14. オーバンドは2017年に開発100周年を迎えました




 嫌なことを考えないようにドアの向こうや窓の外を見ないように考えていると、そこが一年一組の教室であることをユキエは思い出した。


 ミハルと一年を過ごした教室だ。

 そして、アズマハルカとも。

 

 なんと言うか、協調性きょうちょうせいのある奴だった。


 授業初日の教室、あいつが女子達に話しかける度にその一帯だけ花咲はなさくように笑顔がはじけたのよく覚えている。


 小さいし、フサフサの飾りピンを付けて幼い感じ。でも、感覚器官かんかくきかんや手足を目一杯めいっぱい使い、誰とでもコミュニケーションできた。人情にんじょう機微きびを知り、そこに丁寧ていねいに寄りう方法もマスターしていた。


 だから、なのだ。

 だから、誰よりも悪口が上手かった。


 人の言われたくない言葉、言われても言い返せない言葉、言ってもヒかれない程度にエグい言葉を的確てきかくに理解し、最適さいてきなタイミングで言ってのけた。女子、男子、教師、仲間――親友のフジモリでさえ――誰の悪口でも誰とでも盛り上がれた。

 そういう奴はユキエやミハルの通う小学校――一学年に二十数名しかいない――にはいなかったので、すごく驚いた。


 何故そんなことをするのか、ユキエは聞いてみたことがある。

 晴れた七月の蒸すテニスコートで、二人で球拾いをしている時、屈んだ尻へ。

 つい口から出てしまったのだ。


 あいつは拾いかけたボールを取り落とし、こちらに顔だけ向ける。

 眼は鋭く、口は普段は気にしている八重歯やえばを見せて引き結び――



「ねえ」


 またつい口から出てしまったのは、その時のが目の前にいたからだ。

 フジモリは不機嫌ながらもユキエを見る。


「アズマみたいになりたいの?」


「は?」


「似てる、今日のあんたの顔、言い方、いや、雰囲気かも。まるであいつに……」


 りつかれてるみたい、と続けるのはさすがの彼女も不味いと口をつぐんだが、相手には伝わってしまったようだった。

 フジモリはギラリとした剣幕になり、ユキエはむしろ『謝ろうか』という考えを振り払う。


「シバタの腕折ったり、ドアの外のコレとか、どうせソコツネさんにもあんたが何かしてるんでしょ」


「だったら何?」


「アズマみたいに人を傷付けて楽しむのは好きにやればいい。でも、覚えてるはず、あいつが最後どうなったか」


 踏ん張るフジモリの靴底がギシイと大きな音を立てた。


「……言ってたよ、『決めつけで暴走してまるで周りのことを考えない』って。本当それ、お前自分がどれだけ周りに迷惑かけてるのか一ミリでも悩んだ事ある?」


 顔を真っ赤にして煽る彼女にユキエもまたヒートアップする。


「知らないけど。ミハルを巻き込むのは止めて。ああいう奴だから気にしちゃうんだろうけど、もう二度とあんなのはゴメンだろうから。フジモリも止めなよ、なにしたいか知らないけど、アズマは――」 


