春の雨

君の嫌いな春

 春。桜の頃。僕はこの季節が大好きだった。理由は君が好きな季節だからとひどく単純なものだった。外に出れば暖かな日差しが全身を包み、穏やかな風が頬を撫でる。空からは桜のシャワーが降り注ぎ、地面に桜色の美しい絨毯を作り上げる。僕はカメラを片手に“春”を探す遊びをする。君が好きだと言った“春”の匂い。君が好きだと言った“春”の花。君が好きだと言った“春”の鳥。いろいろなところに君の好きな“春”が無造作に転がっているのがどうも可笑しかった。僕はそれらを小さな一枚の写真に丁寧に収めていく。写真は得意ではないけれど、新しい写真を見るたびに目を輝かせる君を思いだすと少しでもいいものを撮ろうと思うことができた。撫子、芝桜、勿忘草、雲雀、燕、鶯…。“春”を探すことに満足した僕は、見つけた“春”を君に届けるために君の待つ部屋へと歩き出した。今日の“春”に君は一体どんな感想をくれるのだろうか。君の部屋のドアを開く。真っ白で殺風景な部屋の中、君は僕を見つけると柔らかく笑った。

「今日はどんな“春”を見つけてきてくれたの?」

「今日はこの前君が教えてくれた、君の一番好きな花を見つけてきたよ。」

君の横に腰掛けカメラに収めた写真を見せる。

「嬉しい。私が言ったことちゃんと覚えててくれたんだ。」

忘れるわけないじゃないか。大好きな君の特に大好きなものなのだから。忘れるはずがないのだ。君のことが大切なのだから。

——だから僕に勿忘草の写真を一枚だけ置いていなくなったりしないでくれ。

 春。桜の頃。僕はこの季節が大嫌いだ。理由は君と別れた季節だからとひどく単純のものだった。暖かな日差しは、穏やかな風は、桜のシャワーは、桜色の絨毯は、僕のことを嘲笑っているかのようだ。僕はカメラを片手に“春”を探す自傷行為をする。“春”を見つけるたびに自分の心臓にナイフを刺すような心地だった。撫子、芝桜、勿忘草、雲雀、燕、鶯…。“春”を見つけるたび君に会いたくて苦しくなるばかりだ。こんなもの、ひどい呪いじゃないか。

しゅんさん。私に毎年春を届けに来て。私からあなたに会いに行くまでずっと。約束。』

 僕に残された勿忘草の写真の裏には震えた文字でこう書かれていた。こんな“約束のろい”がなければ僕はすぐに、楽に終わることができたかもしれないのに。こんなに苦しむことはなかったかもしれないのに。僕は性懲りもなくもう会えない君のために“春”を探して回る。“やくそくい”を守るためにもう好きでもない、君を奪っていった君の好きだった春を。ポタリ。桜色の絨毯に一粒の水滴が落ちた。あぁ、雨だ。ついぞ君と2人で歩くことのできなかった桜並木で、散る桜に紛れて雨が降る。君がいなくなってから僕の雨は止まない。君が僕の“約束のろい”を解きにくるその時まで、君が唯一嫌いだった春の雨が降り続けるのだろう。


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春の雨 @akira-yuhi

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