 どうでもいいパンツだー!



「まっまま待って…そのちゃん…」


「もう無理だ…」


「でもっ!!今日は…」


「何…」


「……下着が…可愛くないの…」


「……」


「……」


「…ぷはっ…」


「あっ、笑うー!?」


「ごめん…なんか…おと、そういうの気にするんだ…」


「そりゃ…一応…」


 いや。

 初めてだ。

 初めて気にした。

 今までの彼氏には、まーーーーーーっっったく、気にかけなかった。



「…俺は、おとが身に着けてる物なら、何でも可愛く思えるけど…」


 そう言って、そのちゃんは…

 もう、止められない野獣と化してる…!!



「あっ!!ダメだって…」


「火をつけたのは、おとだよ?」


「そっそうだけど…」


「もう無理。」


 いやだー!!

 …って思いながら…

 キスがこんなに上手いなら…って、期待も…なくはない。

 ああ…どんなブラしてたっけ…

 て言うか、今日体育で汗かいた…



「…そのちゃん…あたし…今日汗かいた…」


「いい…美味しい…」


 そのちゃんはあたしの首筋を甘噛みしながら、そう言った。

 ああ…ヤバいよ…

 本気でこれ…気持いいやつだ…



 トゥルルルルルルルル♪



「ひゃっ!!」


 家の中に、大音量で響き渡る電話の音。

 思わず声を上げて驚いてしまった。

 そのちゃんは大きく溜息をついてソファーからずり落ちると。


「…もしもし…」


 低い声で電話に出た。


「あ……どうも…」


 そして、ちょっと…トーンが変わった。

 さらには…あたしを気にしてる素振。

 …女だな?



 頭の中でおさらい。

 そのちゃん、誰か女に痛い目に遭わされてるって事だよね。

 何があたし一筋だった、よ。

 大嘘つきめ。

 …でも、あんなキスされちゃ…

 嘘つきめ!!嫌いだ!!

 なんて言うのは…惜しくなる。



「はい…いえ、それは…はい…分かりました。では…」


 そのちゃんは何かを電話台の横にあるメモ帳に書き込んでから、電話を切った。


「……」


「……」


「…ごめん。ぶち壊しだな。」


「あたしは…まあ…お気に入りの下着の時の方が…」


 あたしがそう言うと、園ちゃんはソファーに戻ってきて。


「…じゃあさ…」


 あたしの耳元で言った。


「今から帰って着替えて、今夜泊まりに来ない?」



 * * *



「えっ、何これ。すごく美味しい。」


 本当に。

 そのちゃんに言われるがまま。

 一旦帰ってシャワーして。

 お気に入りの下着をつけて…再び早乙女邸へ。

 そのちゃんはあたしのために、晩御飯を作って待っていてくれた。



「口に合って良かった。」


「絵ばっかり描いてたわけじゃないのね。」


「表立って働いてるってわけじゃなかったからなあ。好きな事させてもらってるのに、全然家にお金入れられなくて。だから毎日料理だけはしてたんだ。」


「でも、全部売れたし…親孝行できたね。」


「まだスタート地点だよ。これからが勝負だな。」


 ああ。

 この年まで童貞なんて気持ち悪いって。

 そんな風に思って、ごめんそのちゃん。


 本当に優しくていい人だ。

 それに…キスも上手い…

 あたしは目の前のそのちゃんにウットリ。



 ご飯を食べて、片付けぐらいはするからって。

 あたしはキッチンへ。

 その間に、そのちゃんにお風呂に入ってもらった。


 …この後…

 あたし達…

 結婚前だけど、結ばれちゃうのかな?

 もう、あからさま過ぎて恥ずかしい気もするけど…

 続きが楽しみで仕方ないのも、確かなのよね…



 食器を洗い終わって、タオルで手を拭いてると、テーブルの上にハンドクリームが出してある事に気付いた。


 …じーん。

 そのちゃん、優しいな。

 そのハンドクリームをつけながら、あたしの目が…電話台の隣にあるメモ帳に止まる。


「……」


 誰かと待ち合わせ…かな。

 ゆっくりと電話台に近付いて、メモ帳を見る。

 当然何かが書いてあるメモはなかったけど…

 跡がついてる。


「……」


 ペン立てにあった鉛筆を手にして、あたしはその上に鉛筆で塗ってみた。

 浮かびあがったのは…明日の日付と、待ち合わせ場所と時間。

 あたしはそれをポケットに入れて。

 そのちゃんがお風呂から上がるのを、テレビを見ながら、何気ない顔をして待った。




おと…」


 そのちゃんの体は、驚くほど鍛えられてた。

 絵描きって貧相なイメージだったけど…

 そのちゃんは、どこに行くにも自転車で。

 さらには、画材道具を稼ぐために、自らモデルをする事もあったそうで…

 そのために、常に体は鍛えていたそうだ。

 そんな胸に抱かれて…あたしは少しばかり酔いしれていた。


 …その反面。

 色んな不安が。



 そのちゃん、本当に初めてなの?