「ハルカは!」


「もういないんだから」




 ピシ。



 その時、睨み合う二人の間をアメ色の物体がさえぎった。

 輪の形をしたそれはコンクリの白い柱にぶつかると壁を転がるように移動し、戸を抑えるフジモリの右手に身をくねらせて収まる。


 二人がの飛んできた方を見ると、教室の窓の内、鍵の開いた一つが開け放たれていた。

 そこからどんどん流れ込んでくる。


 ピシピシピシピシピシピシ……。








「どうしたの、緊張してる?」


「い、いえ」


「携帯のこと? いいよ、別に気にしなくて。先生も使ってるのに、みんなだけダメなのも変だしね」


 と、コーヒーメーカーに掛かりきりのまま先生は言った。


「そ、そうですか……」


 今ボクは国研の、先生の机の傍に座っている。椅子は不在のマルヤマ先生の。 

 他の先生もいなくて、二人きり。


 頭の中で考えをまとめる。

 輪ゴムのことがあるから一刻も早く戻らないといけない。 

 でも、クラスタも急を要する問題だ。


 二限のことは聞いてるだろうし、取っ掛かりだけでも話しておこうか。

 いや、うーみんさんとの話も終わってないし……うー。


「お砂糖とミルクはいる?」


「あっあっ! ありがとうございます、自分でやります!」


 ボクは先生からカップだけ受け取り、また座る。


「いいの?」


「は、はい。あの……」


「そう、ね」


 窓の近くに行き、降り始めた雪を見ながら、先生は言う。


「ヤマダさん、


 やっぱりその話題。


「はい、その……」


 ボクは二限を詳細しょうさいに説明する。事の発端から、ユキがからんだ相手、マナちゃんの気まぐれで事なきを得た流れ。

 喋る合間にスマホを覗く。うーみんさんのDMも気になっていた。



:オッチマさん、それは違います。すぐ見つかりますヨ


:まず第一に、今現在、本体の輪ゴムの力に動員どういんされてない輪ゴムを探せばいいのだから、候補はほとんど絞られてるハズ



「ネットの方はどう?」


「もう㊙情報はユキとボクのことを呟いています。大騒ぎです」


「そっか……ありがとう、教えてくれて」


 先生は重い息を吐きながらお礼を言うと、顎に手を当てて考え込む。


 去年の四月に、国研にテニス部のことで呼ばれてから今まで、が起きる度、こうやって相談して先生にアドバイスをもらってきた。先生はいつも俯瞰ふかんして大人の立場で支えてくれる。


「先生、それで実は考えたことが」


「モロズミさん」


 先生が口を開いたので、一端黙る。


「クラスタの子の悪ふざけもだけど、ヤマダさんの行動も問題ね」


「え? え、ええ、そうですね……」


「折角落ち着いていたのに。ソコツネさん周りを突いて、無暗むやみにみんなを苛立たせるなんて」


 先生は振り向く。


「ちょっと、おきゅうえた方がいいのかも」


 彼女は唇の端をほのかに吊り上げ、悪戯っぽくボクにんだ。


「え……」


 言葉に詰まる。


 ボクは先生から目を反らし、辺りをキョロキョロと、ガスストーブ、机の上のたくさんの書類、部活の関係か丸めた画用紙、卓上カレンダー……目を落とすと黒洞々こくとうとうたるコーヒーの水面みなも

 そして、スマホの画面。



:第二に、最近の貴方とお友達の周りはで満ちてるハズ



 先生は黙って笑うまま。



:いや、本当は違う。あれらは初めからどこにでもあった。無いように思えたのは気付いてなかったから、見ようとしてなかったから


:あとはどうするか、大事なのはそれだけ


:貴方だって、もうわかってるんじゃないですか👀❓❓



「うわああああ!」


 と扉の外から大声が、ユキの大声がして、ようやく頭が動く。



「あ、先生、すいません、急用が!」



 ボクは返事を聞かずにカップを机に置くと、国研から逃げ出した。







 窓から殺到さっとうする輪ゴムを見て、ユキエはすぐに戸を開き逃げかけた。

 が、気付くと輪ゴムに襲われるフジモリを助けに動いていた。


 輪ゴム達はユキエにもたかってくる。手や指に見境みさかいなく取りつき、締め上げきて痛んだ。


「寄るな……!」


 フジモリは目に薄く涙をにじませながらユキエをこばむ。


「そんな場合じゃない!」


 取り合うことなくユキエはフジモリの手から輪ゴムをありったけ引き剥がし、少し考えてから自分の括った髪の先端に辺りに近付けた。狙い通り輪ゴムの群れはそこに飛びついていく。引っ張られるような感覚はあるが痛みは無い。


