軋む歯車、桜色

桑原賢五郎丸

如月さんはカッツカツ

序 血迷う如月さん

「如月さん、行っちゃダメ! 戻りなって!」


 学生服姿の小野おの和明かずあきは、少し離れた場所から大声を張り上げた。夜の繁華街を行き交う人々が振り返るほどの声だった。

 その声に応えたのは、同じく学生服の女子校生だった。


「小野君、ありがとう。だいじょぶ、大丈夫だから」


 如月きさらぎ桜花おうかは、固く唇を結んだ。だがどこかぽわんとした雰囲気が漂っているのは、柔らかなウェーブがかかった、セミロングの髪型のせいだろうか。元々柔和な顔つきのせいだろうか。


「わたし、ここでなら働けると思うの。女子なら大丈夫って書いてあるし、選択の余地はないかな」


 桜花は目の前の扉を見つめた。扉自体は黒いシックなものだが、周囲のネオンは淫靡に瞬いている。桜花の手の中のお守りがウオンウオンと低い機械音をたて、ぐねりぐねりとのたうった。


 和明は焦った様子で声をかける。

「全く大丈夫じゃないから。如月さん、勘違いしてる。落ち着いて、戻ってきて」

 扉が開いた。坊主頭のいかついポン引きが桜花に気づき、話しかける。


「ん? お姉ちゃん、今日から?」

「え?」

「今日から仕事かって訊いてんの。中で着替えねえとまずいって言われてねえ?」

「えっと、あの、面接で。アルバイトの」


 ポン引きの表情が変わった。


「なにおめえ、本物の女子高生? その服装で来たのか? バカにしてんの?」

「いえ、このチラシに年齢不問って……」

「いや、女子高生ならそういう店に行けば買ってもらえるだろ。うちで女子高生働かせたら警察が動くわ」

「すみませんでした。行くよ、如月さん」

 割って入った和明は桜花の手を引き、その場所から逃げ出した。ポン引きの怒号が聴こえた。



 50メートルほど走り、和明は桜花の手を握っていたことに気づき、慌てて手を離す。

「如月さん、あの店は、誰でも働ける場所じゃあ、ないんだよ?」

「けど、時給3500円で、だいたいは座ってできるお仕事で」

「常識を知って」

「その言い分、いささか心外」


 桜花のお守りが赤く点滅し、トゲが生えて回転した。驚いた和明がそれを見つめていると、徐々にトゲと回転が穏やかになり、光の色は赤から青へと変わっていった。


「よし。正常」

「よくないよ。それ何の意味があるの」


 何はともあれ、時給に惹かれた桜花の蛮行を阻止することができたので十分である。このようなところで彼女の桜を散らしてはならないと改めて決意を固めた。

 ふと見ると、桜花の横顔が目の前にあった。あまりの近さに心拍数が上がる。息を呑むような美しさだった。


(如月さんは一体何を見つめているのだろう)


 和明は胸を焦がしながら桜花の視線を追った。ポン引きが眼の前まで迫ってきていた。和明はぎゃあと一声叫び、再び桜花の手を握り、夜の繁華街を走り抜けた。

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