 なんだかすごく…扱い慣れてる気がするよ…

 本当なら、もっと感激していいはずの、そのちゃんとの初めての夜。

 何か…引っかかってしまって…

 なかなか気持ち良くなれない。


 …あたしなんて、何人もの男とこんな事して。

 酷い捨て方だってして来て。

 今も…もしかしたら、誰かに恨まれてる気がする。

 こんな自分…

 そのちゃんにふさわしいのかな…なんて不安もあって。

 …全然、気持ち良くならない…!!



「…おと、気持ち良くない?」


 そんなあたしに気付いたのか、そのちゃんが気にかけてくれた。


「う…ううん…あたしの問題…」


「問題って何?」


「ううん…」


「言ってくれないと分からない。」


「…そのちゃん、本当に初めてなのかなって…」


「初めてだよ?」


「その割に…女の体…扱い慣れてる気がする…」


「そんなわけないよ。強いて言えば…音が痛くないように…気を付けてるだけで…」


「……」


「…もっと強引なのがいいって事?」


「ううん、このままでいい。」


 そのちゃんの背中に手を回す。

 何だろ。

 今までの彼氏には、ない感覚。

 これって…

 あたし、本気なんだろうな…



「やめよっか…」


 ふいにそのちゃんがそう言って、あたしから離れた。


「…え?どうして?」


おと、無理してるっぽいから…」


「そんな事ないよ。」


「…ちょっと、シャワーしてくる。」


そのちゃん…」


「まだ、早かったって事で…」


 立ち上がったそのちゃんが、足元に何かを見付けて拾った。

 それは…


「あっ…!!」


「…これ…」


 あたし、そのちゃんの手からそれを奪い取る。

 バカ!!

 いつの間にか…ポケットから落ちてたんだ…!!

 それは、あたしが鉛筆でなぞったメモ。


「……」


 そのちゃん、驚いた顔であたしを見てる。


「だ…だって…気になったの。そのちゃん…電話の時、表情変わったし。」


「それは…」


「もしかして、そのちゃんの事、傷付けて女に臆病にさせた相手なのかなって。それだったら、そのちゃんが本当に好きな人なんじゃないかなって。」


おと…落ち着いて。」


 そのちゃんはあたしを優しく抱きしめると、手の中にあったメモを取って。


「うん…正直言うと、好きだった人。」


 つぶやいた。


「…そう…」


 ガーン。

 だった、と過去形で言われても…ちょっとショック。



「色恋なんて成功してから言えって言われてさ…なんか、たったそれだけの事なのに、すげー勝手に傷付いて。」


「……」


「そんな時に、おととの許嫁の話を思い出して…」


 そのちゃんは、あたしを抱きしめる腕に力を入れてる


「小さい頃の約束だとしても、おとが俺の嫁さんになるって言ってくれたの…思い出すと、すごく力になった。」


「…時効だと思わなかったの?」


「だから、確認に行っただろ?」


 あ。

 でも…あれ…

 あたしは、忘れてたんだよね…



「明日、この人に会いに行くのは…スタート地点に立てたのは、あなたの拒絶と…」


 そのちゃんの唇が、あたしの額に落ちる。


「可愛い許嫁の、愛のおかげです、って言いに行こうと思って。」


「…そのちゃん…」


「会ってきていい?」


「…そのちゃんは…本気でお礼のつもりなのかもしれないけど…それって、嫌味だよ?」


「え?嫌味かな。」


 やっぱり。

 そのちゃんって…天然だ。


「あたしとしては…」


「ん?」


「その待ち合わせの時間…あたしと、ここでいちゃいちゃしてて欲しいから…行って欲しくないな…」


「…グラグラする誘いだけど、学校の時間だろ?」


「一日ぐらい、いいじゃない。」


 唇を、合わせる。

 ああ、なんだ…

 あたし、愛されてるんだ…



「…分かった。行かない。」



 それから、あたしとそのちゃんはめでたく結ばれた。

 やっぱり、初めてとは思えないぐらい、気持ちよくさせてもらった。


 晴れて恋人同士らしくなったあたし達だけど…

 その後、一波乱あった。


 そのちゃんは、あたしに相談もなく、どこかのオッサンにスカウトされて、パリへの留学を決めてしまった。

 しかもクリスマス前。

 あたしが落ち込んだのもお構いなし。


「お土産楽しみにしててー。」


 そのちゃんは笑顔で旅立ち。

 あたしは、毎日パリの女の子達とそのちゃんのよからぬ妄想に苛立ち。


「まあまあ、卒業したら追いかけるんでしょ?それまでしっかり、フランス語の勉強しときなさいよ。」


 なぜか王寺おうじ君と付き合う事になったコノにそう言われながら。



 そのちゃんと会える春に、夢を馳せている。



 22nd 完

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いつか出逢ったあなた 22nd ヒカリ @gogohikari

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