「逃げるよ!」


「うるさい、指図さしずするな!」


 どちらかともなく戸を開け放つと、アメ色の群れが蚊柱かばしらの如く押し寄せ、真向まっこうからぶつかる。

 輪ゴムの攻撃力は明らかに上がっていて、バチバチバチと強い衝撃しょうげきがあった。


「うわあああ!」


 パニクってユキエが口から出るまま叫び、まだ治りかけの足がもつれて転んだ。

 フジモリが左手で振り払いながら、右手で引き起こそうとするが輪ゴムの攻勢に成すすべもない。


 そんな時、近くの国研の戸が開き、ミハルが現れる。


「ユキ! マナちゃん!」


 と、健気けなげに駆けつけるが、輪ゴムは彼女にも襲い掛かった。


「イタタ、大丈夫!?」


 ミハルはフジモリと協力してユキエを立たせると、結んだ髪の中頃に貼りつく輪ゴムを剥がしていくが焼け石に水。幼馴染の指に絡みつき、苦しめる。


「どうすればいいかわかった!?」


「あっ……えー、うん、あのね」


 ユキエの問いに、ミハルは顔をしかめながら説明した。


「え!? そんな急に新しいの見つかんないでしょ!」


「あ……」


 憤慨ふんがいするフジモリの顔を見て、ミハルは少し黙り、急にひらめく。


 アルガ先生の机の上、画用紙を丸めて括る緑色の輪ゴム。

 微動びどうだにしていなかった。


「……いや、あそこに!」


 ミハルが国研を指差す、すると。



 ブツッ。


 腹に来るような重い音、ミハルが振り返るとユキエの髪がたれている。

 これまでの比ではない力がかかった、と体感したユキエにはわかった。


 髪を切断した後、球状になった輪ゴム群はすぐさま解けて飛び散っていき、中核の一つが現れる。


「本体……」


 ミハルが呟くが早いか、本体の輪ゴムは他の輪ゴムが下から跳ね上げられ、空中に舞った。

 二人がぼんやりその軌道を追うと、ユキエの手指しゅしに至らんとするところでフジモリが辛うじて叩き落とす。


「バカ!」


 と、一喝されようやく二人に現実感が戻ってきた。

 三人そろって国研へ走る。


 ほんの十数メートルの距離。

 だが丸聞こえの作戦を理解した輪ゴム達は本気を見せた。


 足を狙い、機関銃のように叩きつける。初めにユキエ、次にミハルが抱き留めようとして共倒れ。フジモリもほとんどすぐに膝を屈し、這いつくばって進む。しかも群れに潜んで迫る本体に千切られないよう体に引っかかる輪ゴムを外しながら。


「このままじゃ着く前に全滅だ! どうしよう……」


「大丈夫……」


 困り切った様子のミハルに、フジモリがか細く応じた。

 ユキエはカチンとくる。


「どこが!? あんたのせいでこうなったのに、騒ぐだけで何もしてないくせに!」


「うるさいな、大丈夫なの!! だってマナには……!」


 フジモリは意を決して身を起こす。震えながらも立ち上がって暴風雨のような輪ゴムの中を歩き始めた。


 三、四歩で転ぶが、そこはもう戸に手が届く位置。

 フジモリが半身を起こして引き手に手を掛けた時、しかし、ユキエの目には見えた。


 幾つかの輪ゴムに支えられて飛ぶ本体が、フジモリの頭上ずじょうにあるのを。


 戸が開くのと本体がフジモリの頭に合わせて広げられるのは同時。

 手は届かない、声さえ間に合わない。


 ユキエが惨事さんじを予期し目を閉じかけた瞬間、戸の隙間からが飛び出した――







 緑色のそれが正確にアメ色の本体を打ち抜き、二つの輪ゴムは床に落ちる。

 続いてボクらの身体にまとわりついていた輪ゴムが一斉に離れて、二つの輪ゴムの元に集合。

 見る見るうちに一斗缶いっとかんぐらいの塊ができあがった。


「ほら、ね」


 と、マナちゃんはそれを確認せず、ボクらに背を向けたまま自慢げに言う。

 立ち上がってマスクを着け直し、ゆったりとスラックスについた埃を払った。


 ユキは信じられないものを見た顔をして固まっている。


「あら、どうしたの? これは何?」


「あ、先生!」


 今更アルガ先生が出てきたので、ボクは飛び起きる。

 何事か言い訳を捻り出しながら、満足気なマナちゃんを脇に押しやって国研に入った。確認したいことがあったから。


「……それで盛り上がって、テンションが上がりすぎちゃったんです。」


「そう、まあ、怪我しない程度にね……」


 先生はボクの言い訳に相槌を打ちつつ、すぐに机の方に向かう。広がった画用紙を手早く丸めて、輪ゴムを探すが見つからず焦っているようだ。


 画用紙に描かれていたのはスズメの轢死体れきしたい。色が塗りかけ。

 間違いなくteilorの絵柄。

 でも、今はどうでもいい。


 さっきは戸の隙間から、確かに見えたのだ。

 ちょっと目を離したら忽然こつぜんと消えていたけど。


 八重歯を隠して上品に唇を歪め、目をガラス玉みたく輝かす。

 机に腰掛け、指に掛けた輪ゴムを引き放つハルカちゃんの姿が。

 雪の空になったはずのハルカちゃんの姿が。




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