桜花の反論

 如月桜花の母が待つ屋敷へ向かう最中、小野和明は困って惑っていた。つまり困惑していた。

 男子高校生特有の病、女子に少しでも良くされれば必ず陥る「おれのこと好きなのか病」に罹っていたことは間違いない。

 いたる所で佐藤霧江が良くしてくれていたこともあり、もしかして「おれのこと好きなのか」との思いも確かにあった。

 だがそれでも、実際に好きと言われると、嬉しい以上に困惑が広がったのである。

 原因のひとつは、自分のことを好いてくれる女子などいるわけがないという頑迷な思い込みにあった。この思い込みは先述の「おれのこと好きなのか病」とは矛盾しない。恋する男子の気持ち悪いところはこういう点にも現れる。ひとえに成功体験の無さが招いた結果であった。


 そしてまた、佐藤霧江も大いに困惑していた。思い描いていた想像と全く違う告白になってしまったことにである。

 描いていたイメージは、まず和明と二人きり、ついで桜の満開の下、そして静かに目を見つめながら


「好きでした……」


 と静かにささやく、というものであったのだが、実際には!

 周囲の目に! ド派手にさらされながら!

 勢いでわけのわからない単語を! 絶叫してしまいました!

 二人きりでもなく、桜吹雪どころか怪しげな機械がのたうち回っている機械油の漂う部屋で、文法を無視した言葉を絶叫していたのである。

 二度と取り戻せない失態に、霧江は時折赤面しながらブツブツとつぶやきつつ歩く。


 早い話、二人は全く使い物にならなくなっていた。


 桜花は橋田恵美と視線で語り合うつもりでいた。いい機会だから、二人きりにしてしまおうという算段である。

 だが、心の機微や情緒関連がいくつか欠落している桜花は、めんどくさくなったのか思い切り声に出していた。


「あの二人、使い物にならないから、私の部屋で待っててもらおうか〜」

「桜花、さすがにそういうことは本人達のいないところで言った方がいいよ?」

「いや〜。二人きりになったら、思いっきり進展するんじゃないかと思って〜」


 言い方からもめんどくさい感が漂ってくる。恵美は仲介し、二人に声をかけた。


「私達、母屋に行ってるから、二人は桜花の部屋でしっぽりと休んでて。30分あれば足りる? 着けるもの着けないとダメよ?」


 間違いなく最もあばずれているのが恵美である。言われた二人は何を、とか何その時間とかモゴモゴ言いながらも桜花の部屋に戻っていった。


「呼ばれるタイミングが早かったな。小野君の準備がまだ整っていない」


 と桜花はこぼした。

 恵美は準備の内訳を聞こうとしたが、その前に邸宅の正門に到着した。

 先程桜花一行を呼びに来たお手伝いさんが扉を開けると、紫輝子がスリッパを揃えていた。化粧をしていない大女優はテレビで見るよりも庶民的な趣きである。輝子は恵美に笑顔を向けた。


「あら、久しぶり。恵美ちゃん、彼氏できた?」

「残念ながらできません。作り方教えてください。あ、最近のおばさんが出てるドラマ観てます」

「ありがとね〜。さ、お上がりなさい」


 応接間のソファーに座り、恵美は桜花に小声で話しかける。


「今日、おばさん、普通だね」

「お父さんいないしね。アレが帰ってくるとおかしくなるのよ」


 その会話が輝子の耳に入った。


「桜花。アレとはなんですか」

「あなたの配偶者のことよ」

「あなたのお父さんでしょう。やめさない、そういう言い方は。恵美ちゃんも言ってあげて」


 恵美は苦笑いで返す。


「桜花は学校でもこんな感じですので」

「だからこの娘は彼氏のひとつもできないのよ」

「いや、私がそういうのに興味ないこと知ってるでしょ」


 桜花が口を挟んだ。


「なんでかしらね。私達両親が娘の前でチュッチュチュッチュして、恋の素晴らしさを教えて上げてるのに」

「だからこうなったとは考えないの?」

「だからそうなってるの?」

「そうよ」


 大女優は演技で見せるような傲慢な表情を浮かばせた。


「なら違うわね。興味がないのではなく、抑え込んでるつもりになってるだけだわ」

「なにを勝手なことを!」


 桜花が珍しく大声で反論した時、桜花の部屋の方から大きな物音がした。

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